本の名言

米澤穂信の名言まとめーミステリー作家の秀逸な言葉に学ぶー

ここでは私が大好きな作家【米澤穂信】さんの著作に出てきた名言を紹介していきます。

米澤穂信さんといえば小説家・ミステリー作家として有名ですね。

【古典部】シリーズはアニメにも漫画にもなっていますし、【インシテミル】は映画にもなりました。

ちなみに私が一番好きなのは、【儚い羊たちの祝宴】という短編集です。

米澤穂信さんの作品は一通り読んでいますが、名言として文章を拾ってはいなかったので、再度読み返しながら少しずつ更新していきます。

Contents

<古典部>シリーズ

「天才は天才で、普通人の生涯は望んでも得られんことを思えば、そう羨ましいばかりでもないさ」(『愚者のエンドロール』)

「ジョークは即興に限る、禍根を残せば嘘になる」(『愚者のエンドロール』)

「必要な技術のない人間にはいい仕事はできないということよ」(『愚者のエンドロール』)

「誰でも自分を自覚するべきだ。でないと。……見ている側が馬鹿馬鹿しい」(『愚者のエンドロール』)

「熱意も、自信も、独善も、才能でさえ客観的には意味を失う」(『愚者のエンドロール』)

「相手を動かすのは精神的満足感だ。物質的満足感を得るための行為で手を抜くことはあっても精神的満足感を得るための行為で手を抜くことはない」(『クドリャフカの順番』)

「たとえば、傲慢なところがまったくない人というのは、自信がない人のことじゃありませんか。誰からも強欲と言われない人は、きっと家族を養うことも難しいでしょう。世界中の人が誰にも嫉妬しなければ、新しい技術が生まれるとは思えません」(『クドリャフカの順番』)

「裁きの日はやってくる。どれほど多くの人間がどれほど真摯にその到来を妨げたいと願っても」(『遠まわりする雛』「手作りチョコレート事件」)

「誰も嘘をつかなかったとしても、こちらが勝手に誤解しているとか相手が勝手に曲解しているとかいうのも、これも実にありそうなことだ」

(『遠まわりする雛』「手作りチョコレート事件」)

<ベルーフ>シリーズ

『さよなら妖精』

『さよなら妖精』は厳密には<ベルーフ>シリーズではないですが、関連する作品なのでここに入れています。

「確かに、おれがやりたいことならおれがやるべきだ、というのはすじだ。

すじではあるが、人間関係とはそういうものではないだろう。

もう少し、なんというか、柔らかさがあってもいいのではないだろうか」

(『さよなら妖精』)

「ご苦労なこととは思うが、俺は、自分の手の届く範囲の外に関わるのは嘘だと思ってるんだ」

「手。暗喩か」

「いや、そのままの意味だよ。結局は身体だ」

(『さよなら妖精』)

「自分がなぜそれをしているのかわからないときでも、行為を継続することはできる。

なにをしたいのかわからない場合も、そうだ。

そんなことはどちらも容易なことだ。

いや、もしかしたらどちらとも、そのほうが行為を進めるにはかえっていいのかもしれない。

そうした無自覚さは、たとえばこんなスローガンに生まれ変わる。

「悩むのは後だ、やるだけやってみよう!」。

過ちはそんなふうに、正されぬまま再生産されていくのだろう」

(『さよなら妖精』)

「人間は、殺されたお父さんのことは忘れても、奪われたお金のことは忘れません」

(『さよなら妖精』)

「生まれたての赤ん坊には飲酒の罪は無限大よ。

そこから反比例曲線を描いて罪は軽くなって、二十歳になるとゼロになるの。

わかる、守屋君?つまり十九歳の時には罪は無限にゼロに近いのよ。

それはゼロと同義でしょう」

(『さよなら妖精』)

「この『智』を使う時はただ物知りというだけじゃないわ。もっと……。そう、『哲学的に知っている』という意味になるのよ」

(『さよなら妖精』)

「しかし、たとえ物理的には同じ場所に住んでいようと、それだけで相手の日常を理解しえたことにはなるまい」

(『さよなら妖精』解説より)

『王とサーカス』

「子供と歩けば子供の街、坊主と歩けば坊主の街さ」(『王とサーカス』)

「お前が私の話を聞いてそれを書くというのなら、日本人がネパール王室に、この国そのものに持つイメージを一人で決定づける立場にいることになる。なんの資格もなく、なんの選抜も受けず、ただカメラを持ってここにいたというだけで」(『王とサーカス』)

「確かに信念を持つ者は美しい。信じた道に殉ずる者の生き方は凄みを帯びる。だが泥棒には泥棒の信念が、詐欺師には詐欺師の信念がある。信念を持つこととそれが正しいことの間には関係がない」(『王とサーカス』)

