米澤穂信さんの『王とサーカス』や『真実の10メートル手前』。
記者である大刀洗万智を主人公とする作品を〈ベルーフ>シリーズといいます。
報道の在り方や、大刀洗の理念、信念を感じるだけでなく、読者にも自分を見つめなおすきっかけをくれる素晴らしいシリーズになっています。
ここでは、米澤穂信さんの〈ベルーフ>シリーズについて紹介していきます。
Contents
なぜ〈ベルーフ>シリーズというのか
米澤穂信さんのシリーズものには、〈ベルーフ>シリーズ以外にも、〈古典部〉シリーズや〈小市民〉シリーズがあります。
こちらの二つはわかりやすいですね。
古典部の部員たちを中心とした〈古典部〉シリーズ。
小市民であることを目指す二人の男女を中心とした〈小市民〉シリーズ。
でも〈ベルーフ>シリーズってぱっと聞いてよく意味がわかりませんよね。
私も最初、「ん?」となりました。
〈大刀洗万智〉シリーズじゃだめなのかなと思いました。
実際にAmazonのサイトでは大刀洗万智シリーズって書かれていたりもするんですよね。
さて、この【ベルーフ】という言葉。
これはドイツ語の【beruf】だということです。
意味は、
『職業』『天職』
といったもの。
宗教的には、神から与えられた使命という意味合いも持ちます。
このシリーズに〈ベルーフ〉と名付けた米澤穂信さん。
その由来は、マックス・ウェーバーの『職業としての政治』にあるといわれています。
この『職業としての政治』。
1919年に社会学者であるマックス・ヴェーバーがミュンヘンの学生に向けて行った講演の内容をまとめたものになります。
『職業としての学問』と合わせて有名ですね。
せっかくなのでと読んでみましたが、全部で106ページと短めです。
内容としては、政治のために政治によって生きることや、政治家の資質、心情倫理と責任倫理といったようにかなり固いものです。
一部ジャーナリストについて書かれた部分もありましたが、基本は政治と政治家ですね。
うん、でもこれはこれでおもしろいです。
同じくマックス・ヴェーバーの『国家社会学』とも似たような感じです。
その『職業としての政治』の中で【天職】という言葉が出てきており、そこに【ベルーフ】とルビがふられていたことから、シリーズの名前になったそうです。
実際に【天職】という言葉が出てくる箇所は少なく、岩波文庫版だと12ページ、103ページ、105ページ、106ページ、訳者のあとがきの中でした。
一番【天職(ベルーフ)】という言葉の意味が伝わりやすいのは、最後の部分。
「人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志でいますぐ武装する必要がある。
そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないであろう。
自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が――自分の立場からみて――どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。
どんな事態に直面しても「それにもかかわらず!」と言い切る自信のある人間。
そういう人間だけが政治への「天職(ベルーフ)」を持つ」
(マックス・ヴェーバー『職業としての政治』P105、106より)
大刀洗万智が自らの強い意志を持って真実と向き合う姿は、まさに「天職(ベルーフ)」と感じます。
どの作品が〈ベルーフ〉シリーズ?
