書店員という仕事。
読書好きからすると、憧れ以外の何物でもありません。
学生時代に私も書店でアルバイトすればよかったと勝手に思っていました。
でも、現実はとても厳しい。
本が好きだという想いがなければやってられないほどハード!
極めつけはこんなバカな店長がいたら……。
今回読んだのは、早見和真さんの『店長がバカすぎて』です!
2019年に発売され2021年に文庫化されました。
書店員を主人公とした小説で、読書好きからすると、うらやましくてしかたない書店員という仕事の、苦労もやりがちも詰め込まれています。
こんなバカな人たち、身近にいる気がして、共感しまくりでした。
ここでは、『店長がバカすぎて』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『店長がバカすぎて』のあらすじ
本をこよなく愛する契約社員の谷原京子。
彼女は、武蔵野書店という街の小さな本屋で書店員として働いていた。
薄給なのに仕事はハード。
残業するのも当たり前。
職場としての環境は必ずしもいいとは言えないが、小さい頃から念願だった書店員という仕事。
自分を理解してくれる憧れの先輩もいて、どうにかこうにかがんばってきた。
しかし、今日も京子は、腹が立ってしかたがなかった!
とにかく、店長がバカすぎる!
朝礼が長すぎる。
書店の店長なのに本を読まない。
やたらと自己啓発本のセリフを多発する。
会話は噛み合わないし、仕事はできない。
タイミングの悪いときに、言わなくてもいいことを言ってしまう。
何度、「辞めてやる!」と思ったことか。
それをなんとか押しとどめてきたのは、憧れの先輩書店員がいたからだ。
しかし、ある日、その先輩が書店を退職することになってしまう。
世の中はバカばっかりだ
もうね、タイトルの時点でおもしろい雰囲気がにじみ出ていますよね。
読んでみたら期待を裏切らないおもしろさ。
コメディタッチでするすると読めて、現実にこんなことばかり起きたら大変だけど、それは物語なのでご愛敬。
店長がバカってのもいいですよね。
実際に、社会人でも、学生さんでも、
「本当にこの人はバカだ」
って感じている人ってたくさんいると思います。
うちも、すごくバカな先輩や後輩がいます。
「なんでそこでそういうことするの!?」
ってことがしょっちゅうで、そのたびに、周囲の職員がフォローに回らなければいけなくなるという。
『店長がバカすぎて』は、連作短編みたいな形を取っているんですが、
〇店長がバカすぎて
〇小説家がバカすぎて
〇弊社の社長がバカすぎて
〇営業がバカすぎて
〇神様がバカすぎて
〇結局、私がバカすぎて
の6編からなっています。
もうどれだけバカばっかり出てくるんでしょうね。
そして最後には自分がバカだったって。
いや、そう考えてみれば、自分自身も、自分のことがちゃんと見れてないってこともよくある話で。
一話ずつ読んでもいいし、勢いに任せて一気読みするだけのおもしろさもあって、とにかく傑作だと言える一冊でした。
漠然とした将来への不安
さて、主人公の谷原京子さん。
序盤は店長だとか小説家だとか、周囲のおバカな人たちに振り回されて、
「もう辞めてやる!」
と叫び、なんだかんだ問題を解決していくわけです。
でも、後半に来るに従って、先輩は辞めるは、新しい後輩は入ってくるは、少しずつ状況も変わってきます。
気付けば二十代後半に入り、彼氏もいないまま、薄給のアルバイト。
実家を出て一人暮らしをしているものだから、月に15万程度のバイト代だけだと、生きていくだけでぎりぎり。
一緒にバイトしていた後輩は、大手の出版社に就職が決まり、給料だってこれまでよりもずっと上に。
これくらいの年になると、友人は結婚して、子育ての真っ最中だったりもします。
本が好きだという一心で働いてきたけれど、自分の人生これでいいのか。
そんな漠然とした不安を覚える時期でもあります。
仕事にしたってそうですよね、この仕事でいいのかなーって感じることってあります。
私も、いまの仕事は楽しいけど、これを果たして定年するまでやるのかなと思っちゃいます。
