芥川龍之介

【5分でわかる】芥川龍之介『藪の中』のあらすじと解説。真相は解明されるのか?

日本の文豪の一人、芥川龍之介の『藪の中』。

タイトルだけはなんとなく聞いたことがあるという人も多いのではないでしょうか。

今では『藪の中』という言葉は、

関係者の言うことが食い違うなどして、真相がわからないこと。

といった意味で使われますが、語源はこの芥川龍之介の『藪の中』になります。

 

この作品を巡っては、真相や芥川龍之介の意図したものに対する数多くの論文が出され、議論されてきました。

実際にいまもこの真相は解き明かされないままとなっています。

ここでは、『藪の中』のあらすじやどういった意見があるのかなどを紹介していきます。

Contents

『藪の中』はこんな物語

芥川龍之介の『藪の中』は、一言でいうと、

〇平安時代の殺人と強姦事件をめぐる4人の目撃者と3人の当事者の証言の記録

となります。

ある日の朝方に藪の中から男性の遺体が見つかります。

これを調査していた検非違使が、

〇遺体の第一発見者の木樵り(きこり)

〇前日に男を見たという旅法師

〇容疑者(多襄丸)を捕まえた放免

〇男の妻の母親

から集めた証言と、当事者である【多襄丸】、【女】、【男(ただし死んでいるため巫女の口をとおして)】の3人の証言により構成されています。

しかし、ここで問題なのは、この証言が互いに矛盾をしており、なにが本当のことなのかがわからないということ。

なお、【検非違使】とは、平安時代の816年ころに設置された軍事・警察の組織です。

本来の役目はいろいろとある役職なのですが、ここでは事件の捜査をしている刑事みたいなイメージでいいかと思います。

【放免】とは、検非違使の下についている下級刑吏で、実際に犯人を捜したり捕縛したり、看守としての役割をしていました。

今でいう警察と刑務官が一緒になったような仕事みたいですね。

『藪の中』のあらすじ

『藪の中』のあらすじですが、物語は上記したような内容なので、それぞれの証言を箇条書きにした形で紹介します。

検非違使に問われたる木樵りの物語

〇死骸を見つけたのは私(木樵り)である

〇今朝、裏山の杉を伐りにいくと、山陰の藪の中に死骸があった

〇場所は、山科の駅路から、四五町離れた竹の中に、痩せ杉の交じった人気のないところ

〇死骸は、縹(はなだ)の水干(すいかん)に都風のさび烏帽子をかぶったまま、あおむけに倒れていた

〇胸元に刀による突き傷がついていた

〇死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳に滲みたようであった

〇太刀はなく、一筋の縄と櫛が一つ落ちていた

〇草や竹の落葉は、一面踏み荒らされていた

〇現場は馬が通う道とは藪一つ隔たった場所にあった

検非違使に問われたる旅法師の物語

〇前日の昼頃、関山から山科へ向かう途中で男とは出会った

〇男は馬に乗った女と一緒に関山の方へ歩いていた

〇女は牟子(むし)を垂れていたため顔はわからない

〇馬は月毛の法師髪であった

〇男は太刀を帯びており、弓矢も携えていた

〇黒い塗り箙(えびら)に20あまりの征矢(そや)がさしていた

検非違使に問われたる放免の物語

〇多襄丸が馬から落ちてうんうんうなっているところを捕まえた

〇時刻は昨夜の初更頃

〇以前も多襄丸は紺の水干に、打ち出しの太刀を佩いていた

〇このとき多襄丸は、革を巻いた弓、黒塗りの箙、鷹の羽の征矢が17本を持っており、法師髪の月毛の馬に乗っていた

〇馬は石橋の少し先に長い端綱を引いたまま、路ばたの青芒(あおすすき)を食べていた

〇多襄丸は女好きである

検非違使に問われたる媼(おうな)の物語

〇女はこの媼の娘で、男は娘の夫にあたる

〇男は若狭の国府の侍で、名は金沢の武弘、26歳で優しい気立て、遺恨を受けるはずがない

〇女の名は真砂(まさご)といい、歳は19歳

〇男にも劣らぬくらい勝気な女

〇顔は浅黒く、左の目尻に黒子のある、小さい瓜実顔

多襄丸の白状

〇男を殺したのはわたし(多襄丸)

〇昨日の昼過ぎにあの夫婦に出会った

〇不意に見えた女の顔が如菩薩のように見え、たとえ男を殺しても女を奪おうと決心した

〇その時はできるだけ男は殺さないつもりだった

〇夫婦を山の中に連れ込むために、古塚を暴いて鏡や太刀がたくさん出たという話をした

〇藪の中にあるというと、男はついてきて、女は馬に乗ったまま道で待っていた

〇藪を押し分けて進んだ場所で、不意をついて男を組み伏せ、杉の根がたへ縄でくくりつけた

〇声を出されないために竹の落葉を口にほおばらせた

〇男が急病になったと伝え女を連れてきたが、縛られた男を見て女は小刀を引き抜き襲い掛かって来た

〇しかし、自分の方が上手で、小刀を打ち落とし、ついに女を手に入れた

〇その時点でまだ男を殺すつもりはなく、藪の外へ逃げ出そうとすると、女が腕にすがりついてきた

〇女は、二人の男に恥を知られるのはつらいから、どちらか一人に死んでほしい、生き残った男に連れ添いたいといった

〇そのときになって、猛然と男を殺したい気持ちとなり、殺さずにはここを立ち去らるまいと覚悟をした

〇わたしと男は太刀打ちをし、23合目に男の胸を貫いた

〇女の方を振り返ると、いつの間にか姿がなくなっていた

〇太刀と弓矢を奪いすぐに元の山道に逃げると、そこにはまだ馬が残されていた

〇太刀だけは都に入る前に手放した

清水寺に来れる女の懺悔

〇多襄丸にてごめにされた

〇夫の側へ走り寄ろうとすると、多襄丸に蹴倒され、その途端、夫の眼の中になんともいいようのない、蔑んだ冷たい光があるのを感じ、その眼の色に打たれたように気を失ってしまった

