〈ベルーフ〉シリーズ

米澤穂信『さよなら妖精』<ベルーフ>シリーズの【原点】!「哲学的意味がありますか?」

「哲学的意味がありますか?」

そう興味深そうに尋ねてくる異国の少女が印象的。

今回紹介するのは、米澤穂信さんの『さよなら妖精』です!

大刀洗万智を主人公とする<ベルーフ>シリーズ(『王とサーカス』や『真実の10メートル手前』)に繋がる作品です。

Contents

『さよなら妖精』のあらすじ

主な登場人物は、語り手である守屋路行、その同級生である大刀洗万智、白河いずる、文原武彦。

そしてユーゴスラヴィアから日本にやってきた少女・マーヤ。

『さよなら妖精』はこの5人をめぐる物語である。

 

始まりは雨の日、守屋と大刀洗が帰宅途中に傘を持たずに途方に暮れているマーヤと出会うところから。

マーヤは父親と日本にきており、父親は大阪で仕事、マーヤは父親の友人のところに世話になる予定であった。

しかしその友人が亡くなっていることがわかり、行く当てもなく困っていた。

守屋と大刀洗は、旅館の娘である白河いずるにマーヤを預かることはできないかと打診する。

こうしてマーヤは旅館「きくい」で働きながら、2か月の間、日本のことを学んだり、守屋たちとの交流を深めていく。

 

マーヤは好奇心旺盛で、「それに哲学的な意味がありますか?」という質問を投げかけながら様々な事柄に興味を示していく。

〇雨の中、傘を持っているのにささずに走っていく男性

〇神社に餅を持っていこうとする男女

〇弓道の試合で同じ結果なのに怒られる人とほめられる人がいる理由

〇お墓に備えらえた紅白饅頭の謎

〇守屋たちの名前の由来

マーヤの帰国が近づいたある日、守屋たちは、ユーゴスラヴィアで内戦が起きたことを知る。

しかし、帰国するマーヤを止めることはできず、ユーゴスラヴィアに帰ったら手紙を出すとの言葉を信じて送り出すこととなる。

それから1年。

マーヤからの手紙はこない。

マーヤの帰ったユーゴスラヴィアは6つの国の集合体であった。

すでに内戦が終わっている地域もあれば、今まさに内戦が起きているところ、まだ内戦の火が広がっていない地域もあった。

守屋と白河は、マーヤの安否を知りたいとの思いから、マーヤが帰ったのはユーゴスラヴィアのどこだったのかを推理する。

元々は〈古典部〉シリーズとなる予定だった『さよなら妖精』

『さよなら妖精』は、本来であれば米澤穂信さんの〈古典部〉シリーズの二作目、『愚者のエンドロール』の次の巻になる予定だったようです。

しかし、レーベル休止にともない、宙に浮いてしまった完成原稿を、東京創元社から声をかえてもらい、『さよなら妖精』として世に出ることになりました。

下記がそれについてのインタビューを引用したものです。

『愚者のエンドロール』を出した後、レーベルが休止になるということで〈古典部〉シリーズを続けられなくなり、完成原稿が宙に浮いてしまったんです。

ちょうどその頃、東京創元社さんからお話をいただいて、「他にどういうものを書かれていますか」と訊かれたので「実はできているものがあるんです」と言ってお見せしました。

そうしたら1、2日後には連絡がありまして、「これは世に出さなければいけない小説です、うちで出しましょう」と言っていただいて。

当然、登場人物たちは〈古典部〉の面々ですから、書き換えねばならない。

本来はこの小説で〈古典部〉が大きなターニングポイントを迎えるはずだったので、書き換えても大丈夫かという懸念はいただいたんですけれども、私からも「ぜひ出していただきたい」とお話ししました。

角川の編集者さんも、東京創元社の方と3人で会った時に「米澤さんをよろしくお願いいたします」と言ってくださって、それで改稿して『さよなら妖精』として東京創元社のミステリ・フロンティアから刊行されました。

(『話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」』より)

元々、〈古典部〉シリーズの予定だったので、当然似たような役割が見えてきますね。

語り手である守屋路行が折木奉太郎。

結論を出さずに資料、データを提供した文原竹彦は、里志みたいですね。

「データーベースは結論を出せない」ってやつです。

マーヤの使う「哲学的意味はありますか?」は千反田の「私気になります!」と同じく、謎に対する好奇心をわきたてる役割をになっていますね。

そうした目線で見てみると、さらにおもしろく感じられる作品です。

マーヤを見た守屋の焦燥

『さよなら妖精』にはいくつも印象的な場面があります。

その一つはやはり、語り手である守屋がマーヤ見て感じる焦燥感。

自分たちと同世代なのに、将来を見据えて行動していて、確固たる信念を持って生きている。

近づきたいのに、近づけない距離があるような存在。

守屋は、「なにかしなくては」との思いからマーヤに一緒にユーゴスラヴィアに連れて行ってほしいと望み、マーヤに観光なら落ち着いてからにするようにさとされます。

行けばなにか変わるのではないかという守屋に、きちんとした目的も信念もないことが見透かされていました。

でもこの守屋の感じって誰もが一度は感じたことがあるんじゃないかなって思います。

私も若かったころを思い返すとそんな思いを抱いたことがあったような。

周りが自分よりもずっと先にいっているような、自分だけ置いていかれてしまうのではないかという気持ち。

結局は地に足をつけて一歩ずつ進んでいくしかないのですが、こうした想いも将来の糧になっていくのでしょう。

他人への理解の困難さを知る

こんな言葉がまた印象的でした。

「たとえ物理的には同じ場所に住んでいようと、それだけで相手の日常を理解しえたことにはなるまい」

これは、本編ではなく、解説に書かれていた言葉です。

守屋とマーヤ。

生まれた場所も、育ってきた環境も、見ている世界も違うから、当然、一緒にいれば相手を理解できるわけではありません。

ただ、これを読んで思ったのは、もっと身近な関係であっても理解することは困難だなと思いました。

家族であっても、仲のいい友人であっても、職場の同僚であっても。

長い時間を一緒にいる人であったって、理解しあえないことのなんと多いことか。

守屋と大刀洗との関係でもそうです。

守屋は一方的に、大刀洗はこういうやつだとみていて、そこを指摘されます。

そういったことは往々にしてあることであるからこそ、理解したいという想いを持たないと近づくことさえできないのだろうと感じます。

おわりに

『さよなら妖精』ではまだまだ多くの見どころがあります。

マーヤが疑問に思う数々のできごともその一つです。

守屋たちの名前の由来に触れるシーンも興味深く読ませてもらいました。

『さよなら妖精』は、一つの作品としてもとてもおもしろいです。

ただそれだけでなく、〈ベルーフ>シリーズを読む上では一度読んでおいた方がいい作品です。

『王とサーカス』の中でも、主人公の大刀洗万智が名前は出ませんでしたが、マーヤに想いを馳せるシーンがありました。

〈ベルーフ>シリーズの大刀洗の動機にもあたる作品なので『王とサーカス』や『真実の10メートル手前』をより楽しむためにもぜひ一度手に取ることをおすすめします。