世の中の小説は、ざっくりと大衆文学と純文学という分け方がされています。
でも、その二つにどういう違いがあるのかとてもわかりづらい。
「大衆文学と純文学って何が違うの?」
と尋ねられたらどう答えていいか悩むと思います。
「純文学って難しそうで敷居の高いやつじゃない?」
って反応は割とよくあります。
「直木賞と芥川賞の違いだよ」
と答える人もいるのでは。
これらは間違いではないですが、よくわかりません。
今回は、そんなあいまいな大衆文学と純文学についての記事になります。
とはいえ、大衆文学と純文学の境目ってなかなか難しいのも事実。
明確な線引きってないんですよね。
でも、この作家さんや作品はこちら寄りといった程度にはわかるようになると思います。
Contents
「大衆文学は娯楽、純文学は芸術」
大衆文学は娯楽、純文学は芸術
そんな言葉があります。
「いやいや、大衆文学にだって芸術的なものはあるぞ」
「純文学だってすげえおもしろいぞ」
その気持ちはよくわかります。
ただ、大きな位置づけをするとこうなる、ということです。
大衆文学は、楽しむことが第一義。
エンターテイメント系の小説とも言えるでしょう。
小説のページをめくりながらわくわくどきどき。
この先にどんなシーンが待っているのだろうと、期待に胸を躍らされます。
最後の最後でどんでん返しが起きて、
「うわー。これはやられた!」
なんて思うのが大衆文学です。
一方で純文学。
芸術といった言葉通り、こっちは表現とか文章がとにかく美しい。
「なんでそんな表現が出てくるの?」
と驚かされるものばかりです。
文章の美しさとか哲学が主体となる小説ともいえます。
直木賞は大衆文学、芥川賞が純文学
一番わかりやすいのは、直木賞か芥川賞か、です。
直木賞は大衆文学で芥川賞は純文学の賞であることは割とよく知られています。
芥川賞は、雑誌(同人雑誌を含む)に発表された、新進作家による純文学の中・短編作品のなかから選ばれます。直木賞は、新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象です。
(公益財団法人日本文学振興会ホームページより)
日本文学振興会というのは、芥川龍之介賞、直木三十五賞、菊池寛賞、大宅壮一ノンフィクション賞、松本清張賞の選考と授賞を行う文藝春秋社内にある公益財団法人です。
要は、芥川賞と直木賞の主催者ですね。
そこがはっきりと芥川賞は純文学の賞だとうたっています。
「芥川賞」正式名称は「芥川龍之介賞」です。
芥川龍之介は、あまり本を読まない人でも名前は聞いたことがあると思います。
『羅生門』、『地獄変』、『蜘蛛の糸』、『藪の中』など、教科書にも載るような有名な作品があります。
『桃太郎』という、昔話の桃太郎のその後を現実的に描いた作品もあっておもしろいです。
「直木賞」の正式名称は「直木三十五賞」です。
対象となるのは、エンターテインメント作品。
これが大衆文学のことを指しています。
大衆文学と純文学にはどんな作品があるのか
大衆文学と純文学の違いって、言葉だけだとわかりづらいですよね。
では、実際の作品でどのようなものがあるのか見てみましょう。
上記したように、わかりやすい区別として直木賞受賞作と芥川賞受賞作で見ていきます。
直木賞受賞作
直木賞は、2022年の下半期の時点で、第168回となっています。
第167回では、歴史物が二点受賞しましたね。
米澤穂信さんの『黒牢城』と、今村翔吾さんの『塞王の盾』です。
第156回に受賞した恩田陸さんの『蜜蜂と遠雷』は、ピアノのコンクールを舞台とした作品でした。
『黒牢城』米澤穂信
『塞王の盾』今村翔吾
『蜜蜂と遠雷』恩田陸
『何者』朝井リョウ
『下町ロケット』池井戸潤
『容疑者Xの献身』東野圭吾
『4TEEN フォーティーン』石田衣良
『鍵のない夢を見る』辻村深月
『ファーストラブ』島本利世
『サラバ!』西加奈子
こうしてみると、直木賞受賞した作品に、話題となったもの、映画化されたものがたくさんありますね。
ジャンルはものすごく幅広いですよね。
歴史物、ミステリー、中学生の青春小説、音楽を舞台にしたもの、町工場の逆転劇など。
いずれも読者の心をわき立たせるものであることがわかると思います。
芥川賞受賞作
さて、どちらかというと、知りたいのはこちらの純文学はなにかってことですよね。
純文学でなければ大衆文学だろうということが予測できます。
でもその純文学がわからないんですから。
