青年期における熱情というものは、その時期特有のものがあります。
熱く燃えたぎり、自分自身でも抑えきれないもの。
今回読んだのは、ドイツの文豪・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』です!
婚約者のいる女性に想いを寄せるウェルテル。
叶わぬ恋に落ち、絶望から最後は自殺を図ってしまいます。
ここでは、『若きウェルテルの悩み』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『若きウェルテルの悩み』のあらすじ
『若きウェルテルの悩み』は、主人公であるウェルテルが、友人ヴィルヘルムに宛てた数十通の書簡によって構成されています。
第一部と第二部は、書簡の内容が日付とともに載っており、「編者より読者へ」では、その後のウェルテルの行動や書簡を編者と名乗る人物が解説するという形を取っています。
第一部
ウェルテルは新しい土地で生活をすることになる。
辺りの景色は素晴らしく、身分の低い人々の素朴さに心惹かれていた。
大学を出たばかりの若者や、9人の子どもがいる法官、数人のひねくれものなど、知人も少しずつ増やし、充実した日々を送っている。
ワールハイムという土地にあるビールもコーヒーもある料亭が気に入って、そこでしばしばホメーロスを耽読していることなどを書簡へと記していた。
ある日ウェルテルは郊外で開かれた舞踏会に知り合いと連れ立って出かけることになり、その際に老法官の娘シャルロッテと初めて対面することになる。
シャルロッテは、亡くなった母親の代わりに弟妹たちの世話をしている女性だった。
ウェルテルは、彼女に婚約者がいることを知りつつ、その美しさと豊かな感性に惹かれ我を忘れたようになってしまう。
この日からウェルテルはシャルロッテのもとにたびたび訪れるようになり、彼女の幼い弟や妹たちになつかれ、シャルロッテからもまた憎からず思われていた。
しかし幸福な日々は長く続かなかった。
シャルロッテの婚約者であるアルベルトが旅から帰ってきたのだった。
しかも、アルベルトはとても好青年で尊敬に値する人物に思えた。
自身の恋が叶わぬことを改めて突きつけられたウェルテルは、苦悩に苛まれるようになり、やがて耐え切れなくなってこの土地を去ってしまう。
第二部
ヴィルヘルムたちの紹介もあり、ウェルテルは新しい地で官職に就く。
上司は気に入らないが、仕事は順調で、フォン・B嬢という素敵な女性と出会うこともできた。
しかし、そうした生活も長くは続かなかった。
公務に没頭しようとするが、同僚たちの卑俗さや形式主義に我慢がならなくなっていく。
ある日、伯爵家に招かれた際に、周囲から侮辱を受ける。
その際に、フォン・B嬢からも冷たい態度を取られ、階級意識に凝り固まった人々に嫌気がさしてしまう。
ウェルテルは、わずか半年ほどで退官を申し出ることになる。
その後、知り合いの公爵のもとで世話になるが、公爵自身はいい人ではあるものの、秀才的な教養主義の人物で、ウェルテルとは価値観が合わなかった。
そこでの生活にも飽きてしまい、気分の落ち着きが得られず、数か月各地をさまよった後やがてシャルロッテのいるもとの土地に戻っていく。
その時には、シャルロッテとアルベルトはすでに結婚していた。
二人はウェルテルのことを暖かく迎えてくれるが、ウェルテルには悲しい出来事がいくつも起きていく。
仲良くしていた兄弟の末の子が亡くなっていたり、大好きだったくるみの樹が切り倒されていたり。
嫌なことを次々に受けてウェルテルの心は次第に沈んでいく。
また、以前に知り合いになっていた作男と偶然、道で再会し、話を聞いたところ、主家を追い出されていた。
作男が、そこの女主人に想いを抱き、ある晩、女主人を押し倒そうとし、女主人の弟によって追い出されたのだった。
