中島敦

【5分でわかる】中島敦『山月記』のあらすじ。人は誰でも内に獣を飼っている

教科書にも載っている日本の名作の一つ。

初めて読んだときはよく意味がわかりませんでしたが、大人になって読むと考えさせられる作品です。

今回紹介するのは、中島敦の『山月記』です。

一言でいえば、失踪した友人が虎となって目の前に現れる話です。

短い小説ですが、とても深いものがあります。

ここでは『山月記』のあらすじや感想を記載していきます。

『山月記』の登場人物

『山月記』の登場人物は主に2人です。

袁傪(えんさん)

のちに虎となる李徴(りちょう)の親友。

同じ年に科挙に合格した古くからの関係である。

温和な性格。

監察御史という役職で、地方の見回りなどをしており、その中で虎となった李徴と再会する。

李徴(りちょう)

才能あふれる人物だが自尊心が高い。

袁傪と同じく科挙に合格し、役人となるが、地方の役人として働くことに耐えられず、詩の道で名を上げようとする。

だが、詩の道でも花開くことがなく、結局地方の役人となる。

そんな生活に耐えられず、ある日発狂し、虎となってしまい、少しずつ虎としての自分が大きくなるのを感じている。

『山月記』のあらすじ

唐代の中国に李徴という男がいた。

博学にして才能に恵まれた李徴は、若くして科挙に合格し役人になるほどの人物だった。

出世の道もあった李徴だが、自尊心が高く、役人として仕えることを潔しとすることができなかった。

しばらくすると仕事を辞め、詩作にふけるようになる。

役人として長い期間、自分よりも劣った人たちの下にいるのではなく、詩家として自分の名を死後100年に残そうと考えたのであった。

しかし、その詩家として簡単に花開くことはなく、生活はだんだんと苦しくなる。

数年後、李徴は妻子を養うため再び地方の下級役人の職に就くが、かつて自分よりも劣っていると思っていた人たちの下につかねばならず、李徴の自尊心は大いに傷つけられた。

ある時、限界を迎えた李徴は、仕事の旅先で発狂し、闇の中へと飛び出していってしまい、その行方は誰にもわからなかった。

 

その翌年、観察御史として地方を巡っていた袁傪(えんさん)は、朝のまだ暗い中、出発をすると人喰虎に襲われそうになる。

あわやというところで虎は身をひるがえし、草むらからは「あぶないところだった」と繰り返しつぶやく声が聞こえた。

その虎は、かつての友・李徴であった。

李徴と袁傪は、草むらで姿を見せぬまま邂逅を交わす。

李徴は自身の「尊大な羞恥心」と「臆病な自尊心」によって虎になってしまったこと、虎の身になってしまったが、自身の作った詩を一編でもいいので、後世に残さねば死んでも死にきれないという想いを語る。

人生を振り返りながら自嘲するように後悔と苦悩、孤独もらす李徴。

李徴は最後に妻子のことをたくし別れを告げる。

袁傪が丘の上まで行き、先ほどの草むらを眺めると、一匹の虎が躍り出て、月に向かって吼えたあと、再び草むらへと消えていくのであった。

なぜ李徴は虎になったのか

李徴の苦悩から虎へ

『山月記』を読んでまず思うこと。

「えっ?なんでこの人って虎になったの?」

ふつうに考えて人が虎になることなんてないですよね。

物語だからといってしまえばそれまでですが、『山月記』の中の李徴は虎にならざるをえないほど追い詰められていたのです。

 

李徴とは、才能もあり、若くして科挙に受かるほど将来有望な男でした。

妻子もおり、そのまま堅実に生活をしていればきっと、恵まれた人生を送れていたことでしょう。

しかし、自分はこの程度の場所でとどまる男ではない、凡人の下に長く仕えることはできないとの強い自尊心が、李徴を別の道へと導いていきます。

李徴は詩作の道で己の才能を試そうとしたのです。

でも、詩の世界では大成することができず、妻子を養う必要もあり断念し、再び役人として働き出します。

働きながらも李徴は、自分はこんなところで働いるような男ではないという自尊心と、自分よりも劣っていると思っていた人間が有名になっていくことへの焦りから苦しんでいきます。

そしてある日、突然夜中に走り出したと思ったら、虎になってしまったのです。

本当に突然ですよね。

『山月記』を読んでいても、なぜそこで急に虎になるのかと思いました。

原因となった二つのこころ

さて、『山月記』には「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の二つのこころが出てきます。

ぱっと聞いてみてなんとなくわかるようなわからないような言葉ですね。

 

