宮沢賢治

【5分でわかる】宮沢賢治『銀河鉄道の夜』のあらすじと解説。「ほんとうのさいわい」とは

小学校の教科書にも出てくる有名な作品。

そのときはそれほどこの作品の良さがわかりませんでした。

でも大人になって読んでみるととても深い作品だと感じざるを得ません。

今回紹介するのは、

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』です!

 

『銀河鉄道の夜』も、多くの人がタイトルを聞いたことがあると思います。

教科書にも載るくらい有名な作品ですからね。

でも意外と内容は覚えていないものです。

『銀河鉄道の夜』は短編集の一編のして収録されています。

そのため、これだけを読むと文庫本で78ページだけという思ったよりも短い作品でした。

それでも、その78ページにたくさんの想いが込められており、とても楽しめる小説です。

『銀河鉄道の夜』のあらすじ

『銀河鉄道の夜』は大きくわけて3つのパートにわかれています。

〇物語の導入から星祭の夜まで

〇銀河鉄道に乗って旅をする

〇野原で目を覚ましたジョバンニが家に帰るまで

ジョバンニと星祭

『銀河鉄道の夜』は、学校で天の川についての授業を行っているところから始まります。

先生が、「星座の図の上から下へ白くけぶった銀河帯」を指し、このぼんやりと白いものは何かと生徒に問いかけます。

カムパネルラを始め何人かが手をあげ、ジョバンニも手をあげようとして引っ込めてしまいます。

ジョバンニは、たしかにその答えが星だと知っているはずなのにどうにも自信が持てない。

それというのも、ジョバンニは漁に出た父親が戻ってこず、朝も午後も働いて生活をしていて疲れ切っていたからです。

疲れてぼんやりとしてしまい、わからないような気持になってしまう。

先生にあてられてもそんな調子で答えることができません。

すると次にあてられたカムパネルラも同じように答えようとしませんでした。

ジョバンニは、自分のことを気の毒に思ってわざと答えなかったのだと思い、自分もカンパネルラもあわれだと感じます。

 

その日は星祭だったので、授業が終わるとみんな星祭の準備をしています。

カンパネルラもザネリたちと一緒に集まっています。

でもジョバンニは活版所にいき、活字拾いの仕事をしなくてはいけません。

仕事を終えてパンの塊と砂糖一袋を買ったジョバンニは、体調を崩して寝込んでいる母親のもとへ帰りますが、牛乳がまだ届いていないことに気づきます。

ジョバンニは牛乳を取りに行き、少し星祭を見てから帰るといい家を出ます。

 

家を出て牛乳屋さんに行きますが星祭で人がいなくまたあとで来るようにいわれてしまいます。

しかたなく店を出ると、道角でザネリたちと遭遇。

ザネリは意地悪ばかりをいうクラスメート。

ジョバンニを見ると、漁から戻ってこない父親のことをあてこすり、ジョバンニをからかいます。

一緒になって悪口こそいわないけれど、その集団の中にカムパネルラがいたので冷たい気持ちになりその場から逃げ出します。

銀河鉄道に乗って

牧場のうしろの緩い丘で体を投げ出すジョバンニ。

街のはずれから遠く黒く広がった野原を見渡していると汽車の音が聞こえてきます。

「銀河ステーション」「銀河ステーション」という声が聞こえてきたと思ったら、ジョバンニは走る列車の中にいました。

すぐ前の席には、ぬれたような真っ黒な上着を着た背の高い子どもが、窓から頭を出して外を見ています。

なんとそれはカムパネルラでした。

ジョバンニが声をかけようとすると、

カンパネルラが

「みんなはねずいぶん走ったけれども遅れてしまったよ。ザネリもね、ずいぶん走ったけれども追いつかなかった。」と云いました。

ジョバンニは、(そうだ、ぼくたちはいま、いっしょにさそって出掛けたのだ。)とおもいながら、

「どこかで待っていようか」と云いました。するとカムパネルラは

「ザネリはもう帰ったよ。お父さんが迎いにきたんだ。」

カムパネルラは、なぜかそう云いながら、少し顔いろが青ざめて、どこか苦しいというふうでした。

(宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』より)

旅の中でカムパネルラはこんなこともいいます。

「おっかさんは、ぼくをゆるして下さるだろうか」

「ぼくわからない。けれども、誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばん幸なんだねえ。だから、おっかさんは、ぼくをゆるして下さると思う」

(宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』より)

そこからジョバンニとカムパネルラは銀河鉄道によっていろんなところへいきます。

白鳥の停車場、プリオシン海岸、アルビレオン観測所。

水晶の砂でできた河原に降りたったり、120万年前の地層から化石を掘り出したり。

いろんな人たちにも出会います。

背の高い黒い服を着たカトリック風の尼さんは、真ん丸な緑の瞳をじっとまっすぐに落としていました。

茶色の少しぼろぼろの外套を着て、白い二つの荷物を肩から下げた赤ひげの男性は鳥捕りで、荷物から捕まえたさぎや雁を見せてくれました。

旅の終盤で出会ったのは、赤いジャケットの6歳くらいの黒髪の男の子と、黒い洋服をきちんと着た背の高い青年、12歳くらいの黒い外套を着たかわいらしい女の子でした。

彼らは次々にいいます。

「私たちは天へ行くのです」

「もうなんにもこわいことありません。わたくしたちは神さまに召されているのです」

「わたしたちはこんないいところを旅して、じき神さまのところへ行きます」

(宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』より)