さっそく芥川賞受賞作を見ていきましょう。
芥川賞だと、有名なのは、芸人で小説家の又吉直樹の『火花』。
それから宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』があります。
『火花』又吉直樹
『推し、燃ゆ』宇佐見りん
『荒地の家族』佐藤厚志
『おいしいごはんが食べられますように』高瀬隼子
『むらさきのスカートの女』今村夏子
『コンビニ人間』村田沙耶香
『スクラップ・アンド・ビルド』羽田圭介
『蛇にピアス』金原ひとみ
『蹴りたい背中』綿矢りさ
『乳と卵』川上未映子
物語としては、劇的な事件が起きる作品は少ないのですが、文章で見ると本当にどれも繊細で美しい。
紹介したのは、受賞作の中でもよく知られている作品だと思うので、手始めにこのあたりから読んでみるとわかりやすいと思います。
よく言われる大衆文学と純文学の違い
事件が起きる大衆文学と割と平坦な純文学
大衆文学は上記したように、エンターテイメント性があります。
日常の風景を切り取ったような話だと、どきどきわくわく、とはいきませんよね。
ミステリーだと、「冒頭で死体を転がせ」なんて言われるそうです。
2022年に刊行された小説で、『俺ではない炎上』という小説があります。
『六人の嘘つきな大学生』を書いた浅倉秋成さんの作品ですね。
『俺ではない炎上』では、冒頭で、Twitter上に殺害現場のような画像が出回り炎上するところから始まります。
そこで巻き込まれて犯人扱いされるのが、SNSなんてさっぱり使い方もわからないおじさん。
犯人と間違えられて捕まるわけにはいかない。
逆に犯人をあぶりだしてやる!と逃走するわけです。
先の展開が気になってページをめくる手が止まらないですね。
こうした何かしらの事件から、物語が展開されていくのが大衆文学。
純文学だと、村田沙耶香さんの『コンビニ人間』なんておもしろかったですね。
考え方とか、そういう生き方しかできない人がいる部分とか、とてもリアルで考えさせられるものがあります。
でも、どきどき、ではないんですよ。
純文学系の小説って、ストーリー的にもっと波打たせることができるものも、そこはもっと余韻を持たせたり、深く味合わせたりする傾向があります。
わかりやすさと、読者を考えさせるところ
読んだあとに、読者が感じたり余韻に浸ったりするものがかなり違います。
大衆文学だと、
「あーおもしろかった!」
「まじで怖かった!」
といったわかりやすい反応で終わることってけっこう多いと思います。
でも純文学は読み終わったあと、ぱたんと本を閉じ、目をつぶって、
「今、私が読んだものは何を伝えようとしているのだろうか」
と考え込んでしまいがちです。
もちろん、これって大衆文学でも考え込むこともあるし、純文学でも、おもしろかったーで終わることもあります。
まあ全体的にどちらよりかなってことで思ってもらえれば。
宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』なんて単純におもしろい!って思いましたし。
売れる大衆文学と売れない純文学
いやー純文学って売れないらしいです。
そもそも、近年は出版不況と言われています。
いつも言われている気もしますが、ここ十数年で売り上げは半分くらいになっているという話も。
現役の作家さんも、明らかに同じ数だけ本を出していても、年収で大きく落ち込んできていると話しています。
その中でも純文学はなかなか売れない。
メディアでも取り上げられるのってすでに人気がある一部の小説や作家さんですよね。
初版部数2000部とか割とふつうみたいです。
それでも、芥川賞を受賞したり、知名度のある人が出したものは、ときどき大ヒットします。
先ほども挙げた宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』は、50万部を突破しています。
又吉直樹さんの『火花』なんて、元々の知名度もあったこともあり、単行本だけで250万部を超える大ヒットを記録しています。
おわりに
大衆文学と純文学について簡単に説明してきました。
言葉だけだと正直、理解するのが難しいところもあります。
違いを知るには、まずは一冊でも二冊でも読んでみるといいかなと。
芥川賞受賞作品から読むと、話題にもついていけるし、文学として評価されている作品なので、よりその真髄が分かっていいかなと思います。