芥川龍之介

【5分でわかる】芥川龍之介『地獄変』のあらすじと感想。

タイトルを見た時点で、

「あまり幸せになるような話ではないだろうな」

と誰もが予想がつきそうですよね。

やっぱり、読み終わっても、しんどいものが残る名作です。

今回読んだのは、芥川龍之介の『地獄変』です!

『地獄変』は、とある絵師が描いた絵の名前で、この絵が完成するまでの壮絶な道のりを物語にしたものです。

芥川龍之介の作品としては、『羅生門』や『蜘蛛の糸』などと同じように、特に有名なものの一つですね。

ここでは、『地獄変』のあらすじや感想を紹介していきます。

Contents

『地獄変』のあらすじ

大殿様と良秀

平安時代の都に、これまでも、そしてこれから先も二人とはいないだろうと言われる、非常に器が大きくて素晴らしい大殿様がいた。

それは、東三条の河原院(京都にある寺院)に夜な夜な出ると言われていた左大臣の幽霊でさえ、大殿様の叱りを受けては姿を消すに違いないほどのもの。

また、大殿様が乗る牛車に轢かれて老人がけがをしたが、その老人は手を合わせて、大殿様の牛にひかれたことをありがたがったという。

そんな大殿様なので、様々なエピソードがあるが、その中でも、今では家の重宝になっている地獄変(亡者が地獄で苦しむ様子を描いた地獄絵のこと)の屏風の由来程、恐ろしい物はない。

日ごろは動揺をすることのない大殿様でさえ、その時ばかりは驚いたようであった。

大殿様に頼まれて、地獄変を描いたのは当時50歳ほどの良秀という絵師であった。

彼の絵の腕は、良秀の右に出るものは一人もいないと言われるほどであった。

しかし、背が低く、骨と皮ばかりに痩せた、意地の悪そうな老人で、醜い容貌と卑しい性格のせいで、「猿秀(さるひで)」というあだ名を付けられていた。

良秀の娘と猿

良秀には、15歳になる娘がおり、大殿様の御邸に小女房として勤めていた。

母親とは早くに別れたが、思いやりも深く、年よりはませた利口な子で、なにかとよく気がつき、周囲からは可愛がられていた。

そんなある日、大殿様に猿を献上した者がいた。

ちょうどいたずら盛りの若殿様が猿に「良秀」と名付け、それ以降、猿は良秀と呼ばれては、城の者にいじめられていた。

娘は、猿が御邸の者からいじめられていることに心を痛め、若殿様に追いかけられている猿をかばうことがあった。

猿を差し出すように言う若殿様に、「畜生でございますから」と言い、更に、父と同じ名前の猿なので、父が折檻を受けているようで見てはいられないのだと答えた。

これには若殿様も我を通すことができず、父親の命乞いであるなら許すことにした。

それがきっかけで、猿はよく娘に懐くようになり、いつでも娘の側にいるようになった。

それからは猿をいじめる者はいなくなり、逆に若殿様も周囲のものも猿をかわいがるようになっていった。

更に猿をかばった話を聞いた大殿様からは、親孝行だと褒められ、褒美をいただくことにもなった。

大殿様の依頼

猿の良秀は可愛がられるようになったが、相変わらず人間の良秀の方は、周囲から嫌われていた。

良秀は、吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、なまけもので、強欲で、横柄で高慢なところがあった。