青年は、氷山にぶつかって船が沈んだのだと話します。

男の子と女の子だけでもボートに乗せようと思ったけれど、ほかにも同じような人たちがいるなかどうしてそれを押しのけて乗せることができただろうかと。

そして讃美歌や新世界交響楽が聞こえてくるのです。

徐々に車両から人がいなくなりジョバンニとカムパネルラの二人だけになります。

ジョバンニはカムパネルラと「ほんとうのさいわい」をいつまでも一緒に探しに行こうと約束をします。

家へと帰るジョバンニ

気がつけば隣に座っていたはずのカムパネルラがいなくなっています。

目を開くとそこは丘の草の上で、ジョバンニは疲れて眠っていたようです。

ジョバンニが改めて牛乳をもらいに行き、家に帰ろうとすると、途中、橋の方を見てひそひそと話す7,8人の女性たちがいました。

女性たちは子どもが水に落ちたと話しています。

嫌な予感がして人の集まりの方に走っていくと、クラスメートのマルソから、

「カムパネルラが川に入った」

と聞かされます。

カムパネルラは川に落ちたザネリを助けようとして川に入ったのでした。

ザネリはカムパネルラに救われ、そのあと父親が来て一緒に家に帰りました。

カムパネルラは川に入って45分がたつのに姿を見せません。

カムパネルラの父親はもうだめだろうと話します。

ジョバンニは、カムパネルラの父親からジョバンニの父親が帰ってきていると伝えらえ、急ぎ家へと帰っていきます。

『銀河鉄道の夜』の感想・解釈

銀河鉄道に乗っていたのは亡くなった人たち

不思議な銀河鉄道に乗っていたジョバンニ。

『銀河鉄道の夜』の内容から、ジョバンニ以外の乗客は亡くなった人たちということがわかります。

黒い服を着た人が多いのも、そういった意味合いがあるのかもしれません。

ジョバンニがいろんな人に出会いながらも、悲しい気持ちを感じていたのもその一つでしょう。

最後にであった青年たちは、船が氷山にぶつかったと話していました。

これは、有名な「タイタニック号」の事件を指しているのだといわれています。

姉弟も、「天にかえる」、「神に召される」といった発言をしており、地上で亡くなり、銀河鉄道に乗って神のもとに向かっているのだとわかります。

「ほんとうのさいわい」とは?

『銀河鉄道の夜』の終盤で、「ほんとうのさいわい」という言葉が出てきます。

これがこの物語の大きなテーマの一つです。

カムパネルラは、母親が幸せになるならどんなことでもするけど、なにが母親の幸せなのかと疑問を投げかけています。

そして、本当にいいことをしたら誰だって幸せだから、自分のしたことを許してくれると思うとも口にしています。

カムパネルラがしたこととは、自分の危険をかえりみず、川に落ちたザネリを助けに行ったことです。

その結果、カムパネルラは行方不明に。

自分の子どもが行方不明になれば、当然母親は悲しむことになります。

でもカムパネルラは許してくれるといいます。

そこには、「他者のために尽くした行為=本当にいいこと」であるという考えがあります。

ほんとうのさいわいとは、他者に貢献することであるとの思想が読み取れます。

 

サソリの火に関するエピソードからもそれは読み取れます。

サソリは自分がイタチから逃げるために井戸に飛び込み命を落とそうとします。

そのときになって、こんなことなら逃げないでイタチのためになった方がよかったと思います。

そして、サソリの誰かに貢献したいという思いが神様に聞き届けられ、さそり座のひときわ輝く赤い星(アンタレス)は、夜空からその光で人を照らすようになります。

これも他者のためになることが素晴らしいことだという話ですね。

「ほんとうのさいわい」を考える続けることが大切

『銀河鉄道の夜』を読み終え、はたして「ほんとうのさいわい」ってそうなのかしらんとちょっと思ってしまいます。

誰かのために貢献する、尽力すること自体はすばらしいこと。

仏教用語でも、

「誰かのために灯りをともせば自分の前も明るくなる」

といった意味の言葉にもあるように、誰かのために行った行為は、巡り巡って自分のためになることもあるでしょう。

それ自体に異論はないのですが、自分の命をかけてまでとか、自己犠牲という言葉はあまり好きではありません。

こうしたさいわい……幸福というものは、自分があってのことだと私は思います。

自分も幸せである上で、さらに他人も幸せである「自他供の幸福」ってものが目指すべきところなのかと考えます。

『銀河鉄道の夜』で、ジョバンニは「ほんとうのさいわい」を探しに行こうと決意をしましたが、カムパネルラの死を感じ、どう思ったのでしょうか。

たとえカムパネルラのした行動が尊いものであっても、やはり悲しいと思うだろうし、元気な姿のカムパネルラに会いたいと思うはずです。

この「ほんとうのさいわい」には、これが絶対正しいという答えはないのかもしれません。

でもそれを考え続けるとき、その人の行動はよりいい方向に進むと思うし、その人にとっても「ほんとうのさいわい」に近づくのだと思います。

おわりに

なかなか読む機会のなかった『銀河鉄道の夜』でしたが、やはり名作と呼ばれるものには感じ入るものがあります。

今まで昔の日本文学にはあまり触れてこなかったのが惜しかったなと。

いい作品と呼ばれるものには、考えさせられるものが多いのでしっかり読んでこれからも学んでいきたいです。

次は『注文の多い料理店』や『雨ニモマケズ』あたりに手を伸ばしてみたいです。