〈ベルーフ〉シリーズとして名前があがるものには下記の作品があります。
〇『さよなら妖精』
〇『王とサーカス』
〇『真実の10メートル手前』
ただし、『さよなら妖精』は厳密にいえば〈ベルーフ〉シリーズとはいいません。
『さよなら妖精』の語り手というか中心にいるのは、守屋路行という男子高校生。
『真実の10メートル手前』にも登場する大刀洗万智の同級生ですね。
〈ベルーフ〉シリーズは大刀洗を主人公としたものなので、『王とサーカス』『真実の10メートル手前』がこのシリーズといえます。
「ベルーフ」の意味が「職業・天職」なら『さよなら妖精』にはあわないですしね。
とはいえ、『さよなら妖精』が大刀洗の行動原理に大きな影響を与えており、〈ベルーフ〉シリーズの2作とも切り離せない意味を持つ小説であるため、まずは読んでおきたいですね。
〈ベルーフ>シリーズの時系列
さて、簡単ではありますが、時系列を紹介しておきます。
大刀洗が何歳のときの物語なのかを知ることで、また感じ方も変わってくるかなと思います。
『さよなら妖精』 | 1991年~。高校3年生~大学生。 |
---|---|
「真実の10メートル手前」 | 東洋新聞記者時代。20代半ばころ。 |
『王とサーカス』 | 2001年。28歳。東洋新聞を退社後。 |
「正義漢」 | 30歳前後。 |
「恋累心中」 | 不明 |
「名を刻む死」 | 不明 |
「ナイフを失われた思い出の中に」 | 34歳ころ。『さよなら妖精』から15年後。 |
「綱渡りの成功例」 | 上記と同じくらいの時期。大学卒業から10年後くらい。 |
はっきりとした年代が書かれていない話もあるので、おおよその部分もあります。
『王とサーカス』では、2001年であること、大刀洗が28歳であることが書かれているんですけどね。
「真実の10メートル手前」ではすでに後輩がいることを考えると、入社数年はたっています。
大刀洗が中学浪人により、守屋たち同級生よりも1歳年上であることを考えると、順調に新卒で入社しても23歳。
となると20代半ばか、半ば過ぎあたりかなと考えます。
「正義漢」では、高校の同級生であった守屋が、入学早々に大刀洗が居眠りをしていたことを思い出し、あれから十数年といっているので、16歳から十数年となると30歳くらいでしょうか。
「恋累心中」と「名を刻む死」には、年代がわかるような記述はなかったように思います。
「ナイフを失われた思い出の中に」では、『さよなら妖精』のマーヤの兄が来日し、15年後の話であることがわかります。
最後の「綱渡りの成功例」では、大刀洗の大学の後輩が登場し、卒業から10年ぶりくらいに合うという話をします。
「ナイフを失われた思い出の中に」と「綱渡りの成功例」はいずれも8月の話なので、同じ年の8月なのか、一年くらいずれがあるのかでしょうか。
あいまいな点もありますが、だいたいこんなところかなと見てもらえればと思います。
〈ベルーフ>シリーズを読むなら『さよなら妖精』からがおすすめ!
さて、これから〈ベルーフ>シリーズを読むという人だと、まずは『さよなら妖精』を読みましょう。
なぜかというと、上記したように、『さよなら妖精』が〈ベルーフ>シリーズの原点とも呼べる作品であり、大刀洗万智を知る上では欠かすことができないからです。
もちろん、『王とサーカス』や『真実の10メートル手前』から読んでもおもしろい。
ただ、どちらにも『さよなら妖精』でのエピソードが含まれる部分もあり、そこでの大刀洗の経験があればこそ〈ベルーフ>シリーズにつながります。
『さよなら妖精』を読んでいるか読んでいないかで、残りの作品に対しての感じ方も変わると思います。
読む順番としては、発刊順に、
『さよなら妖精』→『王とサーカス』→『真実の10メートル手前』とするのがいいでしょう。
少し変化をつけるなら、『王とサーカス』の前に、『真実の10メートル手前』の表題作でもある短編の「真実の10メートル手前」を読むというのもありです。
できるだけ時系列に沿った方がいいかなと思います。
おわりに
簡単ですが米澤穂信さんの〈ベルーフ>シリーズを紹介してきました。
米澤穂信さんの小説ってすっきり明るく楽しく終わるものが多くはありません。
〈ベルーフ>シリーズも同じで、やはりどこか暗い影を残す部分であったり、現実を見せつけられる部分があったりします。
そして自分自身を見つめさせられる作品も多く、特に〈ベルーフ>シリーズはそうした傾向が強いかと感じます。
作品としてもおもしろく、加えて自分のためにもなる〈ベルーフ>シリーズ。
ぜひ一度手に取ってもらえると米澤穂信さんのファンとしては嬉しい限りです。