そういうときって、ただそのまま漠然と思っていると、ぐるぐる頭の中を巡って体にも心にもよくないんですよね。
自分なりの答えを一応でも、一時的にでも見つけたい。
「申し訳ないけど、たとえどんな仕事であっても、替えの利かない人なんていないから。必ず次の誰かがその枠に収まるものなんだ。働く意味は絶対に自分自身にある。自分で選びとらなきゃいけないんだ」
(早見和真『店長がバカすぎて』より)
自分で考えて、自分で選び取るから意味があります。
なんとなく誰かに言われたからだと、またどこかで行き詰まる。
働く意味ってなにかなって昔からよく考えたりしましたけど、決してその仕事単体で考えるものでもないんですね。
仕事自体もそうだし、仕事に影響するもろもろ、家族のこと、仕事以外の生活。
いろんな要素の中から、自分がその仕事をする意味を見出す。
その時々の状況でもそれは変わるので、きっと人生の中で何度も何度も同じように考えながら、日々を生きていくのかなって感じました。
バカだけどどこか憎めない店長
バカな人はどこにでもいる。
でも、『店長がバカすぎて』の店長は、バカなんだけどどこか憎めない。
迷惑極まりないのに、どこか、
「まあ店長だし」
と感じる部分もあります。
当事者というか、一緒に働いている人からしたらたまったものではないかもですが。
物語の中で、京子も何度も店長に怒り、時には白目をむき出しになって周囲を戦々恐々とさせることもあります。
それでも、どこか、
「もしかして店長は……」
と期待してしまう部分もあり。
まあ結局、その期待は多くの場合、裏切られてしまってさらに怒りが大きくなるわけです。
だからこの作品はおもしろい。
ただ、いつまでもバカなだけではやっていけないときも来ますよね。
愛されキャラでも迷惑をかけ続けていけるわけではない。
お調子者の、ちょっとミスの多い後輩は愛されるかもしれない。
でも、それも10年も経ってしまえば、しっかり仕事しないと、ただのできないやつに成り下がってしまう。
バカでいいのは最初だけ。
人間、日々成長していかねばです。
小説家たるもの……
「小説家がバカすぎて」の中でのセリフ。
「そう、結局は作品だけなのだ。書き上げたものだけで、小説家という人はジャッジされるべきである。」
(早見和真『店長がバカすぎて』より)
この話も、ちょっと変わったおバカな小説家が出てくるわけです。
デビュー作がものすごくヒットして、いきなり人気作家の仲間入り。
でも、そこからはどこかぱっとしない小説を連発。
SNSで出版関係者への批判を繰り返すモンスターのような存在に。
ひょんなことから、その小説家が京子の働く武蔵野書店でサイン会をすることになるんですね。
これもおバカな店長がなぜか決めてきちゃうんです。
そんな中でも上記のセリフです。
小説家って、一番大事なのは小説です。
当たり前のようでなかなか当たり前でないこと。
結構、メディアに出てきている人もいるけど、それがいい悪いということではなく、どんな作品を世に送り出したかってこと。
頑張っていようが、頑張っていなかろうが、読者が見るのはそこなんですね。
私も、余計なことを考えず、小説を書きたいなら書かねばと思わされました。
文学賞に応募したとか、仕事で時間がない中、完成させたとか、そういうのってどうでもよくて。
結局、良い作品を書いて、出してみないことにはどうにもならない。
余計な部分を省いてそこに力を入れるべきなのだろうと。
そういいつつ、ここで本の感想を書いているわけですが、これが終わったら私も頑張ります。
おわりに
早見和真さんの小説は初めて読みましたが非常に読みやすくておもしろかったです。
でも、よくよくこの方を見てみると、かなり作品がドラマ化も映画化もされている有名な方だったんですね。
デビュー作の『ひゃくはち』も、映画化された『ぼくたちの家族』も、『イノセント・デイズ』も知ってるし!
作者の名前だけちゃんと憶えてなかったみたいです。
ほかの作品ってもっとシリアスというか、きっちりしていたイメージだったので、この小説はある種の新境地だったのかもしれないですね。
ほかの作品もぜひ読んでみようと思います。