夏目漱石

【5分でわかる】夏目漱石『行人』のあらすじ。後期三部作の一つである名作。

「夏目漱石の作品でどれが好きですか?」

そんなアンケートがあると、『こころ』や『坊っちゃん』、『それから』などとともによくタイトルが挙がるのがこの作品です。

今回紹介するのは、夏目漱石の『行人』です!

タイトル自体は、本好きでないとそこまで聞いたことがないかもしれません。

夏目漱石の『彼岸過迄』、『こころ』と並ぶ後期三部作の一つに数えられていますね。

刊行は1914年です。

ここでは『行人』のあらすじや感想を紹介していきます。

Contents

『行人』の登場人物

長野一郎

語り手である二郎の兄。

学者であり、家にいるときは部屋に引きこもって研究していることが多い。

物事を深く掘り下げて考える性質があり、考えすぎてしまっている。

妻の直を理解できないと思い、弟の二郎に彼女の貞操を試すよう頼む。

長野二郎

一郎の弟であり本作の語り手。

兄嫁である直のことは、結婚前から知っており、兄嫁という立場もあり複雑な気持ちを持つ。

家族が直のことを理解できないという中、直の味方である。

一郎の妻。

一郎を始め、長野家の面々に対して一歩引いた姿勢を見せている。

だが、二郎の前では気安い態度を見せることもある。

一郞の妹。

直のことはあまり快く思っていない。

自分だけが結婚適齢期なのにいい話が来ないことをとても気にしている。

一郞の家の下女。

少しぼんやりとしたところがある女性。

近々結婚することが決まり、二郎は貞をからかうのが楽しい。

H

兄の友人で、一郎を旅行に連れ出す。

二郎に頼まれて、旅先での兄の様子を長文の手紙にしたためてくれる。

三沢

二郎の友人。

二郎と旅行の待ち合わせで大阪に来たが、体調を崩し入院してしまう。

胃が悪いのに無茶な飲み方をする。

二郎と一郎の関係では相談に乗ってくれたりと頼りになる一面も。

『行人』のあらすじ

友達

二郎は友人である三沢と大阪で落ち合う約束をしていた。

その連絡を受ける場所として、岡田の家を指定する。

二郎は親からの言いつけで、岡田に用事があった。

それは、家の下女であるお貞と、佐野という人物の結婚話について。

実際に二郎は佐野と会い、親には良い人物のようであると手紙を送ることとした。

 

