本の名言

夏目漱石の名言まとめ!「ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ」

日本の著名な文豪の一人・夏目漱石。

『坊っちゃん』や『吾輩は猫である』といった誰もが聞いたことがある名作の著者です。

そしてその中には、とても考えさせられたり、勇気をもらうような言葉もたくさんあります。

夏目漱石の作品の中で私の心に残った言葉を紹介していきます。

改めて読みなおしながらなので読むたびに少しずつ更新していく予定です。

Contents

『吾輩は猫である』の名言

「元来人間というものは自己の力量に慢じてみんな増長している。少し人間より強いものが出て来ていじめてやらなくてはこの先どこまで増長するか分からない」

「あれは嫌だ、これは嫌だと云うのは贅沢な我儘で到底教師の家にいる猫などの口にすべきところではない」

「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」

「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」

「危きに臨めば平常なし能わざるところのものを為し能う。之を天祐という」

「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」

「なぜ人間は口から煙を吸い込んで鼻から吐き出すのであるか、腹の足しにも血の道の薬にもならないものを、恥ずかし気もなく吐呑(とどん)して憚らざる」

「理はこっちにあるが権力は向うにあると云う場合に、理を曲げて一も二もなく屈従するか、または権力の目を掠めて我理を貫くかと云えば、吾輩は無論を択ぶのである」

「人間の定義を云うとほかに何にもない。ただ入らざる事を捏造して自ら苦しんでいる者だと云えば、それで充分だ」

「寿命は自分の自由にはなりません。決心で長が生きが出来るものなら、誰も死ぬものはございません」

『坊っちゃん』の名言

「校長は時計を出して見て、追々ゆるりと話すつもりだが、まず大体の事を呑み込んでもらおうと云って、それから教育の精神について長いお談義を聞かした。おれは無論いい加減に聞いていたが、途中からこれは飛んだ所へ来たと思った。校長の云うようにはとても出来ない。おれみたような無鉄砲なものをつらまえて、生徒の模範になれの、一校の師表と仰がれなくてはいかんの、学問以外に個人の徳化を及ぼさなくては教育者になれないの、と無暗に法外な注文をする。そんなえらい人が月給四十円で遥々こんな田舎へくるもんか」

「いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰はご免蒙るなんて下劣な根性がどこの国に流行ると思ってるんだ。金は借りるが、返す事はご免だと云う連中はみんな、こんな奴等が卒業してやる仕事に相違ない」

「ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ」

「考えてみると世間の大部分の人はわるくなる事を奨励しているように思う。わるくならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する」

「教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにあると思います」

『草枕』の名言

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」

「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である」

「あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。住みにくき世から、住みにくき煩いを引き抜いて、ありがたい世界をまのあたりに写すのが詩である、画である。あるは音楽と彫刻である」

「世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏のごとく、日のあたる所には影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂いよいよ深く、楽み大いなるほど苦しみも大きい」

「恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう」

「怖いものもただ怖いものそのままの姿と見れば詩になる。凄い事も、己れを離れて、ただ単独に凄いのだと思えば画になる」

「四角な世界から常識と名のつく、一角を麿滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう」

「放心と無邪気とは余裕を示す。余裕は画において、詩において、もしくは文章において、必須の条件である」

「全くです。画工だから、小説なんか初からしまいまで読む必要はないんです。けれども、どこを読んでも面白いのです。あなたと話をするのも面白い。ここへ逗留しているうちは毎日話をしたいくらいです。何ならあなたに惚れ込んでもいい。そうなるとなお面白い。しかしいくら惚れてもあなたと夫婦になる必要はないんです。惚れて夫婦になる必要があるうちは、小説を初からしまいまで読む必要があるんです」

「すると不人情な惚れ方をするのが画工なんですね」

「不人情じゃありませ ん。非人情な惚れ方をするんです。小説も非人情で読むから、筋なんかどうでもいいんです。こうして、御籤を引くように、ぱっと開けて、開いた所を、漫然と読んでるのが面白いんです」

「世の中はしつこい、毒々しい、こせこせした、その上ずうずうしい、いやな奴で埋っている。元来何しに世の中へ面を曝しているんだか、解しかねる奴さえいる。しかもそんな面に限って大きいものだ」

「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」

『三四郎』(前期三部作)の名言

「「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より…」でちょっと切ったが、三四郎の顔を見ると耳を傾けている。

「日本より頭の中の方が広いでしょう」と言った。

とらわれちゃだめだ。

いくら日本のためを思ったって贔屓の引き倒しになるばかりだ」

「世界はかように動揺する。

自分はこの動揺を見ている。

けれどもそれに加わることはできない。

自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。

そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう

はなはだ不安である」

「明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年を四十年で繰り返している」

「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」三四郎は翻訳の意味を了した。

「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫も人格上の感化を与えていない」

「研究心の強い学問好きの人は、万事を研究する気で見るから、情愛が薄くなるわけである。人情で物をみると、すべてが好ききらいの二つになる」

「高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」

「文芸は技術でもない、事務でもない。

より多く人生の根本義に触れた社会の原動力である」

「それ自身が目的である行為ほど正直なものはなくって、正直ほど厭味のないものはないんだから、万事正直に出られないような我々時代の、こむずかしい教育を受けたものはみんな気障だ」