今は別の男が雇われており、女主人と結婚する予定だという話もあるのだという。
その後も、シャルロッテへの想いは募るばかりで、ウェルテルの心は乱されていく。
しばらくしたとき、ウェルテルは川に沿って歩いているところで変わった男性に出会った。
花の咲く季節ではないのに、花を探し、花輪を作って女性に贈るのだという。
「オランダが金を払ってくれたら」
と意味のわからないことを言う男性だったが、男性の母親が現れ、精神病を患っていることを教えてくれる。
のちにウェルテルは、その男性がかつてシャルロッテのところで働いており、シャルロッテに恋をして、免職となり、気がふれてしまったことを知る。
編者より読者へ
ウェルテルの書簡と、書簡の「編集者」による解説が挿入され、二部以降のウェルテルの状況が説明されていく。
ウェルテルがシャルロッテへの思いに煩悶している中、ある日ウェルテルの旧知の作男が、女主人への想いから殺人を犯してしまう。
作男に自分の状況を重ね合わせたウェルテルは、作男が女主人への想いを口にし行動を起こしたことに感動を覚えた。
そして、殺人を犯した作男を弁護しようとする。
当然、ウェルテルの主張は聞き入れられず、アルベルトと、シャルロッテの父親である老法官に跳ねつけられてしまう。
アルベルトとシャルロッテの方でもわずかに変化が起きていた。
アルベルトは、ウェルテルとの交流をこれまでよりも控えてほしいと話す。
世間の目がうるさいのだという。
それ以来、アルベルトとシャルロッテの間でもあまりウェルテルの話題が上らなくなっていく。
次第に、ウェルテルの中で、死への気持ちが高まっていく。
クリスマスが近づいたその前の日曜日の夕方、ウェルテルがシャルロッテを訪れる。
その日、シャルロッテは一人で弟妹たちへのプレゼントを整理しているところだった。
シャルロッテは、「どうしてわたくしをお選びになったの」と他人の妻である自分に想いを寄せるウェルテルを非難する。
旅行に行ったり、自分に合う相手を探してみるようにも諭そうとした。
そして、次の木曜日であるクリスマスイブまでは家に来ないで欲しいと頼むのだった。
ウェルテルは帰宅した翌日、
「決心しました。ぼくは死にます。」
と、シャルロッテに宛てた遺書を書き始める。
ウェルテルが身の回りのものを整理し、知り合いのところを順番に巡っていく。
一方でシャルロッテは、いざウェルテルを遠ざけようとすると、それがどれだけ辛いことなのかを感じていた。
シャルロッテにとっても、ウェルテルがかけがえのない存在となっていた。
自分の友人とウェルテルが結婚してくれれば、ずっと一緒にいられると考えるも、適当な相手がおらず、シャルロッテ自身、無意識にウェルテルを自分のものとしたいと考えているのだった。
その日、最後にウェルテルは、アルベルトの留守中にシャルロッテに会いに行くことにする。
シャルロッテは、いまウェルテルと二人で会うことに戸惑うが、ウェルテルを家に入れることにした。
間をつぶすために、シャルロッテは、ウェルテルが翻訳していたオシアンという詩人の詩を朗読してくれるように頼み、ウェルテルは同意して朗読をする。
オシアンの詩は、まるでウェルテルとシャルロッテを描いたような詩であり、感動が二人を襲う。
二人は互いに涙を流しながら手を取り合った。
ウェルテルは、シャルロッテに接吻をし、シャルロッテもそれを拒むことをしなかった。
シャルロッテは、
「これが最後です、ウェルテル。もうお目にかかれません」
と言って隣室へと姿を消した。
ウェルテルは、
「さようなら、ロッテ、永遠にさようなら!」
とシャルロッテに声をかけて家を出る。
ウェルテルは、岩山をさすらって帰宅し、アルベルトに「旅行に行くからピストルを貸してくれ」と手紙を出す。
ウェルテルの使いが手紙を渡すとアルベルトは大した疑問も持たずにピストルを渡すようにシャルロッテに言いつけた。