画道の上だけであればまだわかるものの、世間の習慣やしきたりに対しても、馬鹿にする態度を隠そうともしなかった。

そんな良秀であったが、娘に対してだけは違った。

娘も気が優しく、親思いだったが、良秀もまた、子煩悩なところがあった。

ケチで有名な良秀だったが、娘のためにはお金を惜しまず、服やかんざしなどを買い与えていた。

一方で、娘に近づく者がいれば、人を集めて闇討ちをしかねないほどであった。

娘が大殿様に仕えるようになったことにも不満があり、事あるごとに娘を返すよう大殿様に言うのであった。

良秀の才能を買っていた大殿だったが、こうした件が募るほどに、良秀への心象を悪くしていった。

そんな折に、良秀は、大殿様から地獄変の屛風絵を描くように依頼を受ける。

良秀はそれから5,6カ月の間、御邸へも伺わずに、屏風の絵ばかりにかかりつけになっていた。

あれほど子煩悩であった良秀であったが、ひとたび絵のことになると、周囲のことを忘れてしまうのだった。

良秀は、卓越した絵を描く絵師であったが、実際に見たものしか描けないところがあった。

そこで良秀は、地獄変の屏風を描くために、自分の弟子たちを苦しめることにした。

ある弟子は、急に服を脱ぐように命じられ、体中を鎖で縛り上げられた。

ある弟子は、大きなミミズクに襲わされた。

弟子たちが苦しむ様子を見ながら、良秀は絵を描き続けていく。

こうして、良秀の絵は完成へと近づいていった。

 

しかし、良秀には、どうしても描けない絵が一つだけあった。

それは、一人のあでやかな女性が、燃え盛る牛車の中で黒髪を乱しながらもだえ苦しむ姿だという。

そして、大殿様に頼むことにした。

「自分の見ている前で車に火をかけてもらいたい。もし可能であるならば……」

そこまで良秀が言うと、、大殿様は顔を黒くしたあと、突然、けたたましく笑い、息を詰まらせながら、すべて言うとおりにしようと約束するのであった。

地獄変の完成

それから2,3日したある夜、大殿様は良秀を呼び出した。

約束通り、牛車に入った女を焼くところを見せるためであった。

大殿様は、改めて、車には罪人の女性が縛られて載せられており、火をかければ、その女の肉を焼き、骨を焦がして、四苦八苦の最後を遂げるだろう、その姿を見逃すではない、と告げる。

そして、大殿様は、肩をゆすって笑いながら、良秀に牛車の中の女性を見るように言うのだった。

中を見た良秀は正気を失ってしまう。

牛車の中にいたのは、良秀の娘だったのだ。

良秀は、うずくまっていたが、急に飛び立ったと思うと、両手を前に押し出したまま、車の方へ走りかかろうとする。

そのとき、大殿様の、「火をかけい」という声で、車に松明の火が投げ込まれた。

火は見る見るうちに車を包み込み、夜目にも白い煙が渦を巻き、火の粉が雨のように舞い上がるほどの凄まじさであった。

良秀は、火が燃え上がると同時に足を止め、手をさし伸ばしたまま、食い入るような目つきで車を包む炎を眺めていた。

良秀は、大きく目を見開き、唇を引き歪め、絶えず引き攣るようにほほの肉が震えていた。

大殿様は、その様子を見て唇をかみながら、時々、気味悪く笑い、目を離さずに車の方を見ていた。

その時、その炎の中に飛び込む黒い影があった。

それは、良秀と呼ばれて娘に可愛がられていた猿だった。

猿の姿が見えたのは一瞬のことで、猿はもとより娘の姿も、黒煙の底に隠されてしまい、庭にはただ、火の車が凄まじい音を立てて燃え滾っていた。

その火の柱の前には良秀が凝り固まったように立っている。

先ほどまでは地獄の責苦に悩んでいたような良秀だったが、今は言いようのない輝きを、さながら恍惚とした輝きを皺だらけな顔に浮かべながら、両腕をしっかりと胸に組んで佇んでいた。

