宮沢賢治

【5分でわかる】宮沢賢治『雨ニモマケズ』の全文と解説・感想

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」

このフレーズを聞いたことがない人はいるでしょうか。

小学校の教科書にも載るくらい有名な一節ですね。

今回紹介するのは、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』です。

 

この『雨ニモマケズ』の存在を知ったのは小学生の頃でしたが、30半ばの最近まできちんと目を通したことはありませんでした。

読んでみるとわずか343文字の作品。

そこに宮沢賢治の想いがぎゅっと詰め込まれています。

ここでは、『雨ニモマケズ』の全文紹介と解説をしていきます。

Contents

『雨ニモマケズ』の全文

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ

丈夫ナカラダヲモチ

慾ハナク

決シテ瞋ラズ

イツモシヅカニワラッテヰル

一日ニ玄米四合ト

味噌ト少シノ野菜ヲタベ

アラユルコトヲ

ジブンヲカンジョウニ入レズニ

ヨクミキキシワカリ

ソシテワスレズ

野原ノ松ノ林ノ䕃ノ

小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ

東ニ病気ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩

南無上行菩薩

南無多宝如来

南無妙法蓮華経

南無釈迦牟尼仏

南無浄行菩薩

南無安立行菩薩

ノートから見つかった宮沢賢治の遺作

宮沢賢治の『雨ニモマケズ』を読む前は小説なのかと思っていました。

読んでみると詩のように思えますね。

ただ本当に詩だったのかは判断が難しい作品です。

実際に宮沢賢治の詩集に収録されていることもあれば、『宮沢賢治の言葉』として本になっていることもあります。

童話の一つとして数え上げられていることもあります。

『雨ニモマケズ』は、宮沢賢治自身が作品として世に発表したものではありません。

宮沢賢治が亡くなった翌年に、遺品のノートの中にこの『雨ニモマケズ』が残されていたのです。

『雨ニモマケズ』が書かれたとされているのは、1931年の11月3日。

宮沢賢治がなくなる2年ほど前のことです。

すでに病気により寝たきりとなっていた宮沢賢治ですが、そんな状態からも、新しい作品を手掛けていました。

そうした作品の一つという見方もありますし、『雨ニモマケズ』は、当時の宮沢賢治の心境や願望を書き記したものではないかとも言われています。

『雨ニモマケズ』に込められた想い

読んでわかるように、『雨ニモマケズ』にある「そういうもの」ってとんでもない人ですよね。

7行目くらいまでは私自身もそうであればいいなという人物像です。

雨にも風にも雪にも夏の暑さにも負けないで、健康で欲がなくておごったところがなく、いつも笑っている人。

実際にそんな人いるのかと考えると浮かんでこないものです。

『雨ニモマケズ』の後半では、自分自身のことを省みるのではなく、いろんな人に尽くす生き方をつづっています。

これもまたすごい。

四方に飛び回り困っている人を助け、決して見返りを求めない。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んだ際にも感じましたが、宮沢賢治の理想とする生き方には、自分のことではなく、常に他人が映っているように感じます。

『銀河鉄道の夜』の中では、「ほんとうのさいわい(本当の幸い)」とは何かというのが一つのテーマでした。

そして「ほんとうのさいわい」の一つの形として、他人に尽くす行為が描かれています。

滅私奉公(この言葉は好きではありませんが)にも近い思想があるのかもしれません。

『雨ニモマケズ』のモデルとされる人物

『雨ニモマケズ』にはモデルがいたとされています。

「斎藤宗次郎」という人物です。

斎藤宗次郎は宮沢賢治と同じ岩手県の出身です。

1877年、禅寺の息子として生まれました。

斎藤は、小学校の教師をしていたころに、内村鑑三(キリスト教思想家)に影響を受け、キリスト教に入信します。

当時の日本ではまだキリスト教徒は異端でした。

また当然、禅寺の出身ですが親はそんなこと許しませんよね。

斎藤は親から勘当され、教師を辞めることになり、新聞配達の仕事をしながら布教に励むことになります。

宮沢賢治と斎藤とは、日蓮宗とキリスト教。

信じる宗教こそ違うものの、宗派を超えた交流がそこにはありました。

キリスト教というと、隣人愛という言葉が浮かんできます。

実際に斎藤も、貧困に苦しむ人や病人に食べ物を分け与えたり、悩みのある人の話を聞く姿勢を見せたりしていました。

こうした斎藤の生き方が宮沢賢治の理想の姿としてあったのかもしれません。

宮沢賢治自身は法華経の家庭に育ちましたが、『銀河鉄道の夜』にもあるように、キリスト教への理解もありました。

また、日蓮宗とキリスト教でも、似た部分というのはやはりあります。

他者の幸福を大切にする点なんかはかなり共通している部分ではないかなと思います。

(日蓮宗の場合、他宗教への目はかなり厳しめですが)

おわりに

上記したように、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、ノートに残された遺作です。

もしかしたら、宮沢賢治自身は表に出すつもりがなかったものなのかもしれません。

だからこそ余計に、この『雨ニモマケズ』に宮沢賢治の信念や理想とする人間像が込められているような気がします。

人は何も考えなくても、それなりに働いていればなんだかんだ生きていけます。

そうした生き方もそれはそれで一つありなのかなと思います。

それだって楽しい人生です。

でも、自分がどんな人間でありたいのかという人物像や理想を持って生きていくと、人生により張りが出てきて、生きる実感が持てるように思います。

『雨ニモマケズ』はそんな生き方のヒントを示してくれる作品であると感じます。