『そしていつか掴むんだ、あの小市民の星を』
そんな一文が目に入る。
『小市民』
この言葉を聞いてどういったイメージを持ちますか。
私の場合、
〇ふつうの人
〇あまり目立たない人
〇波風立てない人
〇人に埋もれている人
そんなイメージを持ちます。
今回紹介するのは、米澤穂信さんの、
『春季限定いちごタルト事件』です!
本作は、小市民を目指す一組の男女が日常にまつわる謎と出会う物語です。
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『春季限定いちごタルト事件』のあらすじ
小鳩常悟朗と小佐内ゆき。
恋愛関係にも依存関係にもない互恵関係にある二人。
中学時代の反省から、二人は手に手を取り合って清く慎ましい小市民を目指す。
しかし、そんな二人の前には頻繁に奇妙な謎が現れる。
〇消えたポシェット
〇そっくりな2枚の絵
〇あたたかいココア
〇盗まれた自転車
小市民であろうとする二人であったが、日常はそれを許さない。
昔の自分を狐と称する小鳩くんと、小鳩くんからかつて狼だったと称される小佐内さん。
果たして二人は小市民の星を掴むことはできるのか。
【小市民】シリーズの第1作目!
『春季限定いちごタルト事件』は米澤穂信さんの【小市民】シリーズの第1作目となります。
本作は、
〇プロローグ
〇羊の着ぐるみ
〇For your eyes only
〇おいしいココアの作り方
〇はらふくるるわざ
〇狐狼の心
〇エピローグ
からなり、それぞれが短編としても読むことができます。
一つの短編としても面白いですね。
個人的には『おいしいココアの作り方』が好きです。
この【小市民】シリーズはいわゆる単行本にはならず、最初から文庫本として発売がされました。
そこには、米澤穂信さんの中高生に手に取って貰えるように単行本よりも手に入れやすい文庫本でという思いがあるそうです。
当初は『春期限定いちごタルト事件』だけで終わる予定でした。
しかし、春期ときたのでそのまま春夏秋冬を作品にしようとなり、『夏季限定トロピカルパフェ事件』、『秋季限定栗きんとん事件』、『巴里マカロンの謎』へとつながっています。
小市民とはなんぞや
さて『春季限定いちごタルト事件』を始めとした【小市民】シリーズ。
しかし、小鳩くんや小山内さんが目指す『小市民』っていったいという疑問が出てきます。
なんとなーくこんなかなというイメージは沸きますがちょっとふわふわしたものです。
本作の中では小市民にまつわる言葉がところどころに出てきます。
例えば、高校入試の合格発表での一幕。
合格のインタビューを断ったことに対して、相手が怒ったかなと気にする小佐内さんに大丈夫だという小鳩くん。
そのすぐあとに自分たちの信条について以下のように表現しています。
「クラーク博士は北海道大学の学生に「紳士たれ」という言葉を残したというけれど、ぼくと小佐内さんも似た信条を持っている。「紳士たれ」によく似ているけれど、それよりはもうちょっと社会的階級は低い。「小市民たれ」。これ。日々の平穏と安定のため、ぼくと小佐内さんは断固として小市民なのだ。もっとも、その表れ方はちょっと違う。小佐内さんは隠れる。ぼくは、笑って誤魔化す」
(『春季限定いちごタルト事件』(羊の着ぐるみ))
紳士よりも社会的階級は低く、その表し方として隠れたり笑って誤魔化すという方法がある。
昔のクラスメイトを思い浮かべるとこの人とかかなとイメージがわきやすいかも。
また、
「そして小市民たるもの、テレビは見るもの、新聞は読むものだ。出演したり掲載されたりはもってのほか。使われるかどうかも怪しいインタビューにだって、答えるつもりは全然ない。ただ、人様の仕事の邪魔をして恨みを買うのも、これまた小市民でないという問題だ。その点、あのウインドブレーカーの男の態度にはほっとした」
(『春季限定いちごタルト事件』(羊の着ぐるみ))
小市民とは、目立たず前に出ることなく、ひっそりとした存在のように感じますね。
とはいえ、本当の小市民なら、意思をもって断るのではなく、そもそもインタビューを振られることもないのかなとも感じます。
小鳩くんの小市民への道はまだまだ険しそうです。
本作の後半では、
「理不尽を受け流すのは小市民心得の筆頭といっていい」
(『春季限定いちごタルト事件』(狐狼の心))
との記述もありました。
小市民であれば、理不尽に対して、怒りを持ったり、立ち向かったりはしない。
受け流して平穏な生活を目指すというのです。
小市民という生き方をどう思うか
小市民という生き方。
割と多くの人がこういった生き方が好きなのではないかなと感じます。
かくいう私も断然、小市民でありたい派です。
目立たず前に出ることなく、ひっそりとそれなりのことをして、それなりに人生を楽しみたいなぁと。
自分のことを認められたいという気持ちや、自分の力を試してみたいという気持ちももちろんありつつ、それよりも周りからの視線にさらされる方が苦手です。
でも、小市民って気づけばそうしたポジションにいるもの。
狙ってなろうとすると似ているけれど違った何かになりそうですね。
小市民である人と、小市民でありたいと思う人。
小市民でありたい人はあくまで小市民ではない。
この記事を書きながらそんなことを感じました。
小鳩くんは社会的階級が低いと称した小市民ですが、実際にいわゆる階級が低い立場にいたいとは多くの人はのぞまないはず。
では、小市民でありたいというのは……。
そう考えていくと、重い責任を負いたくないとか、楽をしたいのかなとかちょっとネガティブな方にも思考が進みますが、心の平穏を求めるという点が小市民でありたいと感じる一番なのかなと今は思います。
生き方を選ぶきっかけは
本作の小鳩くんのセリフで以下のものがあります。
「誰かが一生懸命考えて、それでもわかんなくて悩んでいた問題を、端から口を挟んで解いてしまう。それを歓迎してくれる人は、結構少ない。感謝してくれる人なんて、もっと少ない。それよりも、敬遠されること、嫌われることの方がずっと多いってね!」
(『春季限定いちごタルト事件』(狐狼の心))
これは、小鳩くんが中学時代の自分を振り返って口にした言葉です。
これまでの狐であった自分から小市民になろうと決意した経験の一つなのでしょう。
小鳩くんのように口を挟んでしまうときだけではなく、代わりに何かをやったときもそうですね。
それが善意だろうと単純にそれをありがたがってもらえることばかりではない。
それだったら自分は何もしない方がいい。
そうして平穏な日々を送った方がいい。
ただ、それでも行動をしたり、口をはさんだりしてしまう場合、それがその人の生き方なのだろうと思います。
それはそれでよし。
本人がどういう人生を生きたくてどういう決断をしていくのかです。
おわりに
ふと自分の高校生のころを思い返してみると、まさに小市民のような生き方だったような気がします。
小市民でありたい人ではなく、小市民。
小鳩くんや小佐内さんがそうなりたいと願う生き方を自然としていたのかも。
きっと当時のクラスメイトも、なんとなく名前は憶えているけれどどんな人だったか思い出せない、むしろ名前を聞いてもピンとこないくらいに感じることでしょう。
それでもそんな高校生活を個人的にはそれなりに楽しめていた気がします。
今だったら同じような生活を送ろうとは感じませんが。
それも多少なりともあのころよりも成長した証なのでしょう。
『春季限定いちごタルト事件』から始まる全4作。(秋期限定栗きんとん事件は上下巻)
その中での小鳩くんと小佐内さんの移り変わりもまた一つの楽しみです。