その姿は威厳があり、周囲で見ている者にも、身の内も震えるばかり、異様な随喜の心に充ち満ちて、まるで開眼の仏を見るように良秀を見つめていた。

ただその中で、大殿様だけが、まるで別人かと思われるほど、顔を青ざめさせて、口元に泡をためながら、のどの渇いた獣のように喘ぎ続けていた。

それから一月ほどがして、良秀は地獄変の屏風を完成させた。

その出来栄えに皆は圧倒され、それ以降、良秀のことを悪くいうものは、少なくとも御邸のなかにはほとんどいなくなる。

日ごろ、良秀のことを憎く思っているものであっても、あの屏風を見ると、不思議に厳かな心持ちに打たれて、炎熱地獄の苦しみを如実に感じるからかもしれない。

しかし、そのときにはすでに良秀はこの世にいなかった。

屏風が完成した次の日の夜、良秀は自室の梁へ縄をかけて自殺をしていたのだった。

語り部の「私」

『地獄変』の話をする上で、誰の視点の話なのかが重要なポイントの一つです。

語り部となっている「私」は、大殿様のことをことさらに褒め、良秀のことを悪く言います。

そもそも、「私」は、大殿様に二十年以上仕えている男なんですね。

大殿様に忠誠を誓わずにはいられない立場なわけです。

自然と語る内容も、大殿様びいきになってしまいます。

だから前半は、大殿様のすばらしさを語る場面がすごく多くて、そこだけ読むと、

「みんなに慕われてなんて立派な殿様だったのだろう」

と勘違いしてしまいそう。

でも、『地獄変』が後半になっていくと、大殿様って実はけっこうヤバい人なのでは……という場面が増えてきます。

良秀の娘が、何者かに襲われた場面でも、その現場に遭遇した「私」は、犯人の足音を聞くもその姿を見ることはできなかった。

娘に誰だったのか聞いても答えない。

そこで追及することをやめてしまいます。

その時点で読者は感づくと思いますが、追及しなかったのは、追及できない相手だったから。

大殿様が娘を載せた車を燃やす行為についても、「私」は、大殿様なりの理由を考えて語る。

完全に、大殿様を盲目的に立てる人なわけです。

読者としては、まず「私」の言葉を疑ってかかり、その裏に何が隠されているのを読み取るという楽しい作業があるわけですね。

猿の良秀は、人間の良秀のいい部分?

