この人の小説はいつもタイトルを見ても、どういう小説なのかさっぱりわかりません。
でも読み終わったときには、
「タイトルがとてもしっくりくる!!」
と思わされるからすごいですよね。
今回紹介するのは、伊坂幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』です!
伊坂さんの5作目の小説になります。
いわゆる叙述トリックというものが使われているんですが、あっさりとひっかかるのが私です。
うん、それも含めておもしろい作品でした。
Contents
『アヒルと鴨のコインロッカー』のあらすじ
『アヒルと鴨のコインロッカー』は、現在と2年前の二つの時間軸が交互に描かれながら物語が進んでいく。
現在の物語は、この春から大学生となった椎名の視点で描かれる。
気が弱く流されやすい性格をしている椎名は、引っ越し先のアパートの廊下でボブ・ディランの「風に吹かれて」を口ずさんでいた。
すると、一人の男が椎名に声をかけてくる。
彼は隣の部屋に住む河崎と名乗り、椎名に一緒に本屋を襲って広辞苑を盗まないかと提案してくる。
河崎は、同じアパートに住む恋人を失って元気がないブータン人、彼がアヒルと鴨の違いがわからないので広辞苑をプレゼントしたいのだという。
何をばかなことをと思う椎名だったが、断りきれず、本屋を襲う手伝いをすることになる。
椎名が裏口で誰も逃げてこないように見張っている間に、河崎が本屋を直接襲うのだった。
結局、広辞苑ではなく、広辞林を奪って逃走する二人。
しかし、翌日になっても、その事件はニュースになっておらず、新聞にも載っていない。
気になった椎名は本屋に行ってさぐりを入れてみるが、朝店内が荒れていたことを、夜中に店員の一人が暴れたのだろうという話になっていた。
どうも何かがおかしいと思う椎名。
そんな折に、河崎とも知り合いであるペットショップの店長をしている麗子と出会い、2年前の話や河崎やドルジ、琴美という女性のことを聞かされる。
2年前の物語は琴美の視点で描かれている。
琴美は、ブータン人のキンレィ・ドルジの恋人であり一緒に暮らしていた。
河崎は琴美の元カレという関係であったが、ドルジは河崎から日本語を習っていてよい友人である。
麗子の経営するペットショップで店員として働く琴美は、世間で多発しているペット惨殺事件に対して憤りを持っていた。
ある日の夜、琴美はドルジとともに、そのペット殺しの犯人たちに出会ってしまう。
彼らはそろそろ動物にも飽きてきたから人間でも同じことがしたいといい、琴美を襲おうとする。
その場は逃げだすことができた琴美であったが、犯人たちに目をつけられてしまうのであった。
琴美は逃走する際に、パスケースを落としてしまっていたことに気づく。
不安にかられる中、何事も起きずに安心した矢先、犯人たちから電話がかかってきてしまい、住所も知られていることを知る。
その後も、犯人たちに琴美は何度も襲われるが、ドルジや河崎に助けられ、逆に犯人たちを捕まえようとするのであった。
交互に描かれる物語によって、2年前の事件と現在の本屋襲撃が次第につながっていく。
アヒルと鴨とは?
『アヒルと鴨のコインロッカー』のタイトルのアヒルと鴨。
小説の中でも、アヒルと鴨を比較して似ているけれど違う存在として表現していました。
『アヒルと鴨のコインロッカー』の中での認識としては、
アヒルと鴨の違いは、外国から来た鳥か日本にいる鳥かということ
になっています。たぶん。
そこから、日本人である琴美と、ブータン人であるドルジや、河崎とドルジの違いがあることを引き立たせています。
現在の物語でも、椎名の大学の同級生が、相手が外国人と知ったら仲良くなれる自信がないという場面もあります。
常識も習慣も違う相手と理解し合える気がしないというのです。
アヒルと鴨って、羽の色なんかは違うけれど、どちらもカモ科の鳥でそこまで大きな違いがないんですよね。
ただ、外国産か日本産かという区別の仕方は間違いではないけど正確でもないかなと。
元々、野生にいたマガモが鴨で、それを家畜として品種改良したものがアヒル。
更には、鴨とアヒルを掛け合わせたものが合鴨というわけです。
合鴨はおいしいですね、鍋の季節には一度は食べたい。
とまあ、何が正解かってのはたいして重要なことではないので、『アヒルと鴨のコインロッカー』の中ではそういう意味合いがあったということだけわかっていればいいかなと思います。
人種の違いなんて大したことではない
人間ってなんでもカテゴリーわけしたがる生き物です。
『アヒルと鴨のコインロッカー』では、上記のように、アヒルと鴨になぞらえて、日本人である琴美たちとブータン人であるドルジを比較するシーンが何度も描かれています。