親との約束を果たした二郎であったが、一向に三沢は現れない。

三沢は胃腸を悪くして病院に入院していたのであった。

二郎が三沢を見舞うために何度も病院に行くうちに、病院にいたある女が気にかかる。

その女は、三沢が入院する前に会って一緒に酒を飲んだ相手だという。

三沢は、酒の席で、自分もその女も胃が悪いということを知りながらも、無理に女に酒を飲ませてしまい、その女が入院した責任は自分にあると話す。

二郎と三沢は、看護婦たちからその女の情報を聞きはするが、直接見舞いに行くことはなかなかできずにいた。

三沢は退院をするころになってようやく、その女の見舞いをすることを決めた。

無事に見舞いをすることができた三沢は、突然、かつて精神を病んで同じ家に住んでいた「娘さん」の話を二郎に始めた。

娘さんは、結婚をしたが、事情によって一年たつかたたないかのうちに、夫の家を出ることになった。

精神を病んでいたため、三沢の家にきたあとも部屋に引きこもっていることが多い。

しかし、三沢が外出をするときだけは、玄関まで送って出て、必ず「早く帰ってきてちょうだいね」というのだと話す。

その娘さんがなぜそんなことをしていたのか、三沢は病気でも構わないから自分のことを思ってくれての行動ならいいと考えていた。

だが、事実は少し違うと三沢はいう。

娘さんの元夫が、新婚早々、家を空けたり夜遅くに帰ってきたりと娘さんの心をさんざん苛め抜いており、娘さんは何もいわずにずっと我慢をしていたそうだ。

そのときのことが頭にずっと残っていて、旦那にずっといいたかったことを自分にいっていたのだという。

娘さんはその後、すでに亡くなっており、三回忌が近いため三沢は退院することにしたのであった。

やがて列車があらわれ二人はその場で別れる。

三沢と別れた翌日、二郎の母と兄・一郎、兄の嫁・直が大阪にやってきた。

母が以前から大阪に観光に来たいという思いと、お貞と佐野の結婚の話もあり、来ることになったようだ。

二郎も家族と一緒に観光を行ったり、温泉に入ったり。

そんな中、三沢が二郎に話してくれたお嬢さんの話が話題となる。

この話は兄が二郎よりも詳細に知っていた。

兄は二郎と二人になったときに三沢とお嬢さんの話をどう思うかと尋ねてくる。

お嬢さんは、本当に精神病の結果、三沢に「早く帰ってきてちょうだいね」といっていたと思うか、それとも、心底三沢のことを想っていっていたと思うかというのである。

わからないという二郎に兄は、お嬢さんは三沢に気があったのだと思うという。

ふつうの人間は義理や世間の手前もあり本音はいえないが、お嬢さんはそうでなかったから本当の気持ちが出てきたのだろうと。

そして、そういう状況にでもならないと女の本当の部分はわからないのかなと口にしていた。

 

旅行中、兄は二郎と二人きりになるタイミングを見計らって、妻の直が二郎のことを好きなのではないかという悩みを打ち明ける。

兄嫁が自分にそういう思いを持つはずがないと否定する二郎だったが、兄は女の心はわからないという。

しまいには、兄は二郎に対して、妻と二人きりで一晩泊まり、彼女の節操を試してほしいと依頼するのであった。

当然、拒否する二郎であったが、泊りではなく日帰りでという約束で兄嫁と旅行することとなる。

早く帰らなければと思う二郎であったが、そんな日に限り嵐がやってきて、電話もつながらず、一泊するしかなくなってしまうのであった。

翌日、兄たちのもとに帰った二郎であったが、話を聞きたがる兄に詳しい話を東京で話すことを約して、四人は東京へ帰った。

帰ってから

東京へ帰ってみると、特に兄と兄嫁の関係が悪くなる様子もなく、穏やかな日々が過ぎていった。

二郎の兄嫁と泊まることになった日のことを兄に話さなければならないという気持ちも、少しずつ薄れていっていた。

夏が過ぎ、秋が深くなっていったころ、兄の機嫌が悪くなっていく。

ある日、兄の部屋に入って話をしていると、兄からいつになったらあの日の話をしてくれるのかと問い詰められる。

しかし、二郎は話を横にそらそうとし、兄が求める話を拒否するだけでなく、兄が善良な夫であれば兄嫁だって善良な夫人であると戒めるようなことをいってしまう。

二郎のそうした軽薄な態度に兄は激怒する。

それからというもの、兄とは1週間が過ぎても食事のときにしか顔をあわさず口もきかなくなった。

家の居心地が悪くなった二郎は、家にいることがいやになり、下宿で暮らすことを決めた。

妹には泣かれ、母も気まずそうにその方がいいだろうという。

兄には自分で家を出ることを伝えるが、兄はその際に、パオロとフランチェスカという不倫の恋の話をし、「おれは一時の勝利者にさえなれない。永久に無論敗北者だ」と口にする。

話を続けようとしたところで兄嫁と兄の娘が部屋に来たためそこで話は終わりとなってしまう。

家を出た二郎は、しばらくして兄の様子がおかしくなったことを友人や家族から聞かされるようになる。

塵労

ある日、初めて兄嫁が二郎の下宿を訪れる。

兄嫁は二郎に、男は気楽でいい、いやになればどこへでも勝手に飛んで歩けるという。

兄嫁が帰ったあとも、兄嫁が家族の中で自分にだけ兄夫婦の関係を打ち明け、自分になれなれしく接することが二郎の心をとらえて離さないのであった。

それからしばらくして、父が二郎を訪ねることになった。

二郎は父と一緒に散策をしたあと、久しぶりに実家へと顔を出す。

そこで二郎は、兄の様子が二郎が家を出る前と少しも変わることないことに失望を覚える。

家族は兄一人のために家中の空気が湿っぽくなりつらいと話す。

 