〇気がつくと多襄丸はいなくなっており、夫が杉の根がたに縛られているだけであった

〇夫の眼には先ほどと変わらず、冷たい蔑みの底に憎しみの色を見せていた

〇こうなった以上、一緒にはいれないから死ぬつもりである、あなたも一緒に死んでくださいと話し、夫も了承をした

〇夫の太刀と弓矢は見当たらなかった

〇足元に落ちていた小刀を拾い、夫の胸にずぶりと刺した

〇このとき再び気を失い、目覚めたときには夫は縛られたまま息絶えていた

〇夫の遺体についている縄を解き捨て、自分も死のうとするが、死にきれずに今に至る

巫女の口を借りたる死霊の物語

〇盗人は、妻をてごめにしたあと妻を慰めだした

〇妻は悄然と笹の落葉の上に座っていたが、どうも盗人の言葉に聞き入っているように見えた

〇盗人は、今回のことで夫との仲も折り合わないだろう、自分の妻にならないかと話していた

〇妻はうっとりとした様子さえ見せており、「ではどこへでも連れて行ってください」とたしかにいった

〇盗人に手をとられながら藪の外へ行こうとすると、妻は顔色を失ったなり、気が狂ったように何度も叫びたてた

〇妻は、「あの人を殺してください。わたしはあの人が生きていては、あなたと一緒にはいられません」と叫びたてていた

〇盗人は妻を落葉の上へ蹴倒し、わたしに妻を助けるか殺すかと尋ねてきた

〇返事をためらっているあいだに妻は藪の奥へと走り出し、盗人もこれをとらえることはできなかった

〇盗人は太刀や弓矢を取り上げると、一か所だけ縄を切り、藪の外へ姿を消してしまった

〇妻が落とした小刀があったので、それを手に取ると、一突きに自分の胸へと刺した

〇倒れたまま深い静かさにつつまれていったとき、誰かが忍び足で側にきて、胸の小刀を抜いた

真相が不明な『藪の中』

上記したように、芥川龍之介の『藪の中』は真相がわかっていません。

私も何回も読み返してみたけれど、これって答えがでてこないんですよね。

『藪な中』に対しては、さまざまな研究がなされており、関連する論文や書籍もたくさんあります。

現在は、芥川龍之介は、本来一つの真相へとまとめあげることを意図したわけではなかったという意見が主流となっています。

それ以外にも、構成の不備により真相が与えられていなかったのではないかという意見や、そもそも事実とは第三者にはわからないもののため、物語に矛盾があっても問題はないという意見もあります。

当事者の証言からみても、多襄丸が男の太刀や弓矢を盗んだこと、女をてごめにしたこと、男が死んだことなどは疑いようがありません。

でも、当事者3人が自分が殺した(男は自刃した)と証言しています。

これが自分じゃなくて〇〇が殺した!みたいな主張だったら、それぞれの矛盾から真相が出るのかもしれませんが、まさか全員が自分を犯人だというとは。

主流となっている意見のように、真相をだそうとしたわけではなく、真相とは第三者にはわからないものとするのであれば、たしかにしっくりとくる小説ではあります。

森見登美彦さんの『藪の中』

さて、私が芥川龍之介の『藪の中』を読もうと思ったのは、その前に森見登美彦さんの『藪の中』を読んだからです。

森見登美彦さんは、『新釈・走れメロス』という本を出していて、それは日本の名作を森見さん風にパロディにしたものです。

収録されているのは、

〇『山月記』

〇『藪の中』

〇『走れメロス』

〇『桜の森の満開の下』

〇『百物語』

の5点です。

中島敦の『山月記』、芥川龍之介の『藪の中』、太宰治の『走れメロス』、坂口安吾の『桜の森の満開の下』、森鴎外の『百物語』が原典となっています。

森見さんはあいかわらず、独特の表現でおもしろおかしくパロディにしています。

ただ、『新釈・走れメロス』を読んだ当時は、『藪の中』を読んだことがなかったので、いまいち元がどんな話だったかわからずでした。

ちなみに森見登美彦さんの『藪の中』のあらすじは、

映画サークルのある部員が監督として、学園祭で『屋上』という映画を上映した。

『屋上』は、恋人がいる女と、その元恋人の男が、屋上でこっそりと会い、相談をしたり、思い出話をしたりする中でよりを戻していくというもの。

問題は、実際に主演の男女が元恋人同士であり、女の現在の恋人がこの映画を作った監督であるということ。

そして、映画の内容も、主演の男女が実際に付き合っていたころの思い出が母体となっているものであった。

映画の撮影は完全に部外秘で、映画サークルのメンバーもその内情を知るところではない。

知っているのは監督と主演の男女だけであった。

撮影の現場ではいったい何が起きていたのか、その真相とはいったい。

当事者の3人と、それに関わる4人の証言からなる作品。

といったところです。

本家の『藪の中』を見たあとだと、「なるほど!」と思わされてとてもおもしろいです。

読んだことがない人は合わせて読んでみると楽しいですよ。

おわりに

真相が最後までわからない作品というのはいくつか思いつきますが、その中でも短い中に考えさせられるものが多くおもしろい小説だと感じます。

第三者にはわからないものって本当に世の中にたくさんあって、わかった気になってはいけないよなと自分への戒めにもなります。

いつかこの『藪の中』は解明されるのでしょうか。

でも、慣用句にもなっているとおり、このままの藪の中でもいいのかなって気もしてきます。