「相談は一人一人にかぎる。

おおぜい寄ると、めいめいが自分の存在を主張しようとして、ややともすれば異をたてる。

それでなければ、自分の存在を閑却された心持ちになって、初手から冷淡にかまえる。

相談はどうしても一人一人にかぎる。

その代り暇はいる。金もいる。それを苦にしていては運動はできない」

「偉い人も偉くない人も社会へ頭を出した順序が違うだけだ。なにあんな連中、博士とか学士とかいったって、会って話してみるとなんでもないものだよ。第一向こうがそう偉いともなんとも思ってやしない」

「馬券であてるのは、人の心をあてるよりむずかしい」

「人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ」

「現代人は事実を好むが、事実に伴なう情操は切り捨てる習慣である。

切り捨てなければならないほど世間が切迫しているのだからしかたがない。

その証拠には新聞を見るとわかる。

新聞の社会記事は十の九まで悲劇である。

けれども我々はこの悲劇を悲劇として味わう余裕がない。

ただ事実の報道として読むだけである」

『それから』(前期三部作)の名言

「自分の神経は、自分に特有なる細微な思索力と、鋭敏な感応性に対して払う租税である。

交渉な教育の彼岸に起る反響の苦痛である。

天爵的に貴族となった報に受る不文の刑罰である。

是等の犠牲に甘んずればこそ、自分は今の自分に為れた」

「麺麭に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。

麺麭を離れ水を離れた贅沢な経験をしなくっちゃ人間の甲斐はない」

「余計な事をして愛想を尽かされるよりは黙っている方が安全だ」

「渡金を金に通用させ様とする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑を我慢する方が楽である」

「働らくのも可いが、働らくなら、生活以上の働でなくっちゃ名誉にならない。

あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭を離れている」

「代助は凡ての道徳の出立点は社会的事実より外にないと信じていた。

始めから頭の中に硬張った道徳を据え付けて、其道徳から逆に社会的事実を発展さえ様とする程、本末を誤った話はないと信じていた。

従って日本の学校でやる、講釈の倫理教育は、無意義のものだと考へた」

「彼の考によると、人間はある目的を以て、生れたものではなかった。

之と反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。

最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、其人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。

だから人間の目的は、生れた本人自身に作ったものでなければならない」

「僕の存在には貴方が必要だ。何うしても必要だ。

僕は夫丈(それだけ)の事を貴方に話したい為にわざわざ貴方を呼んだのです」

『門』(前期三部作)の名言

「なに不景気な顔さえしなければ、どこへ行ったって歓迎されるもんだよ」

「道は近きにあり、かえってこれを遠きに求むという言葉があるが実際です。

つい鼻の先にあるのですけれども、どうしても気がつきません」

『こころ』の名言

「痛ましい先生は、自分に近づこうとする人間に、近づくほどの価値もないものだから止せという警告を与えたのである。他の懐かしみに応じない先生は、他を軽蔑する前に、まず自分を軽蔑していたものとみえる」

「しかし……しかし君、恋は罪悪ですよ。解っていますか」

「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠していないつもりです」「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」

「止めましょう。とにかく恋は罪悪ですよ、よござんすか。そうして神聖なものですよ」

「かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥けたいと思うのです。私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しさを味わわなくてはならないでしょう」

「平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際、急に悪人に変るんだから恐ろしいのです。だから油断できないんです」

「昔の親は子に食わせてもらったのに、今の親は子に食われるだけだ」

「香をかぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。一度平気でそこを通り抜けたら、馴れれば馴れるほど、親しみが増すだけで、恋の神経はだんだん麻痺して来るだけです。私はどう考え直しても、この従妹を妻にする気になれませんでした」

「私は冷やかな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体が動くからです。言葉が空気に波動を伝えるばかりでなく、もっと強い物にももっと強く働き掛ける事ができるからです」

「私は金に対して人類を疑ったけれども、愛に対しては、まだ人類を疑わなかったのです」

「本当の愛は宗教心とそう違ったものでないという事を固く信じているのです」

おわりに

夏目漱石の作品は、日本の明治・昭和の小説の中では比較的読みやすい部類に入ります。

その頃の小説を読んでみたいという人の導入にはちょうどいいかなと感じます。

夏目漱石の作品も、最初に出た「吾輩は猫である」から、晩年の作品である「こころ」などに時代を経るとともに、作風や使う言葉にも変化が出てきます。

ここで紹介した名言、私が気に入った言葉たちも時代とともに変化してきているように思います。

まだすべては紹介できていませんが、再読していく中で更新していければと思います。