「自分に降りかかることのない惨劇は、この上もなく刺激的な娯楽だ」

(『王とサーカス』)

「だがそれは本当に悲しんでいるのではなく、悲劇を消費しているのだと考えたことはないか?飽きられる前に次の悲劇を供給しなければならないと考えたことは?」(『王とサーカス』)

「わたしは智は尊いと考えてきた。言葉を一つ補うべきだ。わたしは、わたしにとって、智は尊いと考えている。他人もそう考えていることを期待してはならなかったのだ」(『王とサーカス』)

「こちらに考え違いがあった時、無償で叱ってくれるのは家族か学校の先生ぐらいのものだ。それ以外の人間はほとんどの場合、ただ怒りをぶつけてくるか、何も言わずに以降の関係を断つかに留まる」(『王とサーカス』)

「軍人も密売人になれる。密売人も誇りを持てる。誇り高い言葉を口にしながら、手はいくらでもそれを裏切れる。ずっと手を汚してきた男が、譲れない一点では驚くほど清廉になる」(『王とサーカス』)

「指揮者レナード・バーンスタイン曰く、偉大なことを成すには二つの要素が必要だという。一つは計画。もう一つは時間、ただし不足気味の」

(『王とサーカス』)

<小市民>シリーズ

いまが最高、という一瞬がある。長い目で見れば何度も訪れるピークの一つ、というのではなく、本当にそれきりの一瞬というものが。ぼくたちはそれに憧れ、それをせめて一目なりと見たいと強く願う。なんとなればぼくたちには、それを自ら招き寄せることはできないから。ただ誰かが創り出すのを待つことしかできないからだ

(『春期限定いちごタルト事件』For your eyes only)

そしてそんな一瞬はそうそう生まれはしない。だからぼくたちは、さらに仕方なく代償行為で自分を慰める。「いまだけ」や「ここだけ」、「これだけ」といった限定にまたしても惹かれてしまうのも、万已むを得ないことと言えるだろう。まして、「あなただけ」となればこれは何度使われてもなかなか強力な殺し文句だ
(『春期限定いちごタルト事件』For your eyes only)

小賢しい知恵働きは、決して見た目のいいものではない
(『春期限定いちごタルト事件』For your eyes only)

理不尽を受け流すのは小市民心得の筆頭といっていい
(『春季限定いちごタルト事件』狐狼の心)

誰かが一生懸命考えて、それでもわかんなくて悩んでいた問題を、端から口を挟んで解いてしまう。
それを歓迎してくれる人は、結構少ない。

感謝してくれる人なんて、もっと少ない。

それよりも、敬遠されること、嫌われることの方がずっと多いってね!
(『春季限定いちごタルト事件』狐狼の心)

自分がよく知っている人間が思わぬ行動を取ったら、どうしたんだろうと不思議に思うだろう。

思わぬ行動が重なれば、相手に何か心境の変化をもたらす重大事があったのかと心配する。

そして、それがさらに続けば、自分はもしかして相手のことを理解し損ねていたのではないかと疑問を持ち始めることになる
(『夏季限定トロピカルパフェ事件』シェイク・ハーフ)

本当に完全な偶然なんてそうはない。完全な必然がそうそうないようにね
(『夏季限定トロピカルパフェ事件』スイート・メモリー)

チャンスを作るための行動をしないやつを、のろまという。チャンスを生かせないやつは、要するに間抜けなのだ
(『秋季限定栗きんとん事件 上』あたたかな冬)

ノンシリーズ

『インシテミル』

「うまい話にゃ裏がある。裏を取るまで乗るんじゃない」

(『インシテミル』)

「正体がつかめないものこそが、もっとも恐ろしい。君たちの人生はしばしば、得体の知れない危機が横たわる。警戒せよ」

(『インシテミル』)

「何がなんだかわからないものは、何がなんなのかわかるまで放っておいても、どうってこたあない。説明書きの付いてないものにいちいちかかずらわるほど、お前らの人生は長くない」(『インシテミル』)

「目を逸らしたいことが起きたとき、それを人外の『怪物』のせいにするのは、ただの逃避だ」(『インシテミル』)

「真実には時と場合が必要」(『インシテミル』)

「嫌がられる話題を強行するとき、問う者は統率力があるか、無神経でなくてはならない」(『インシテミル』)

おわりに

ここまで米澤穂信さんの小説の中から名言を抜粋してきました。

まだ改めて読みなおすことができていない作品が多いため、今後少しずつ更新していければと思います。

素晴らしい作家さんなのでこれを機会に書籍を手に取っていただければ嬉しいなと思います。