椎名の友人との会話の中でも、外国人というだけで偏見ともとれるような発言をあえて入れ込んでいましたね。
もちろん、生きてきた環境も習慣も常識も違うので、すれ違ったり、意思疎通が難しい場面って結構あるものです。
私も仕事上、外国籍の方と接する機会が多いですが、どうこのニュアンスを伝えるべきかと悩むこともあります。
でもそれだけのことなんですよね。
理解のしがたい得体の知れない人たちというわけではありません。
自分たちと同じように誰かを想うこともありますし、悲しむことも、怒ることもあります。
逆に、『アヒルと鴨のコインロッカー』に出てくるペット殺しの犯人たちの方が、同じ日本人であっても、到底理解しがたいと思ってしまいます。
どういうカテゴリーとか所属とかジャンルとか、そういったものではなく、その人自身を見なくてはいけないよなと感じました。
仕事でも似たようなもので、大きい所帯になればなるほど派閥なんてものが自然とできてしまいます。
「あいつはあっちの派閥だから……」
と色眼鏡で見るのって簡単なんですよね、人間は楽をしたがるので。
職業選択でも、この仕事の人はこう!とか思い込んでいる部分があります。
たとえば法律に携わる仕事をしている人でも、良識的で賢い人が多いですが、なかにはとんでもない人間だっています。
結局は枠組みではないんです。
ただ、そうした方が本当に楽で、わかり合う方が大変なのだろうなと。
ペット殺しという犯罪は軽いのか……
伊坂幸太郎さんの作品では、度々何かしらの犯罪が出てきます。
『アヒルと鴨のコインロッカー』では、ペット殺しですね。
前作の『重力ピエロ』が、強姦に放火に殺人だったので、与えるインパクトが結構違いますよね。
『アヒルと鴨のコインロッカー』の中で、ペット殺しというと実際にやっていることに比べて軽い印象をもってしまうといった内容が出てきます。
まさにそのとおりでやっていることはすごく残酷でありえないこと。
実際には、生きた動物をなぶって傷つけ殺します。
『アヒルと鴨のコインロッカー』の中では、生きた猫を傷つけて泣いている声を琴美に聞かせるシーンがありました。
小説の中のこととはいえ、つい顔をしかめてしまいます。
一般的には本当にありえないことだとは思うのですが、意外と動物の虐待事案って多かったりします。
そもそも動物を傷つける行為って器物損壊罪なんですよね、そこがまずおかしいのですが。
犯罪に関わる仕事をしていると、よく窃盗とか暴行とか傷害事件を軽い事件と捉える人もいます。
でも、そういう事件にせよ、ペット殺しにせよ、内情を見るととても軽いものとはいえないし、被害者からしたらとんでもないことです。
『重力ピエロ』の中では、
「どんな陳腐な犯罪でも、それによって、一度きりの人生がぐらぐらと揺すられることには変わらない。いくら事件が陳腐でも、人を不幸にするには充分だ」
(伊坂幸太郎『重力ピエロ』より)
という文章がありましたが、ここではあえて陳腐という言葉を使っていますが、伊坂さんがどんな事件でも陳腐と感じてはいないことがわかります。
今作でもちょっとだけある他作品とのつながり
伊坂さんの作品といえば、ほかの小説の登場人物や事件なんかが登場することで有名です。
『アヒルと鴨のコインロッカー』はちょっとだけですが、他作品とのつながりがありました。
それは、現在の物語の気の弱い椎名くん。
彼の叔母さんが祥子さんといい、喫茶店を営んでいるというのです。
そして響野という変わった旦那さんがいるという!
わかる人にはわかったと思います。
該当する箇所は下記の部分ですね。
「どうせなら喫茶店のほうが洒落ているのに、と思った。たぶん、祥子叔母さんが喫茶店を経営しているからだろう。響野という少々変わった旦那さんと夫婦でやっている」
(伊坂幸太郎『アヒルと鴨のコインロッカー』P249より)
伊坂さんの3作目、『陽気なギャングが地球を回す』の強盗グループの一人である響野さんの奥様である祥子さんですね。
実際に小説の中に登場するわけではなく、そういう叔母さんがいるという話でしたが、見つけると嬉しいですね。
おわりに
伊坂幸太郎さんの5作目『アヒルと鴨のコインロッカー』の感想でした。
出版社が変わったけれど、作品間のリンクもしっかりあって楽しめました。
元々、内容的に映画化はできないだろうなんていわれていた作品でしたが、なんだかんだ映画化されています。
賛否両論ありますし、ちょっと無理したかなという気もしますが、機会があればそちらも見てみるとおもしろいかと思います。
さて、次回は6作目の『チルドレン』ですね。
一風変わった家庭裁判所調査官の話です。
個人的に、この家裁調査官とか、少年犯罪は興味のある分野なので楽しみです。