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管理され人の命が軽くなったディストピア。古川真人『ギフトライフ』

科学が発展し、いろんなことが事前にわかるようになってきた。

AIも進化し、人の手を必要としなくなった仕事もたくさんありますね。

そうした発展はいいものばかりではなく、道を間違えれば恐ろしい未来につながる可能性も。

古川真人さんの『ギフトライフ』です!

これは、いわゆるディストピアってやつですね。

今よりも文明が発展した世界。

便利なんだけど、いろんなことが管理されています。

出生率の低下からの無理矢理な巻き返しとか、日本中ドローンで監視されているところとか、地方は捨てられ一極集中するところとか、どれもありえそうで恐ろしい。

安楽死さえも推奨される世界ってどうなんだろう。

人はなんのために生きているのかなということを考えさせられます。

ここでは、『ギフトライフ』のあらすじや感想を紹介していきます。

Contents

『ギフトライフ』のあらすじ

社会は、『企業』によって管理されるようになっていた。

この世界で働こうと思えば、どこかの会社に所属することになる。

それらはいずれも『企業』の子会社になる。

政府にも『企業』は力を持っていて、彼らの影響を受けないところはないといってもいいほど。

日本では出生率の低下と、高齢者問題から、政府と『企業』によって、安楽死が制度化されていた。

安楽死は忌避するものではなく、生産性のなくなった人間が、あとに残る人のために取る選択肢の一つとなっていた。

安楽死をライフプランの一つとして推奨する報道やCMが流れ、高齢者は子どもに「信用ポイント」を残すために自らその道を選ぶ。

「信用ポイント」。

これが生きていく上で欠かせないものとなっていた。

政府と『企業』が理想とする家族を作った人にはそれにともなって「信用ポイント」が付与されていた。

親子三世帯で暮らせばその分、ポイント加算。

生産性がなくなったときに安楽死を選べばポイント加算。

されには、重度不適正者を対象とした、人体実験のための生体贈与というギフトライフ制度まで誕生する。

人為的に病気にさせて、ワクチンや新薬投与することで未来に貢献するというものだ。

提供者の家族にはポイントが与えられる。

立場の弱い人たちは、葛藤しながらも、ギフトライフ制度を利用せざるを得なくなる。

人の命とは、生き方とはなんなのか。

行き過ぎた未来の先に待つものはなんなのだろうか。

人の命が軽くなった世界

上記したように、『ギフトライフ』の世界では、安楽死が推奨され、ポイントに人々は翻弄され、すべてが『企業』によって管理されています。

重度不適正者。

障害があるなどで、社会に適応できない人たちのことをこの世界ではそう呼んでいます。

彼らの人権なんてないようなもの。

施設に入ることもできるものの、18歳を超えると、それまでよりも高額のポイントを支払う必要があり、多くの場合、施設を出るしかなくなる。

自宅で自分たちのポイントを削りながら世話をするか、それともギフトライフ制度を利用するのか。

恐ろしいことに、『ギフトライフ』に出てくる人たちは、それがあたり前のように感じているということです。

家族と将来のことを話す中で、

「そろそろ安楽死するか」

みたいな考えが出てくるんですよ。

今だったら信じられない世界ですが、いろんなものが進化して、世界情勢が変わるとあり得ない未来ではないなと思います。

毎日のようにそうすることが正しいと言われ続ければきっとそうなってしまうんだろうなって。

よく非行問題を扱うときに出てくるんですけど、親が、子どもが悪いことをしたときに暴力で解決するタイプだと、子どもも、

「殴られたのは自分が悪いことをしたのだから仕方がない」

って考えるようになるんですよね。

そしてそれを自分の友人関係や先輩後輩の中にも適用するようになっていきます。

それと似たようなことなのかなってちょっと思いました。

非常識が常識に変わるときって、少しずつなんですよね。

気づけば少しずつすり替わっていって。

だから本当に間違っていると思うことには声を上げ続けなければいけないのかもしれません。

管理か自由か

『ギフトライフ』では、多くの人は、『企業』に管理された世界で生きています。

でも、中にはそこに馴染めずに、原始的な生き方をしている人たちも実は存在します。

『ギフトライフ』の世界では、人々は都市に一極集中して暮らしています。

それによって、野ざらしにされた土地はたくさん存在していて、中にはインフラがまだ残っているところも。

捨て去れた場所なのに電気や水道が通っているのはなぜ?って思いましたが、本の中では、そうしたものを撤去するのも費用がかかるからーみたいになっていましたね。

ともかく、そうした場所が地方にいけばそこそこあって、そこで狩りをしたり、野菜を育てたりして暮らしている人たちも存在します。

主人公は、成り行きでそうした生き方をしている男性と出会うことになります。

不自由じゃないか、なぜそんな生活をしているのかと問う主人公に、男性は、管理された今の世界が自由と言えるのかと問い返します。

『ギフトライフ』の世界では、すべてが監視されていて、正しいと思われる生き方をすれば、それだけ裕福になり、低階層の世帯では、早めの安楽死をするのが基本路線。

生き方のレールが敷かれたような世界なんです。

でも、主人公はこれだけ文明が発展して、好きな生き方ができるじゃないかと言います。

管理されていても、好きなことはできるのだから自由だと思うのか、それとも生き方に制限を受けているのだから不自由と考えるのか。

やることが決められた生き方って、或る意味楽ではあるんですよね。

自分はこれさえすればいい、このとおりに生きるのが正しいのだって。

一見、変に見えるようなルールでも、それに従っているときって、余計に施行することもなく、それを終わらせればいい。

逆にそうした決まり事がない中で生きる事って、実はとても大変で苦労が多い。

男性も、自給自足の生活で、病気になってしまえば入院もできない。

それでも、自分で生き方を選ぶという自由を求めて離脱したわけです。

私達の人生でも、これが正しい生き方とか、育児にはこれくらいお金がかかって、老後はこれくらいお金が必要だから、いまからこんなことをしておかないとみたいなものがあふれています。

これだって、提示された答えなんでしょうね。

そのとおりにしていればどこか安心。

でもそれが正しいのかって本当の意味ではわからない。

おわりに

文章全体は、説明っぽいところも多くて、なかなか話が進みづらいなと感じます。

でも、テーマがテーマなだけにとても興味深く読めました。

ディストピアっておもしろいですよね。

たしかにあり得るかもしれない世界。

私達への警鐘のようでもあり、避けることができない未来のようでもある。

そんな世界嫌なんだけど、でも、ある種の未来予想みたいな?

今の時代ってそう考えるとやっぱり平和で幸せで、問題はあるけど解決できることなんですよ。

今と向き合うきっかけにもなる一冊だったなと感じます。