二郎は両親と相談し、兄をその親友のHに頼んで、旅行に連れ出してもらうことにした。

しばらくして、兄とHが旅行にいくことが決まる。

二郎は、旅行中の兄の様子を手紙に書いて送ってくれHに頼むのであった。

なかなかHからの手紙が来ずやきもきする二郎であったが、11日目に長文の手紙がHから届く。

その中には旅行中の兄の苦悩が詳細に書かれていた。

それは、ふだん二郎が知ることのできない、Hから見た兄の姿であった。

人を信じられないことは苦しい

『行人』を読んで思うことは、兄の一郎は苦しかっただろうなということ。

妻を信じられない、家族を信じられない、そんな中で疑いを持って生きていくことはなんと苦しいことでしょうか。

実際に兄嫁が二郎に対して特別な想いを抱いていたかは別にして、そういう目で見てしまうって自分でも嫌になりますよね。

妻や家族を信じられない自分自身のことも嫌になるし、二人が接している姿を見るだけで不安も疑念も膨らんでいきます。

二人の間に本当に特別な何かがあったわけでなくても、そう疑ってしまうだけでそれまでと同じように付き合っていくのは難しいものです。

一郎にとって家庭はもう休まる場所ではなくなってしまっていたのでしょう。

お嬢さんの真相はどうなのか

『行人』で気になることの一つは「お嬢さん」。

三沢の話に出てきて、一郎も気にしていたお嬢さんです。

三沢のいうように、精神病から三沢に対して早く帰ってきてちょうだいと言っていたのか、兄が思うように、心底三沢のことを想って言っていたのか。

私も読みながら考えていましたが、結局これはどちらでもいいんだろうなと感じます。

お嬢さんが本当に三沢を想っていたのだとしても、そうでなかったとしても、それはわかりはしないこと。

だったら、それを自分たち側がどう受け止めて、どう接するかに尽きるのかなと。

相手がこう思っていたから自分はこう行動するということではなく、自分はこう思うからこう行動したという形がいいのだろうと。

少なくとも三沢は、お嬢さんの気持ちはどうあれ、真摯に向き合っていたのだろうと思いました。

その姿勢こそが必要なことなのでしょう。

自意識がもたらすもの

『行人』では一郎の自意識の強さが目立ちます。

一人で考え込んで一人で思い込んで、悪い方へと進んでいっています。

一郎は、『行人』を読む限り優秀な人物なのだと思います。

学問に秀でて、学ぶ姿勢も社会人になってからもなくならない。

友人からの評価も悪いものではない。

ただその自意識の強さが一郎の欠点に感じられます。

一郎って周りの人に対して、「この人はこうだ」と決めつけているところもありますよね。

そしてけっこうなわがままです。

妻である直にたいしても「霊も魂も所謂スピリットも掴まない女と結婚している」といい、その本心がわからないものだから二郎をけしかけてみようと考える。

二郎の答えが気に入らないと怒りだす(二郎も悪いと思いますが)。

自分の態度で家庭の空気が悪くなっていても、省みようともしませんね。

そうした中で家族だけが疲弊していってしまう。

これは家庭でも職場でも同じようによくあることですが、苦労するのはまわりばかり。

本人の自覚がないものはどうすべきか難しいものです。

おわりに

夏目漱石の後期三部作は、人間のエゴや自意識に焦点があてられているものといわれています。

『彼岸過迄』『行人』『こころ』だと、この『行人』が一番そういった部分が出ていてわかりやすい気がします。

話としてもおもしろいし、自分にも当てはめやすくてついのめり込んで読んでしまいます。

前期三部作は順番に読んだ方がいいなと思いましたが、後期三部作はどれから読んでも楽しめると思います。

また、夏目漱石の自意識に対する解説本も合わせて読むと、この後期三部作はより深く読める気がします。

そちらも機会があればあわせて読んでみてください。