太宰治といえば、日本を代表する文豪の一人。
その中でもこの作品は多くの影響を与えました。
今回読んだのは、太宰治の『斜陽』です!
『斜陽』は太宰治が書いた中編小説にあたります。
発売されたのは1947年。
戦後間もない時期ですね。
敗戦後の没落貴族の変容を描いており、斜陽という言葉が、没落という意味を持つほど影響力のある作品でした。
ここでは、『斜陽』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『斜陽』のあらすじ
伊豆へ
昭和20年(1945年)。
華族制度廃止により没落貴族となったかず子。
かず子や弟の直治は、貴族といっても爵位だけで、とても立派な貴族とは呼べないと自分たちのことを考えていた。
そんな中でも母は、いつまでもほんものの貴族であった。
当主であった父は10年前に亡くなった。
戦地に行った弟は行方知れず。
かず子とその母は、苦しい生活を送ることになる。
かず子は、父が亡くなった頃のことを思いだす。
父の枕元に黒い蛇がいて、すぐに逃げたが、その日の夕方は、庭の木という木に蛇が集まっていた。
そのことから、母は蛇を恐れ、畏敬の念を抱いていた。
かず子は蛇の卵を焼いたことがある。
そのことが恐ろしいことだったように感じ、母に悪い祟りをするのではないかと心配になっていた。
戦争が終わり、経済状況が悪化していく。
叔父の薦めに従って、東京・西片町の屋敷を売却し、伊豆の山荘で暮らすこととなる。
伊豆での暮らし
伊豆の山荘は、景色もよくいいところであったが、到着早々に母が体調を崩す。
39度を超える高熱を出すものの、朝には熱が下がり、少しずつ安定していく。
数か月に渡り、かず子と母の生活は穏やかなものだった。
編み物をしたり、本を読んだり、お茶をいただいたり。
しかし、時折かず子は、この安穏とした生活が、すべていつわりであり、見せかけに過ぎないと思うことがあった。
ある日、かず子は火事を起こしかける。
風呂に使った薪を、もう消えたものと思って薪の山の側に置いていたのが原因だった。
近隣住民の助けによって火は消し止められ大事にはならずにすんだが、ある住民から言われる。
「宮様だか何さまだか知らないけれども、私は前から、あんたたちのままごと遊びみたいな暮し方を、はらはらしながら見ていたんです。子供が二人で暮しているみたいなんだから、いままで火事を起こさなかったのが不思議なくらいのものだ。本当にこれからは、気をつけて下さいよ。」
(太宰治『斜陽』より)
もっとしっかりしなければと思ったかず子は、翌日から畑仕事に精を出すようになる。
弟・直治の帰還
ある日、母から改まって話があると言われる。
叔父からの、弟の直治が生きていたという知らせを受けたのだった。
直治は、重度の阿片中毒になっていた。
以前にも直治は麻薬中毒になり、薬屋から恐ろしい額の借金を重ねていた。
そのときは、母が二年かけてようやく返済したのである。
叔父は、治して帰ってきたとしても、それではすぐに働けないだろうと、かず子に、どこかに嫁入りをするか、ご奉公の家を探すかするように言うのであった。
かず子は、以前はかず子さえいればそれだけでいいと言ったのに、直治が帰ってくるとわかった途端、邪魔者扱いするのかと母に口走る。
母は、初めて叔父の言いつけに背くことにした。
そして、着物などを売って、思い切り無駄遣いをして、贅沢な暮らしをしようと話すのであった。
直治がしばらくして帰ってきたが、不満ばかりを口にする。
すぐに酒浸りの生活となり、家の金を持ち出し、京橋の小説家・上原二郎のもとで荒れはてた生活を送る。
母は、直治の言うことであれば、なんでも信じた従おうとしていた。
舌が痛いと訴える母に、直治がマスクを進めると、すぐにつけて生活するようになり、それによって、痛みが消えたとまで言うのであった。
だが、食欲はなく、口数も少なくなって、そんな母の様子をかず子は心配していた。
夕顔日記とかず子の手紙
ある日、かず子は、直治がいないときに、その部屋から一冊のノートブックを見つける。
「夕顔日記」と書き記されたノートブック。
そこには、直治が戦前、麻薬中毒になった際の苦しい心境が書き連ねられていた。
こうでもしなければ生きていけないのだと。
自分がなにかを演じようとすると、自分のことをそういう人間だと評価するのに、本当の自分を見せようとすると、苦しいふりを装っていると言われる。
結局、自殺するよりほかにないのではないか、と。
かず子が、結婚をしているときにも、直治からは、借金のためにお金を工面して欲しいという書面が何度も送られてきた。
もう二度と麻薬には手を出さないと誓いながら。
その都度、身の回りの物を処分して、都合をつけてきたが、一度として直治が生活を改めることはなかった。
