小説の新人賞に応募しているのに、全然一次選考を突破できない!
そこには必ず理由があるはずです。
もしかしたら、そもそも選考対象になっていない可能性もあります。
何かがその小説に足りないのかもしれません。
ここでは、実際に下読みをしたことがある人や、編集部にいた人の情報をもとに、わかったことを紹介していきます。
Contents
小説とは関係ない部分で
募集要項をよく読んでいない
募集要項はきちんと読んでいますか。
新人賞について、主体となっている出版社などのホームページや文芸誌で確認していますか。
私が初めて新人賞に応募したとき、最初は公募ガイドのページだけを見て送ろうとしていました。
でも、公募ガイドには、紙面のサイズが決まっているため、すべての情報が載っていません。
ホームページに行ってみて、ようやく募集要項の全体がわかり、情報が足りていなかったことに気づきました。
たとえば、原稿を送るときに、右上つづりでダブルクリップなどと決まっている場合もあります。
それを左上を紐でつづっていたら受け取った側はどう感じるでしょうか。
その時点で、不採用の箱に投げ入れられてしまいます。
もしかしたら、あなたが送った原稿は、募集要項に書かれていることを満たしていないかも。
締め切りオーバー
これは当然ですが絶対だめですよね。
でも、みんなぎりぎりまで粘っていい作品を書きたいと思います。
消印が締切日になってしまうことって割と多いのではないでしょうか。
元編集者の方の話では、締め切りのラスト一週間に、駆け込みのように一気に応募原稿が送られてくると話していました。
締め切りは一日でも過ぎてしまえば、その時点で読まれることはありません。
余裕を持って送りましょう。
また、Webで応募することができる新人賞も増えてきています。
こちらもぎりぎりで送ろうとする人が多いためか、締切日近くになると、うまく接続できなくなるそうです。
郵送よりも、Webの応募の方が更に余裕をもって送るか、他の人が送りそうにない時間帯を狙ってみましょう。
梗概に問題がある
多くの新人賞では、原稿と一緒に、梗概(こうがい)を送るように求められます。
梗概とはあらすじのことですが、文庫本の裏にあるような簡単な紹介とは違います。
その作品の全体がわかるように書く必要があるため、冒頭から結末まで余すことなく書きましょう。
煽るような文章はNGです。
「二人の運命やいかに!?」
「最後の最後で驚きのどんでん返しが!?」
なんて言葉で梗概を終えてはいけないってことですね。
募集要項をよく読んでいればわかることだと思うのですが、やはり中にはそうした梗概を送る人がいるようです。
ミステリーの新人賞の場合、トリックを書いたらいいのか迷う人もいるそうです。
その場合も、きっちり書くことが重要です。
下読みさんの話だと、梗概を読んだ時点で、小説の出来がある程度予想できるといいます。
短い梗概ですが、原稿と同じくらい注意を払って書きましょう。
プロフィールに問題がある
プロフィールも原稿と一緒に送ります。
必要な項目は、募集要項に書いてありますが、新人賞によっては、様式が決まっていることもあります。
その様式でないといけない、と定められていれば、その通りに作りましょう。
余計な項目を増やしたら悪目立ちをします。
個人情報うんぬん、と気になる人もいるかもしれません。
名前、電話番号、住所なども求められますからね。
でも、もし受賞することになれば必ず必要となる部分。
必要だから求められているということです。
また、募集歴という項目があることも結構あるんですね。
このときに、
「〇〇賞一次選考落選、△△賞二次選考落選、◇◇賞一次選考落選」
みたいに、落選の記録をつづる人もいるみたいです。
全部そこまで書くのはちょっと。
書くとしても、ここ数年の最終選考に残った分くらいでいいようです。
カテゴリーエラーかも
カテゴリーエラーというものがあります。
あなたが応募した原稿が、新人賞が求めているジャンルとずれているかもしれません。
ミステリーの賞に純文学の作品は送りませんよね。
ファンタジーの賞に、日常を描いた作品はそぐいません。
自分の書いた小説がどのジャンルに当てはまるのかというのはよく考えましょう。
また、ジャンルは合っていても、そのレーベルに合っていない可能性もあります。