李徴は、人間であったとき、周囲の人との関係を避け、人々からは尊大であると思われていました。

詩によって名を上げようと思いながらも、師匠に弟子入りしようとしたり、仲間と切磋琢磨することもしませんでした。

それを次のことが原因であったと語ります。

「共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である。己の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨こうとせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することもできなかった」

珠と瓦が比較して出されていますが、ここでは珠は輝く価値のあるもの、瓦はそうでないどこにでもあるものという認識でいいかと思います。

李徴はもし自分が才能や価値のある人物でなかったら……という恐れから、自分を真剣に磨くことができず、それでも自分の価値を信じるあまり、周りと一緒でいることもできなかったというのです。

「人間は誰でも猛獣使」

虎になってしまった理由について、李徴は次のように語っています。

「人間は誰でも猛獣使であり、その猛獣に当るのが、各人の性情だという。

己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。

これが己を損い、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えていったのだ。」

李徴は、人間は猛獣使いであり、李徴の猛獣がこの「尊大な羞恥心」であったと話します。

それが膨らんだ結果、自分の姿さえもそれにふさわしい虎の姿に変えてしまったのだと。

李徴は虎となって変わることができたのか

虎となってしまった李徴。

李徴は袁傪と話す中で、過去の自分に対する後悔を語ります。

では李徴はそうした過去の自分から変わることができたのでしょうか。

私にはとてもそうは読めませんでした。

李徴は、自分自身が、「尊大な羞恥心」や「臆病な自尊心」から、ひたむきに努力することもなく、怠惰であったと語ります。

その一方で、いまだに周囲の人のことを、「己よりも遥かに乏しい才能でありながら」といったり、「人間だった頃、己の傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように」と発言したりしています。

虎になって、こんな境遇になってもまだ、自尊心を拭い去ることはできていないのだろうと感じました。

このあたりの読み取りは人によって異なるので、あまりこうした感想は見ませんでしたが、私が感じたことの一つとして記しておきます。

李徴はなぜ虎のままなのか

ふと読みながら感じたことの一つ。

李徴は、自身の性惰により虎となったといいます。

でもそれがわかっているのであれば、虎から人間になることもできるのではないだろうかということ。

でもそれができないのは、いまだに李徴が虎であろうとしているからではないかと。

李徴は、自分の性惰は、「尊大な羞恥心」にあるとしつつも、いまだにそこに囚われている。

虎になってしまったから、詩家として大成することはもうできないといいながらも、そこに自分がもう成功することができない理由を作ろうとしているかのようにも読めます。

上記したように、李徴って、虎になる前も、虎になってからも、そんなに根本的なところは変わっていません。

結局周りを下に見ていて、高い自尊心を持ったまま、それでいて自分を傷つけないように守っている人物……そんな風に私には思えます。

だから人間に戻って大成しようとか、妻子を守るためにしっかり働こうとかよりも、おれって虎だからとその境遇に身をゆだね、徐々に本物の虎に近づいているのかなと。

自分ながらひねた解釈だなと思いつつも、どうにもこの李徴が好きになれないため、こんなことを書いてしまいます。

米澤穂信さんの『山月記』の解釈がおもしろかった

『山月記』については、いろんな作家さんが自身の作品で描いています。

米澤穂信さんの<古典部シリーズ>の中にも登場しますし、森見登美彦さんの『新訳・走れメロス』の一編として『山月記』のパロディが存在します。

米澤穂信さんの場合、『米澤穂信と古典部』の書下ろし小説の中で、主人公の折木奉太郎の読書感想文の題材として『山月記』が登場します。

そこでは、李徴は虎になってなっていなかったのではないかというのです!

そもそも虎と人間は声帯も違い、虎になっていたのなら人間の言葉を話せるはずがない、ではなぜ李徴は虎になったふりをしたのだろか……と推論というか、捻くれた読書感想文が続いていきます。

そういった視点もあるのかととても楽しく読ませてもらいました。

よく、『山月記』などの名作について、詳しく解説した本があったりしますが、解釈に正解はなく、その人が読んだ風に、感じた風にとらえればいいと改めて感じる短編でした。

おわりに

『山月記』は、とても短い小説ではありますが、その中に考えさせられることが多くあります。

自尊心や羞恥心は、誰にでもあり、それによって動きが取れなくなることってよくあるなと自分を振り返っても思います。

自分のうちにある猛獣とはいったいどんなものかなとも考えさせられます。

そうしたことを改めて考えてみるのも自分を知るいいきっかけになるかもしれませんね。

ものの10分15分で読める小説なのでぜひ一度読んでみることをおすすめします。