工面できる金もなくなってきたとき、かず子は、直治が慕う小説家の上原と初めて会う。
一緒に酒を飲み、その帰りにさっとキスをされたことを今でもかず子は覚えていた。
それが、6年前のかず子の大切な「ひめごと」であった。
直治の夕顔日記や、母との会話に触発を受けたかず子は、かず子は、上原へ、手紙を送った。
手紙には、6年前のあの日以来、上原のことを慕っていること、愛人になりたいこと、上原との子供が欲しいことなどが書かれていた。
手紙には返事がなく、かず子は合わせて3通の手紙を送ることになる。
好きか嫌いかだけでもいいので返事が欲しいと書くかず子であったが、上原からの返事はいつまでたっても届かなかった。
母の死
かず子の母の体調が急速に悪化していく。
医者に診断してもらうと、結核だという。
なんとか良くしようと、滋養のある食べ物をたくさん用意するが、徐々に食も細くなり、母は衰弱していく。
母は、かず子と直治のことを叔父に託して、安心したように目を軽くつぶり、最後は、看護婦たちとたった二人の肉親に見守られ、ピエタのマリアに似た顔つきで亡くなった。
母が亡くしたかず子は、東京にいる上原のところを訪れることを決意する。
上原は、朝から晩までたくさんの人を連れては飲み歩いていた。
以前の上原と随分と変わってしまった姿と、そこから感じる死の気配に動揺するかず子だった。
その日、上原と関係を持ったかず子であったが、上原への恋はいつしか消えていた。
直治の死
その日の朝、直治が自殺をしていた。
残した遺書には、直治は自らの弱さと貴族階級出身に由縁する苦悩、高名な画家の妻への苦しい恋心が告白されていた。
人間は、みな、同じものだ。
これは、いったい、思想でしょうか。僕はこの不思議な言葉を発明したひとは、宗教家でも哲学者でも芸術家でも無いように思います。民衆の酒場からわいて出た言葉です。蛆がわくように、いつのまにやら、誰が言い出したともなく、もくもく湧いて出て、全世界を覆い、世界を気まずいものにしました。
(太宰治『斜陽』より)
いったい、僕たちに罪があるのでしょうか。貴族に生れたのは、僕たちの罪でしょ うか。ただ、その家に生れただけに、僕たちは、永遠に、たとえばユダの身内の者みたいに、恐縮し、謝罪し、はにかんで生きていなければならない。
(太宰治『斜陽』より)
それでも、母がいる間は直治は死ぬことができなかった。
それは同時に、母を殺してしまうことにもなるからだ。
しかし、母が死んだいま、直治を止めるものはなかった。
直治は、誰にも明かしていなかった人妻への想いもかず子にさらけ出し死を選んだ。
かず子の革命
かず子は上原の子を妊娠したことに気づく。
それを知ってか知らずか、上原が自分から離れていこうとしていると感じていた。
かず子は、最後の手紙を上原に向けて送る。
上原が離れていく中、かず子は幸福だという。
すべてを失った気もするが、お腹の中の小さな生命が、孤独の微笑みの種になっている、と。
かず子は、自身も上原も、道徳の過渡期の犠牲者であるという。
古い道徳がみじんも変わらず、自分たちの行く手を遮っている。
しかし、子供を授かったことで、古い道徳との第一回戦では、わずかながら押しのけえたと感じていて、これから先、生まれてくる子供と戦っていく。
恋しい人の子供を産み、育てることがかず子にとっての道徳革命であった。
かず子は、私生児の子供を育てる「シングルマザー」として、動乱やまぬ戦後社会を強く生きていく決意をしたためた。
斜陽に没落という意味を与えた
斜陽という言葉。
単純に意味がなにか考えると、日が傾くことを指していますよね。
国語辞典を開いてみると、
西に傾いた太陽。また、その光。夕日。夕陽 (せきよう) 。斜日。
という意味が一番に出てきます。
でも、それだけではありません。
太宰治が没落していく上流階級の人々を描いたことから、そうした人々を指す「斜陽族」という流行語を生みだしました。
そして二つ目の意味として、
勢威・富貴などが衰亡に向かっていること。没落しつつあること。
こうしたものが追加されることになります。
元々は斜陽とは最初の意味だけだったのに、小説が大流行したことから、二つ目の意味が加えられるほどの影響力があったようです。
斜陽産業なんて言葉は聞いたことあるのではないでしょうか。
一つの文学が言葉の意味を変えるほどに影響を持つってすごいことですね。
不良という優しさ
『斜陽』の中では不良という言葉が少し変わった意味合いで使われます。
一般的に、不良というと、悪いイメージがつきまといます。
でも、かず子は、良い人が正しいわけではないことを訴えています。
世間で良いとされ、尊敬されている人たちは、嘘つきで偽物なのだと。