さて、良秀という名前をつけられてしまった猿がいます。

この猿っていったいなんなのかってことで、いろんな意見が出ています。

猿のことってあまり詳しくは書いていないんですよね。

良秀という名前をつけられて、それゆえにみんなにいじめられる。

助けてくれた娘になついて、娘が熱を出せば、側にずっといたり、娘が襲われれば助けを呼んだりと、娘のために尽くす姿が描かれます。

そのため、良秀の親心の化身とか、他者を思いやる心なんて言われたりしています。

最初に読んだ時は、そんなことをまったく思わず、読み進めていたんですが、改めてそう言われてから読み返してみると、なるほど、と思う点が多々出てきます。

まあ、人間の良秀に、他者を思いやる心があったのかとなると疑問は多いですが、娘への想いは本物なのでしょう。

ただ、それも、本当に娘のことを想っているのかって割と疑問もあるんですが。

単に、良秀自身が娘に執着をしていたようにも感じ取れるので。

それでも、大切に想っていたことには違いはない。

車が焼かれるとき、良秀は腕を伸ばすも、それ以上、駆け寄ったり、助けに入ったりすることはできなかった。

一方で、猿の良秀は、躊躇なく、燃え盛る車の中に飛び込みます。

良秀は、おそらくすごく葛藤をしていたんですよね。

娘を助けたいという気持ちと、芸術家としての自分。

結局、良秀が選んだのは、芸術家としての生き方であり、親心としてその場に現れたのが、猿の良秀だったのでしょう。

芸術家としての道を選んだ良秀

良秀って、やっぱりかなり変な男ですよね。

変というか、芸術に関しては異常である、と。

通常から、傲慢で周りを見下し、あまりいいところがなさそうな人物ではあります。

それでも、絵に関することについては、それを更に上回る異常さ。

あらすじでも書いたように、地獄変を描くために、弟子を鎖でぐるぐるにしたり、みみづくに襲わせてみたり。

見たものしか描けないといったって、ふつうであれば、他人に対してそんなことを平然とできないもの。

ひとえに、芸術に対しての真摯な姿ともいえるのかもしれませんが。

弟子たちも、裸になれと命令されるくらいは日常茶飯事だったようで、常日頃から、そうした姿勢で絵に向き合っていたことがわかります。

さて、地獄変で良秀が唯一描けないと言ったのが、燃え盛る牛車の中で、黒髪の女性が苦しむ様子。

そこで良秀は、大殿様に、車が焼ける様子を見せて欲しいと頼みます。

そして、できることなら、と言葉を濁しつつも、車に女性を乗せて燃やしてほしいと。

その提案自体がありえないと普通の感覚なら思ってしまう。

でも、実際に車の中には自分の娘が縛られて入っていた。

一度は、駆け寄ろうとして腕を伸ばすが、大殿様の命令で火がかけられると、動きを止めて、燃えていく様子をじっと眺める。

娘が車とともに焼かれたあと、良秀は地獄変の制作に戻ります。

自分が見たものを余すことなく、作品として昇華するために。

愛する娘を犠牲にしてでも、芸術を追い求めた姿は、異常であり壮絶です。

完成した翌日、良秀は自殺をするのですが、それは娘の死から、苦悩のあまり死んだのか、芸術家としてやり残すことがなくなり死んだのか。

せめて前者であってほしいなって思います。

良秀が望んだのは、燃える車ではなく、地獄

良秀は、見たことがあるものしか描くことができない、と言っています。

そのために、大殿様に燃え盛る車を要求したわけですが、でも、単純に燃える車でよかったのかというとそれはやはり違うのでしょう。

もし、大殿様が車だけを焼いて見せたのだとすると、リアルな燃える車は描けても、中で苦しむ女性には力がこもらない。

大殿様が、宣言通りに、良秀と関係のない、罪人の女性を車に乗せていたとしれば、苦しむ女性は描けていたかもしれないが、地獄変は、よく言われる地獄を描いた屏風でしかなかった。

本物の地獄変を完成させるためには、良秀自身が地獄を見る必要があったのです。

大殿様は、良秀から女性を乗せた車を燃やしてほしいと提案されたとき、気味悪く笑います。

そのときには、良秀の娘を乗せて燃やそうと考えていたのだと思います。

一方で良秀はどうなのか。

娘が車に乗せられていたことは、想定外のことだったのか。

それはきっと、良秀の望んだことだったのでしょう。

それが現れているのが、良秀が地獄変を依頼されてから見るようになった夢。

「なに、己に来いと云ふのだな。――どこへ――どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。――誰だ。さう云ふ貴様は。――貴様は誰だ――誰だと思つたら」

(芥川龍之介『地獄変』より)

「誰だと思ったら――うん、貴様だな。己も貴様だらうと思つてゐた。なに、迎へに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には――奈落には己の娘が待つてゐる。」

(芥川龍之介『地獄変』より)

寝ながらつぶやく独り言。

良秀がたった一つ描けなかった炎熱地獄。

奈落で娘が待っているという言葉。

良秀は、夢の中で、娘を犠牲にしてまで絵を完成させるかどうかを葛藤していたのだと思います。

それが地獄へ、奈落へと向かうことになると思いながらも。

結果、大殿様が娘の乗った車に火をかけたときも、もしかしたら、すぐに助けに入れば助かったかもしれない。

でも、良秀は、火がかけられた途端、動くのを止めて、その光景を目に焼き付けようとします。

親としての情を捨て、芸術家であることを選び、自らも地獄へと飛び込むのでした。

人の二面性

『地獄変』では、人の二面性という部分にも注目されます。

一人は良秀で、一人は大殿様。

良秀は、最初、かなりあしざまに描かれていますね。

醜くて、性格も悪くて、嫌われ者。

でも、娘に対しては情が深く、芸術家としては一級品。

最後には、開眼した仏のような姿となり、良秀を見た周囲のものにも威厳を感じさせるようになる。

大殿様は、周囲に慕われる名君のような描かれ方をしていたが、少しずつ、その悪い部分が見えてきます。

人の不幸を笑い楽しむさまは、醜悪な権力者そのものですね。

短い短編の中だけで、これだけがらりと見え方が変わるのもおもしろい。

人には、良い部分も悪い部分も存在するのがあたり前であり、見る人によって、その姿はいかようにも変わる部分があるってこともわかります。

おわりに

正直、私はあまり好きではない話ではありました。

いや、ふつうにしんどい話ですよね、これって。

でも、考えさせられるといえばそうかもしれない。

これって、ある程度、大人になってから読むからわかる部分ってあるのかなって思います。

実際に学生時代に読んだときは、

「何だこの話は?」

っていうのが正直な感想でしたし。

ただ、短い話ですし、名作と呼ばれるものの一つではあるので、経験として読んでみるのは非常に意味があるのかなと思います。