戦争ほど残酷なものはない。
それはどの戦争に関わる小説を読んでみても思うことですが、この作品は特に、女性に視点をあてていて、どれほど人間の人生を翻弄してきたのかということがわかります。
今回読んだのは、青波杏さんの『楊花の歌』です!
2022年の第35回小説すばる新人賞を受賞し、2023年に出版された本になります。
時代的には、1910年代から1940年代のころ。
メインは第二次世界大戦の真っただ中のところですね。
日本の占領下にあった厦門が舞台となります。
このあたりって、あまり歴史の授業でも多くは語らないのでとても興味深く読めました。
ここでは、『楊花の歌』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『楊花の歌』のあらすじ
1941年、日本占領下の福建省廈門。
裕福な家庭で育ったリリー。
しかし、戦争によって、家族は離れ離れとなり、生きるために遊郭での生活を送ることになる。
さらに遊廓から逃走して、上海、広州、香港と渡り歩いてきた。
廈門に辿り着いたリリーは、世話をしてくれていた抗日活動家の楊に従って生きていく。
指示されるまま、女給として働きながら、客から得た情報を楊に流すという諜報活動をしていた。
あるとき、楊から日本軍諜報員の暗殺を指示され、その実行者として、琥珀色の瞳と蛇の刺青が印象的なヤンファという女性を紹介される。
強くヤンファに惹かれ、関係を深めていくリリー。
彼女と過ごす時間だけが生への実感を持てるひとときになっていた。
しかし、楊から秘密裏に、非情な指令が出される。
ヤンファが暗殺に失敗した場合は、証拠隠滅のために、リリーがヤンファを殺せというものだった。
厦門という日本人があまり知らない世界
厦門(アモイ)と聞いて、ぱっとどのあたりのことかってわかる人はどれくらいいるでしょうか。
中国の福建省にある厦門市。
中国の南東の方角にあります。
台湾が比較的近いので、だいたいあの辺ってイメージでいいのかな。
『楊花の歌』の旧題は、『亜熱帯はたそがれて――廈門、コロニアル幻夢譚』だったんですね。
旧題のとおり、亜熱帯地方の話になります。
暑くて湿気の多い地域のような感じがします。
小説の序盤は、リリーの暮らすアパートのシーンから始まるんですが、描写がリアルなんですね。
匂いが立ち込めて、腐敗した果物があったりとか、マーケットの雰囲気とか。
これは、かなり調べ込んで知識を蓄えていないと書けない。
リリーの渡り歩いた経歴とか、仕事の話も、
「本当にこういう世界があったんだな」
と自然と思わせてくれます。
著者の青波杏さんのプロフィールには、「近代の遊廓の女性たちによる労働問題を専門とする女性史研究者」ってあるんですね。
だから、このあたりのことは専門ってこともあるのか、違和感なく読めます。
人を翻弄するもの
こういう時代の小説って、どこかで喰いものにされる人たちがいるもの。
リリーたちは、抗日運動家の情報源として扱われ、危険とも隣り合わせの生活。
しかも、それは本人が望んでその世界にきたわけでもない。
家族を失い、気づけばそういう世界に入り込み、抜け出そうにも抜け出せない。
これは、この時代だったからだけじゃないだろうなと読みながら思いました。
100年時代が違うので、身の回りのものも、生活も、常識もかなり変わっていますが、人間の根本的なところって変わらないんだろうなって。
人を従えようとしたり、意のままに操ろうとする人がいれば、それに翻弄される人たちがいる。
望まない立場に追い込まれて、やりたくもないことをやらされる。
それでも、自分が生きているその世界で、なんとかやっていくためには、きつかろうが苦しかろうが、踏ん張っていくしかないのかって。
じゃあ、どうすればいいのか。
リリーのように、なにか支えとなるような存在を見つけるのか。
それとも、自分を縛るものに対抗しようとするのか。
抗い続けることにも限界ってあるから、なにが正解なんだろうかなって思いながら読んでいました。
最終的に、『楊花の歌』はきれいな落としどころになりましたが、現実でこういうことって難しい。
おわりに
小説すばる新人賞受賞作ということで手に取ってみましたが、新人賞で書くレベルは超えてるんじゃないかなって思います。
単純な小説って話だけでは、もっとおもしろいのはたくさんありますけど、ここまでしっかりとした下調べの上で書かれているのって新人賞じゃあまりないと思うんですよ。
ときどき、こういうレベルが凄く高いのが出てくるからおもしろいですよね。
今回は、青波杏さんの専門分野の力もかなりあったと思いますが、次作がどんなものに仕上がるのかがとても楽しみです。