斜線堂有紀

珠玉のSF短編集。死をどうとらえるか。斜線堂有紀『回樹』

愛とはなにか。

死とはなにか。

尊厳とはなにか。

そんな風に、人生においてどこかでぶつかる問題を考えさせられます。

今回読んだのは、斜線堂有紀さんの『回樹』です!

斜線堂有紀さんといえば恋愛小説のイメージが強かったのですが、SFを書いてもかなりすごい。

発想力が豊かで、どこからこんなストーリーが生み出されるのかと驚嘆します。

6つの短編からなる作品です。

ここでは、『回樹』のあらすじや感想を紹介していきます。

Contents

『回樹』のあらすじ

〇「回樹」

〇「骨刻」

〇「BTTF葬送」

〇「不滅」

〇「奈辺」

〇「回祭」

回樹

突然現れた未知の巨大なモノ。

建造物なのか、植物なのか。

回樹と名付けられたそのモノは、傷をつけようにも燃やそうにも、何をしても変化がない。

調査をする中で、一人の調査員が回樹の上で心臓発作を起こし亡くなってしまう。

すると、これまでなんの反応も示さなかった回樹がその遺体を飲み込んでいった。

その後の調査の結果、回樹は遺体を飲み込むだけでなく、その死者への愛を自らへと移すことがわかる。

死者を愛していたものは、同様に回樹を愛するようになるのだ。

少しずつ、回樹に愛した人の遺体を飲み込ませようとする人が増えてくる。

回樹を愛する人が広がり、回樹はその存在感を増していく。

骨刻

刺青のように骨に文字を彫る技術が生まれた。

最初は一部の人間が興味本位に試す程度であったが、骨刻で病気が治ったという人物が現れ始める。

そして誕生したのが「言刻会」。

骨に言葉を彫ることで病が癒えると主張し、その勢力を拡大していく。

しかし、規模が大きくなると、信仰だけを突き詰めることができなくなってくる。

「言刻会」の人間関係を機に教祖は姿を消してしまい、「言刻会」は徐々に崩壊していく。

BTTF葬送

名作と呼ばれる映画が世に誕生しなくなって久しい。

ある時から、映画には魂があり、その魂の量に限りがあるという主張が広まっていく。

すでに魂は限界であり、それゆえに名作が生まれないのだと。

未来の映画の為に過去の映画を葬り去る必要があるとして、映画の葬送会が行われるようになっていた。

対象は100年以上たった映画に限定されるが、過去の名作映画が次々に葬送されて姿を消していく。

ある葬送会の会場で、葬送に疑問を持った人物が事件を起こそうとする。

バックトゥザフューチャーが失われるのは許すことができない、と。

不滅

ある時から、人間の遺体は不滅となった。

腐ることも傷つけることも焼くこともできなくなったのだ。

当然、そんな状態では遺体がどんどんと溜まっていく。

そこで考えられたのは、遺体を宇宙に飛ばすことだった。

葬送船と呼ばれる宇宙船に乗せて、希望する星に飛ばして弔おうというものだ。

だが問題があった。

葬送船を飛ばす数には限界があり、亡くなる人の数を到底まかなうことができない。

宇宙に行けない遺体は、掘った穴の中に葬られていく。

新しい宇宙港が急ピッチで建設され、それにより、大幅に葬送船を送る能力が増えたが、実はこの宇宙港には秘密があった。

そこに気づいた男が、宇宙港に爆弾を仕込んで国民に向かって選択を迫る。

奈辺

奴隷制度のあるニューヨーク。

白人による黒人への差別は当たり前のように行われていた。

通常であれば、白人が経営する酒場には黒人が入ろうとすると拒否される。

だが、とある酒場では、白人も黒人も差別なく、酒を飲み、楽しむことができた。

そんな酒場には実は特別な秘密があった。

それは、あるとき、白人経営の酒場に、緑色の肌をした宇宙人が不時着したことから始まった。

回祭

回樹を保護する人々が増えていく中、年に一回、回樹に家族を飲み込ませた人々が集まる回祭が開かれるようになっていた。

蓮華は、数年前からボランティアとして回祭に参加している。

大型トラックの運転ができる蓮華は、回祭に必要な資材や食料を運ぶ役を担い、ほかのスタッフからも信頼を勝ち得ていた。

だが、蓮華がボランティアに参加したのには理由があった。

いつか死ぬかもしれないとある人物の遺体を、誰にもばれずに処分する必要があったからだ。

愛は変化するもの

『回樹』でやはり一番考えさせられたのは、表題作でもある「回樹」でした。

遺体を回樹に飲み込ませることで、その人への愛を転移させられる。

それは、その人のことを愛していたかどうかの指標にもなるわけです。

物語の中では、たくさんの人に慕われていた人物の遺体が回樹に飲み込まれたことで、一気に回樹を愛し、守ろうとする人が増えたという話も出てきます。

逆に、夫婦であっても、恋人であっても、愛していなければなにも感じない。

「回樹」では、愛していたはずの恋人への想いが、どこかで愛ではなくなっていったのではないかという疑問が投げかけられます。

付き合いたてのころは間違いなく愛していた。

でも、いまはどうなのだろう、と。

それって現実の恋人関係、夫婦関係でも言えることですよね。

愛って、いつまでも同じであるはずがないんですよ。

でも、結婚して、子どもができて、家庭としての形が変化していけばそれは当たり前のことで。

愛だって、異性としての愛から、妻を、夫を、家族に向ける愛に変わっていくのかなとも思います。

逆に、けんかしたり、相手の嫌な部分が見えるようになってきて関係が崩れることもあります。

そうなれば愛はなくなってしまうのでしょうか。

回樹のように、愛があるかどうかを判別できるものがあるっていうのは、凄いことでもあり、恐ろしいことでもありますね。

気づかない愛もある

「回樹」の先の話になる「回祭」。

こちらは、恨んでいた、妬んでいたと思っていた相手の遺体を飲み込ませる話ではあるのですが、これもまた愛ってなんなんだろうなって考えさせられます。

誰かを愛するってことは、基本的には自覚できるものなのかなと思います。

自分の好意ですからね。

でも、散々憎まれ口をたたいたり、嫌っていると思っていた相手でも、実は自分にとってかけがえのない存在になっていたということもあります。

自分の近くからいなくなって初めて気づく大切な存在、みたいな。

これってかなりきついですよね。

大切に思っていたと自覚していれば、いつでもそれを形や行動にできるのに、自分自身が知らないのであれば、後悔しか残らない。

だから、「回祭」を読んだあと、ふと自分の人間関係ってどうなんだろうって思い返してしまいました。

おわりに

そのほかの、「不滅」も「奈辺」も考えさせられましたし、「BTTF葬送」を読むと、懐かしの映画を手に取りたくなります。

いや、バックトゥザフューチャーはなくなっちゃいやですね。

あの時代は好きな映画が多すぎました。

ということで、SFの短編集でした。

読み終わって思うのは、恋愛小説じゃなくてもやっぱり斜線堂有紀さんはすごい!ってこと。

これでこの方の作品は三冊目ですが、ほかのにもどんどん手を伸ばしていきたいと思います。