一度読んだらもう一度読み返したくなる小説ってありますよね。
この作品も最後まで読むと、もう一度最初から読んでみたくなります。
きっと一度目とは違った見え方をするでしょう。
今回紹介するのは、道尾俊介さんの『向日葵の咲かない夏』です。
以前から、道尾俊介さんの名前は知っていたのですがなかなか読む機会がなく……。
娘(当時2歳4か月)がKindleをいじっていて、気づいたときには購入されていて、せっかくなのでと思ったのが読むきっかけでした。
しかし、読んでみるとこれはなかなか。
読書好きの中では評価の高い1冊だけのことはあるなと思わされました。
ただ、けっこう好き嫌いが別れそうな小説でもあります。
学生時代のころの私だったらちょっと避けていたかも。
でもいまの自分からすると、基本的には好きな部類ではないですがおもしろいと感じます。
ここでは、『向日葵の咲かない夏』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『向日葵の咲かない夏 』のあらすじ
夏休みを迎える終業式の日。
小学4年生の摩耶道夫は、先生に頼まれ、欠席したS君の家を訪れた。
しかし、呼びかけても誰も出てこず、きい、きいと妙な音が聞こえてくる。
道夫が家の中に入っていくと、S君は首を吊って死んでいた。
すぐに学校に知らせにいった道夫であったが、先生たちがS君の家に行ったときには、彼の死体は忽然と姿を消してしまっていた。
一週間後、S君が蜘蛛の姿となって道夫の前に姿をあらわす。
S君は道夫に訴える。
「僕は殺されたんだ」と。
S君を殺した犯人はいったい?S君の遺体はどこへいったのか?
道夫は妹のミカと蜘蛛になったS君とともに、事件の真相を追うのであった。
生まれかわりという要素
『向日葵の咲かない夏』のかなり前半で、死んだはずのS君が道夫の前にあらわれます。
S君は死んだはずでは?
そう、S君は死んだのに、蜘蛛に生まれ変わって再登場するのです。
生まれかわりって、現実ではあまり信じられることではないですが、物語りとしてはありなのかな。
にしては、蜘蛛として登場するのが早いなと思いましたが。
『向日葵の咲かない夏』では、それ以外にも生まれかわりとして登場する人がいます。
最初にS君が蜘蛛になったから、この人はどうなのかなとか想像しながら読んでしまいますね。
内容はけっこうきつい
『向日葵の咲かない夏』ってタイトルは、ちょっと切ない青春なのかなと思わせておいて、内容はかなりきつめです。
いきなりS君は自殺してしまうし、動物は殺されるし、先生はかなりやばいやつだし。
家族との関係も完全に壊れています。
あまり救われる要素のない小説であり、おもしろいと思う反面、かなり読むのをきついと感じる人もいるのではないかと。
小説の中で、道夫が「くるっている」と発言する場面がありますが、そのとおり、この小説の世界がどこかくるっているように感じます。
でもそこには必然もあり、読み終わった後のやるせなさがなんともいえません。
嘘だらけの世界
内容自体もきつめですが、『向日葵の咲かない夏』の中は、いろんな嘘で固められています。
誰もかれも嘘ばっかりです。
いや、嘘がなければ成り立たない世界だったのでしょう。
実際に誰が本当のことをいっているのかわからなくなってしまいます。
でも嘘って悪いことばかりではないんですよね。
嘘をつくときって大きく2つだと思います。
誰かを陥れようとするときと、何かを守ろうとするとき。
『向日葵の咲かない夏』では、何かを(主に自分ですが)守ろうとするための嘘が多かったのかなとは感じます。
嘘をつかなければ守れないものってあるのだと。
やるせない結末
最後の最後は、はっきりと書かれてはいませんが、道夫は一人になってしまいます。
のびた一つだけの影がとてもさみしく感じられます。
道夫は結局、自分の心を守るためにこういう生き方しかできなかったのでしょうか。
もっと昔の道夫はきっと、明るくいたずら好きのかわいい子だったのだろうなと想像できます。
たった一度の過ちがすべてを狂わせてしまったのだなと。
でも、本当であれば、そこから立て直すことだってできたはずなのに。
これは決して物語の中だけの悲劇ではないと思います。
こんな風に壊れてしまう家族ってあるんだと。
だからこそ、やるせないし、その先がどうなるのか気になってしまいます。
おわりに
あまり書評に具体的なことを書かない方がいい小説かなと思うので、かなりあいまいですが、こんな感想になります。
それでもそこそこ書かずにはいられませんでしたが。
冒頭にも書いたように、正直あまり好きな分野ではなかったですが、それでも考えさせられることは多く、いい本だなと思います。
読まず嫌いしてきた内容なので、これからはこういった作品にも手を伸ばすのもいいかなと思わされました。
「誰だって、自分の物語の中にいる」という言葉がとても印象的。
それは人生の中で忘れてはいけない視点なのだと感じます。