そして、自分の味方となるのは、そうではない札付きの不良だけだと。
不良でない人間があるだろうか、とあのノートブックに書かれていたけれども、そう言われてみると、私だって不良、叔父さまも不良、お母さまだって、不良みたいに思われて来る。不良とは、優しさの事ではないかしら。
(太宰治『斜陽』より)
不良とは優しさ。
一般的に評価されている人たちには、その自分を壊してまで、他人に優しくすることが難しいのかもしれません。
かず子を助けてくれることができたのは、ろくでもないはずの上原でした。
同じ夫婦を好きになった姉弟
かず子は、『斜陽』を読んだ通り、妻子のある上原に恋をしました。
弟の直治は、遺書の中で、洋画家の妻に恋をしたことを記しています。
しかし、それは、直治がわざと一部をフィクションとして、隠して記しただけで、直治が恋をした相手は、上原の妻でした。
遺書の中では、そうだとわかるヒントがいくつかあります。
〇かず子がすぐその相手の人が誰か気づくはずということ
〇この時点でかず子はまだ会ったことがないが知っている
〇かず子よりも少し年上で、一重まぶた、つりあがった目、ひっつめ髪
〇夫の行いは、たいへん乱暴ですさんでいる
〇直治が頻繁に遊びに行っていた家
戦後、新しいタッチの絵を次々に発表して有名になった中年の洋画家の妻ともあります。
上原は小説家として、斬新な物語を発表していますね。
あえて、フィクションだと書いた直治は、かず子に自分の想いを知っていてほしかったのでしょうね。
そしてそれをかず子も気づきました。
だから、『斜陽』の最後、上原への手紙の中で次のように書いています。
私はもうあなたに、何もおたのみする気はございませんが、けれども、その小さい犠牲者のために、一つだけ、おゆるしをお願いしたい事があるのです。
それは、私の生れた子を、たったいちどでよろしゅうございますから、あなたの奥さまに抱かせていただきたいのです。そうして、その時、私にこう言わせていただきます。
「これは、直治が、或る女のひとに内緒に生ませた子ですの」
(太宰治『斜陽』より)
ここでいう小さな犠牲者というのは直治のことです。
私も最初に読んだときは、なにを頼んでいるのだろうって思ったのですが、直治の恋の相手が上原の妻なのだとわかると合点がいきました。
かず子は、唯一の幽かな嫌がらせ、と手紙に記載していましたが、姉として、弟への優しさなのだと感じました。
今の自分を打ち破ることができるか
かず子は、古い道徳との革命に打ち勝ち、まだこれからも戦いは続くものの幸福を得ることができました。
一方で、直治は、苦悩の中、自殺をしてしまいます。
上記したように、同じ夫婦に恋をして、一人は幸福を勝ち取り、一人は自身で終わりを選びました。
二人はいったい何が違ったのか。
それは、何度も出てくる革命です。
自分自身を一度壊して、変えていくことができたかどうかというのが一つあると思います。
かず子は、古い道徳と戦っていくと決意しました。
愛人として子供を作る。
これは、今でももちろんあまり良いとされることではありません。
でも、割と事情はそれぞれですし、実際、そうした人ってそれなりにいます。
ただ、この時代においては、今とは全然事情も違ってきます。
道徳、倫理観も今よりもずっと厳格で、女性の立場も厳しいものでした。
私生児を一人で育てていくということは、今と違って理解しがたいこと。
そこに立ち向かっていったのがかず子です。
とても、物語の冒頭の貴族の娘であったかず子と同じには見えないくらい、行動力があり、強い意志を感じます。
一方で、直治は、自分で貴族としての自分を否定しながらも、そこから抜け出せない人生でした。
友人たちと過ごしていても、貴族として見られることを意識してしまう。
だから、上記したように、貴族に生まれたことに罪はあるのか、という言葉が出てきてしまう。
そこと戦うことができず、麻薬に逃げ、酒に逃げ、阿片に逃げ。
もしも、貴族であることにこだわることを止めて、違う道を模索していたら、直治にも違った生き方があったのかもしれません。
おわりに
太宰治は、この『斜陽』にしても、『人間失格』にしても、人の根底の部分を描いており、小説に慣れていない人には読みづらいかもしれません。
いわゆる、純文学にあたるのでしょうか。
『走れメロス』は、教科書でもおなじみで学生のころと違った見え方がするのでいいかも。
もし、同じ文豪の作品でも、読みやすいのがいいという人なら、太宰治よりは、夏目漱石や、一つ一つが短い芥川龍之介のほうが、導入としてはいいかもしれないですね。
ただ、太宰治や森鴎外は、すごく考えさせられるので、有名な作品だけでも一度は目を通してみるといいかなと感じます。