小さい子どもに読み聞かせるお話といえば、まっさきに名前が挙がるのが『桃太郎』。
そんな『桃太郎』ですが、一風変わった『桃太郎』も存在します。
今回紹介するのは、芥川龍之介の『桃太郎』です!
初めて読んだときはこんな解釈もあるのだと驚きました。
でもこれは子どもには読み聞かせできません。
そんな『桃太郎』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『桃太郎』のあらすじ
桃太郎の誕生
昔々の大昔。
ある深い山の奥に、枝は雲の上に広がり、根は大地の底の黄泉の国にさえ及ぶ、それは大きな桃の木が一本あった。
この桃の木は、一万年に一度花を開き、一万年に一度実をつけていた。
その大きな実は、不思議なことに最初から美しい赤子を一人ずつはらんでいたのであった。
ある寂しい朝、一羽の八咫烏がその桃の実の一つをついばみ、その実は遥か下の谷川へと落ち、人間のいる国へと流れていった。
その赤子をはらんだ桃の実は、谷川の末で洗濯をしているお婆さんに拾われるのであった。
桃太郎鬼ヶ島の征伐へ
桃から生まれた桃太郎は、鬼ヶ島の征伐を思い立つ。
といってもそれは正義感からではなく、お爺さんやお婆さんのように山や川、畑に仕事へ出るのが嫌だったからである。
腕白ものの桃太郎に愛想をつかしていたお爺さんとお婆さんも、一刻も早く追い出そうと桃太郎の注文通りに準備をしてやるのであった。
桃太郎は鬼ヶ島へ向かう途中に、犬、猿、雉を供にする。
黍団子と引き換えにお供となる犬たちであったが、桃太郎は黍団子を一つではなく半分しかやらなかった。
また、犬、猿、雉は仲が悪くいがみ合い、けんかを繰り返す。
しまいには猿が黍団子半分でお供はできないと言い出すが、桃太郎が鬼ヶ島の宝物の話をすると、意見を翻し、鬼ヶ島へとついていくのであった。
鬼ヶ島の真実
鬼ヶ島は絶海の孤島であったが、世間で言われているような岩山ばかりの島ではなく、ヤシの木がそびえ立ち、極楽鳥がさえずる美しい天然の楽土であった。
鬼たちは平和を愛し、琴を弾いたり、踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったりして安穏に暮らしていた。
鬼の妻や娘も機を織ったり、酒を造ったり、蘭の花束をこしらえたりと、人間の妻や娘と少しも変わらない生活を送っていた。
小さな子どもの鬼たちには、人間の恐ろしさを話して聞かせることもあった。
「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒頸童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい?人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。
ー中略ー
男でも女でも同じように、嘘はいうし、欲深いし、焼餅は焼くし、己惚は強いし、仲間同士殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……」
(芥川龍之介『桃太郎』より)
桃太郎が鬼ヶ島で悪行の限りを尽くす
桃太郎が鬼ヶ島へやってくると、鬼たちは金棒も忘れて、「人間が来たぞ」と叫びながら逃げまどっていた。
「進め!進め!鬼という鬼は見つけ次第、一匹も残らず殺してしまえ!」
と犬猿雉の三匹へと号令をする桃太郎。
犬はただ一噛みに鬼の若者を噛み殺し、雉は鋭いくちばしで鬼の子どもを突き殺し、猿は鬼の娘を凌辱してから絞め殺した。
あらゆる罪悪が行われたあと、とうとう鬼の酋長も桃太郎の前に降伏をするのであった。
昨日までは極楽鳥のさえずる楽土であった鬼ヶ島は、今や、いたるところに鬼の死骸をまき散らしていた。
桃太郎は平伏する鬼たちに、命は許す代わりに、鬼ヶ島の宝物は一つ残らず献上すること、子どもを人質に差し出すことを要求するのであった。
鬼の酋長はすべて受け入れた上で桃太郎に一つ質問をする。
それは、鬼たちが桃太郎に無礼を働いたから成敗されたのだろうと考えたが、その無礼というのがどういったものだったのかがわからない、その無礼が一体何であったのかを教えてほしいというものであった。
桃太郎は悠然と頷いた。
「日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱えた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。」
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訳でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。」
(芥川龍之介『桃太郎』より)
征伐のその後……
桃太郎たちは人質に取った鬼の子どもに宝物の車を引かせながら故郷へと凱旋した。
しかし、桃太郎たちも必ずしも幸福に一生を送ったわけではなかった。
人質となっていた鬼の子どもは、一人前になると番人の雉を噛み殺して鬼ヶ島へと逐電した。
生き残った鬼たちも、時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形に火をつけたり、桃太郎の寝首をかこうとした。
桃太郎と犬は、鬼の執念深さには困ったものだ、命を助けてもらった大恩を忘れるとは怪しからぬやつらだと話すのであった。
ひどいけれど現実的な『桃太郎』
最初に芥川龍之介の『桃太郎』を読んだときは、
「なんてひどい桃太郎だ!」
という印象を持ちましたが、よく考えてみればこちらの方が現実的なのかなと思い直しました。
元々、童話の桃太郎ってちょっと違和感があったんですよね。
子どもに話す分にはいいんですが、桃太郎のしていることって押し入り強盗だよなーなんて思っていました。
それを正義っぽいお話になっているだけで。
だから芥川龍之介の『桃太郎』ってとても納得。
それにしても桃太郎はひどいやつですが……。
桃太郎が犬を仲間にするときも、黍団子を半分しかあげず、一個ほしいと要求する犬に対して断固譲らないところも、貴重な黍団子だから節約したのかなとおもしろく感じます。
おわりに
芥川龍之介の『桃太郎』はすごく短いし、青空文庫にもあるから無料で読めるので一度読んでみることをおすすめします。
童話ってこういうものっていう固定観念が打ち砕かれる気分になります。
桃太郎って、ほかの作家さんもちょこちょこ自分の小説の中でふれていたりするからおもしろいですね。
伊坂幸太郎さんも『重力ピエロ』だったかな、主人公の兄弟が、桃太郎は親殺しの物語だっていう会話をしていたように記憶しています。
童話でいえば、『猿蟹合戦』も芥川龍之介が書いたものがあるのでそちらもあわせてどうぞ。