シャルロッテは事情を察し衝撃を受けるが、夫の前ではどうすることもできず、黙ってピストルを使いに渡してしまう。
ウェルテルはそのピストルがシャルロッテの触れたものであることを聞き、シャルロッテが手渡してくれたピストルで自殺できることに感謝をする。
そして、深夜12時の鐘とともに筆を置き、自殺を決行する。
翌日、その知らせを受けたシャルロッテは、衝撃のあまり意識を失ってしまう。
社会現象を巻き起こした作品
『若きウェルテルの悩み』は、1774年に刊行されました。
上記したように、ウェルテルが婚約者のいる女性シャルロッテに恋をし、叶わぬ思いに絶望して自殺するまでを描いた小説です。
情熱的な恋からの自殺。
この『若きウェルテルの悩み』は、当時ヨーロッパ中でベストセラーとなっています。
多くの人がこの本を手に取り、ウェルテルを真似て自殺する者が急増するといった社会現象を巻き起こしました。
そのため「精神的インフルエンザの病原体」とも呼ばれていたようです。
確かに誰しも、ウェルテルのように誰かをどうしようもなく想うことってあると思うんですよね。
「この気持ちが叶わないのであれば」
と考えてしまう気持ちもどこかしらにあるのかもしれない。
それに火をつけるような一冊だったのでしょう。
また、自殺って、一般的にもいいこととは思われないけれど、特にキリスト教では自殺はタブーとされています。
そんな世界の中でまるで自殺を肯定するかのような小説というのは、ものすごい衝撃だったのだと感じます。
実際には自殺を肯定しているわけではなく、ゲーテ自身の失恋や知人の自殺などが折り重なって生まれた作品と言われていますが、作品の中でもウェルテルとアルベルトが自殺について議論する場面もあって、考えさせられるものがあります。
自殺は肯定できるものなのか
ウェルテルは最後に自殺をします。
正直私は、自殺することを肯定も容認もできることじゃないと思っているし、もっとほかの道があるんじゃないかと思っています。
でも、『若きウェルテルの悩み』を読んでいると、そういう選択肢が皆無とは言えないと感じさせられます。
苦しみの中で生き続けなければいけない。
本書を読むと、それはある種の地獄だろうなと思ってしまいます。
自分にとって、なによりも情熱を注ぐことができる相手。
それは自分の意思とは無関係にどうあっても避けられないもの。
そうであるならば、そこから離れる術を求めるのも自然な行為なのかもしれない、と。
もし、自分の目の前に、ウェルテルのように苦しむ人がいたとしたら、結局は、
「ほかに想いを寄せられる相手を探そう」
とか、
「気分転換をしたらいいんじゃないのか」
といった一般的な答えしか出せないと思います。
だって、ウェルテルの想い自体は、かなり叶えるには問題のあるものだから。
苦しみから逃れるという点では、不遇な環境にいる人も、同様に自殺を考えることがあると思います。
仕事で出会う人の中には、親からの暴力や虐待を経て、自傷行為は自殺未遂を図る人もいます。
それを正しいか間違っているかっていう議論はやはりできないんですよ。
ただ、私達がその人にその道は選んで欲しくないと思うだけで。
私達の想いと、その当人がどう思うかっていうのはやはり別であって、こちらが望むことが、相手にとっては苦しいことなのかもしれない。
それでもやはり、ウェルテルには自殺を選択して欲しくなかったと思うし、理屈にもならないけど、自殺自体、肯定はできないなと感じます。
おわりに
以前読んだのは大学生のときでした。
ウェルテルのあまりの熱情にちょっと引きながら読んでいたような気がします。
約20年が経って改めて読んでみると、かなり感じ方の違う作品でした。
もっと違う生き方ってできなかったのかなと思います。
もし、シャルロッテと出会わなければ、ウェルテルってどんな人生を送っていたのだろうかとも。
今なお多くの人に愛されて読み続けられている名作です。