児童文学をたくさん出しているレーベルに、残酷なシーンが盛りだくさんなミステリー小説だと、受け入れがたいものです。
作品以外に余計なものがある
これも時々あるそうです。
だいたいの新人賞は、小説の原稿、梗概、プロフィールを同封して送ります。
でも、それ以外に余計なものがついてくることがあるとのこと。
たとえば、その小説の解説書です。
どういうテーマで、どういう意図を持って書かれたものか、ここの部分がこういう意味を持っているなど。
ファンタジー系の小説だと、その世界観や、その世界の地図が入っていたこともあるようです。
中には、応募者がモデルのようなポーズを決めた写真が同封されていたこともあるとか。
余計なものは入れないこと。
それはマイナスになることはあっても、プラスにはなりません。
原稿以外の部分で他の応募者と違ったことをすると悪目立ちするだけです。
自分の小説にこんな部分がないかチェックしよう
基本的な小説のルールを間違えまくっている
小説を書く上で、基本となっているルールがあります。
たとえば、文章の頭は一マス空けるとか、「…」を使うときは二つ続けて「……」と使うとか。
こうしたルールって、調べたらいくらでも出てくるんですよ。
最低限そのあたりは抑えて小説を書きましょう。
新人賞の選考をした人の中には、
「文章の上手い下手や、間違いだけで落とさない。その作品がおもしろいかどうかが重要だ」
とおっしゃる方もいます。
でも、それはよほどおもしろい場合だけじゃないですかね。
一か所二か所くらいなら、ちょっと間違えたで済みますが、小説全体を通してそれだと、
「ああ、この人はよくわかっていないんだな」
と思われます。
そうした努力で改善できる部分で、マイナスな印象を持たれるのはもったいない。
作品の内容で勝負したいなら、変なところでケチがつかないようにしたいですね。
単純にわかりづらい
小説の文章というのは、或る意味芸術的な部分がありますよね。
純文学の小説だと、それだけで読者に充足感を与えてくれたりもします。
でも、それがあまりにも相手に伝わらない文章だと問題です。
比喩を使いすぎて、作者以外にどういう意味か伝わらない文章。
それが一か所、二か所ではなく、随所にあったら、
「すごい文章だ!」
と思うよりも、
「なんか読みにくいなーこれ」
と思われてしまいます。
小説は読者に理解されなければ意味がありません。
自分の文章が読者を置いてけぼりにして独りよがりになっていないかチェックしましょう。
ほかにも読みづらい小説としては、
〇描写や説明があまりにもなさ過ぎてよくわからない
〇逆に説明過多で、ずっと説明を聞いている気持ちになる
〇会話文はあるのに、誰のセリフかわからない
〇時系列がころころ変わって、今、どこかわからない
といったものが考えられます。
神視点の小説になっている
小説を書く場合、一人称か三人称が基本ですね。
ごくたまに、二人称の小説なんてものもありますが、それは熟練のプロの技で、新人賞で狙って書くものではありません。
ということで、一人称か三人称なら自分が書きやすい方、その小説に合っている方を選択すればいいと思います。
ただ、たまに神視点の小説が応募されることがあるようです。
神視点とは、物語全体を上から俯瞰したようにすべてが見えている状態で描かれているものです。
たとえば、こんな文章。
武志は、健太に向かって「またな」と言い、店の前で別れ、健太とは反対方向へ歩いていった。その後ろで健太が苦々しい表情を浮かべていることに武志は気づいていなかった。
武志は健太に背中を向けて歩いているのだから、健太の表情なんてわからない。
だから、それが描かれているとおかしいわけです。
上から見下ろしている神様だから見えているんですね。
受賞作に、こうした矛盾もたまーにあるんですが、小説全体を通して神視点の人はさすがにいない。
一般文芸において、こうした視点の書き方は好まれません。
視点がぶれぶれ
続けて、視点繋がりで言うと、視点がぶれぶれになっているのも問題です。
登場人物は何人も作品の中に出てくると思いますが、基本的には、一人の視点から物語は書きます。
一人称でも三人称でもそれは同じことです。
それなのに、さっきまではAの視点だったのに、会話が終わったときにはBの視点になっているなんてことが。
今、誰の話なのかわからなくなります。
