〈古典部〉シリーズ

米澤穂信『ふたりの距離の概算』の書評。相手との距離を考えることも必要。

ふたりの距離。

この言葉を聞いたときにぱっと思い浮かぶのは、

〇物理的なふたりの距離

〇気持ちなど精神的なふたりの距離

〇人間関係でいう距離感

といったところでしょうか。

いったいどんな意味を持ってこのタイトルをつけたのかなと期待しつつ読ませてもらいました。

今回紹介するのは米澤穂信さんの、

『ふたりの距離の概算』です!

〈古典部〉シリーズの第5巻!

ついに学年は高校2年生に。

古典部メンバーも先輩になりました!

Contents

『ふたりの距離の概算』のあらすじ

高校2年生になった奉太郎たち古典部メンバー。

多種多様な部活動がしのぎを削る神山高校では、「シンカン」への熱の入りようも尋常ではない。

新入生歓迎ではなく、新入生勧誘となっているのが神山高校クオリティ。

古典部もまた後輩獲得のために勧誘を行うのであった。

とはいえ、特に売りにするものがあるわけでもない古典部。

マイペースに勧誘をする奉太郎たちだったが無事に1名の1年生が仮入部することに。

 

1年生の名前は大日向友子。

明るく物怖じしない性格で、すぐに古典部メンバーとも打ち解ける。

奉太郎の誕生日を祝ったり、みんなで新しくオープンする喫茶店に行ったりと関係は良好に思われた。

しかしある日、大日向は、謎の言葉を残し、古典部に入部はしないと告げる。

その日、部室にいたのは奉太郎と千反田、大日向の3人。

自分の責任だという千反田。

千反田と大日向の会話が原因があったようだが、千反田が他人を傷つけるような性格ではない。

なにか行き違いや誤解があると考えた奉太郎。

部活入部の締め切り日でもある神山高校のマラソン大会。

奉太郎は大日向と出会ってからの2か月を振り返りながら、真相を推理する。

「菩薩」に込められた意味

その問題となった日、大日向は廊下ですれ違った伊原に入部はしないことを告げます。

そのとき、千反田のことを、

「千反田先輩は菩薩のように見えますよね」

と話したとのこと。

この言葉をぱっと聞いたとき、特に悪い意味には感じませんよね。

そもそも菩薩という言葉をふだん使うことがないんですが。

でも、『ふたりの距離の概算』の中では、外見が菩薩のように見えるなら内面はなんなのかという奉太郎の問いに里志が、

「外面(げめん)は菩薩の如くなら、内心は決まってる。……夜叉さ」

(米澤穂信『ふたりの距離の概算』(友達は祝われなきゃいけない)P129より)

と答えます。

私は読むまで知らなかったのですが、これってことわざにあるんですね!

『外面如菩薩内心如夜叉』

げめんにょぼさつないしんにょやしゃと読むそうです。

意味は、外見はやさしく穏やかに見えるが、心の中は邪悪で恐ろしい。

主にそういった女性に対して使う言葉です。

実際にそういう人っていますよね、おそろしい……。

思い込みや誤解で見える姿も違ってくる

でも、〈古典部〉シリーズを読んでいる人からすると、

「その言葉は千反田にはまったくあっていない!」

と感じますよね。

あきらかに大日向の中でなにか誤解があって、千反田のことがそういう風に見えてしまっています。

一つ一つの言動が気になってしまいますし、その裏を考えてしまうことも。

 

これは実際の人間関係でもいえることです。

「この人はこういう人だ!」

と思うと、その人がたとえいいことをしたとしても、それをそのまま受け止めることができない。

むしろ、なにげない行動を悪くとらえてしまうこともあります。

その逆に、信頼をされている人の言動は、ふつうのことでも好意的にとらえられやすいです。

レッテル張りとか、ラベリングとかいろんないい方をされますが、そういった部分に支配されてしまわないように気をつけないとと思わされます。

一昔前に養老孟子さんの『バカの壁』が流行ったことも思い出されます。

あれもこういう話でしたね。

友達というもの

『ふたりの距離の概算』の中に友達という言葉がたくさん出てきます。

大日向にとっての友達とは特別な意味を持つもの。

本書の中では、彼女は、多少込み入った話ができるようになったり、一緒にお弁当を食べたりする関係でもまだ友達という言葉を使いません。

逆に人類皆友達!!みたいな人もいますよね。

一緒に遊んだことがあればそれでもう友達!

友達の友達は自分にとっても友達!

みたいな。

なにが友達の概念かは人によって違いますが、『ふたりの距離の概算』ではこの友達が一つのキーワードになっています。

大日向は、友達が悪いことをしていた、その友達と友達だと周りに知られることは恐ろしい。

でもだからといってその友達を見捨てることも恐ろしい。

その友達は、違う高校に行くことになるというだけで大日向を責める。

それでも切ることができない。

中学生・高校生くらいだとこうした関係に縛られてしまうのも現実にあるものだと感じます。

すごく難しいですよね。

友達って別に自分に利益やメリットがあるといった理屈ではないところにある気がします。

気づけば友達になっているものだし、知らぬ間に疎遠になっていることも。

ただ、自分が苦しんでまでその関係を保つのは誰にとってもいいことではないなと思います。

私が同じ立場だったらどうするか……。

きっとふつうに距離をあけていくんじゃないかな。

相手から連絡がくれば応答はするけれど、自分からは積極的にかかわらないくらいの。

自分にとってなにが大切なのかを見定めて、よりその友達が大事であればこれまでどおりでいいし、それよりも大切にしなければいけないものがあればそちらを優先する。

少し薄情ですかね。

でも大日向がそれぞれ別の高校に入って心が楽になったとあるように、重しになっているものは降ろすのも必要なことかな。

おわりに

『ふたりの距離の概算』も無事読了!

今回は奉太郎がマラソン大会を走りながら過去を回想していくもの。

これはこれでちょっと新鮮でおもしろかったです。

一つ一つの回想にどんな意味や真相への手がかりがあるのか。

そんな風に考えながら読むのもとてもよかったです。

高校2年生になり、人間関係もかわり、これまでになかった悩みや葛藤も生まれてくる。

奉太郎たち古典部メンバーが心身ともに成長していく姿がまたよいものです。

次巻は『いまさら翼といわれても』。

こちらはさらにそれぞれの内面が浮き出ていて楽しいです。