もしも、主体となる人物を変えるとしたら、章が変わったタイミングなどでないとおかしくなります。
芦沢央さんのデビュー作である『罪の余白』では、複数の人の視点で物語が進みます。
でも、それはきちんと章ごとに中心となる人物が変わっています。
章の中では視点が統一されているから問題ないわけですね。
基本的には一人の視点で物語は進める。
視点を変えるときは、わかりやすいように章が変わったタイミングなど区切りのいいときにすることを心がけましょう。
主人公がいない
主人公がいないという問題もあります。
「いやいや、小説なんだから主人公はいるでしょう」
と思いますよね。
でも、書いているうちに誰が主人公だったかわからなくなるような作品も応募されてくるようです。
冒頭から、これが主人公だろうと思っていた人物が、途中から出番が減ってきて、最後の方は敵役だった人に話がシフトしていたり、いろんな人の視点で話を進めるからよくわからなくなったり。
話を盛り上げていくために、中心となる視点が変わることはあっても、あくまでも、物語全体の主役はこの人というものがないと、読者は共感しづらいですよね。
連作短編とか、群像劇とかなら、その短編ごとに主役がいてもおかしくありません。
でも、長編小説であれば、主軸となるものがないとわかりづらくなってしまいます。
応募作品が完結していない
完結していない作品は基本的にNGです。
ライトノベルの新人賞だとよくあるみたいですね。
謎や問題がいくつも残されたまま、
「僕たちの戦いはこれからだ!」
と終わる物語。
明らかにまだまだこの先が続くわけです。
たしかに、ライトノベルって、一般文芸と違って、シリーズ化するのが前提みたいなところはあると思うんですよ。
一作目でその物語のファンを獲得して、そこから続けていくっていう。
ですが、謎や問題は、その物語の中で完結させましょう。
あくまで、新人賞は、その作品だけで冒頭から最後までおもしろく、しっかりと書けているかを見られます。
既存作品にそっくり
「なかなかよく出来てるけど、どこかで見たことがある物語だぞ」
そんな風に感じる応募作もよく送られてくるみたいです。
誰かの作品に影響を受けるということは、当然あることです。
私も小説を読みながら、
「こういうテーマで書いてみたいな」
と思うことはよくあります。
でも、登場人物の設定や、世界観、舞台となる場所まで同じようにしてしまうと、それはただの模倣です。
それも、プロの書いた小説を越えることができていなければ、劣化コピーと思われても仕方ありません。
たまたま偶然、そうなってしまう場合もなくはないでしょうが、たとえ影響を受けても、それとはまったく異なる作品に仕上げていきたいところです。
アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』をオマージュしている作品ってけっこうありますよね。
でも、それらは、『そして誰もいなくなった』に影響を受けたとしつつも、まったく別の作品としての魅力を持ったものばかりです。
とにかく地味
地味な小説って読んでいておもしろくないですよね。
コロナ渦に入ってからの応募には、自身の日常を描いた小説の応募が急増したそうです。
でも、そんな事件も問題も起きていない小説って誰が読みたいんでしょうか。
純文学の新人賞なら、全体通して大きな変化がなくても、その心理描写だとか、人間のさまが読者に感銘を与えることもあります。
でも、一般文芸、特にミステリーやエンタメ系を求めている新人賞に、動きのない作品を出したところで、どうしろというのでしょうか。
派手な文章を書けというわけではありませんが、物語が躍動し、読者が楽しめるものが求められます。
おわりに
新人賞を一次選考で落とされてしまったときに、考えておきたいことを紹介してきました。
自分で書いていながら、過去の自分の作品のことを思い返して、心に来るものがありますね。
一次選考に落ちた作品たちには、少なからず当てはまる部分があったなーと。
いや、このあたりは、応募初挑戦の人だとけっこう通る道なのかもしれません。
自分の作品を振り返って、改善していくと、一次選考を突破する確率はちょっとずつ上がっていきます。
ここで書いたのは最低限、この辺りは気にしたいなという部分です。
まずは一次選考突破!
そして最終選考、新人賞受賞を目指して頑張っていきましょう。