死神というものがいればどのような存在か。
小説でも漫画でも死神を題材とした数多くの作品があります。
そんな中でもこの死神の立ち位置はかなり好きです。
今回紹介するのは、伊坂幸太郎さんの『死神の精度』です!
伊坂さんの〈死神〉シリーズの第1作目!
死神の千葉さんのちょっとずれた感じもいいです。
ここでは『死神の精度』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『死神の精度』のあらすじ
この世の中には死神がいる。
彼らは一見一般人と同じような姿をして8日後に死ぬ可能性のある人間の元へと現れる。
『死神の精度』に登場する千葉もそんな死神の一人。
彼が仕事のために地上にあらわれるときはいつも雨。
彼ら死神は、8日後に死ぬ予定である人間を7日間かけて調査し、死を実行するに適していれば『可』、何か問題があれば『見送り』と報告をする。
つまり、彼らにその人間の生死がかかっているのである。
でもそのほとんどのケースが『可』と判断されている。
定期報告で具合を聞かれて彼らは、「調査中だ」と答えながらも、「今回も『可』だな」と考えている。
明確な判断基準はなく、担当した死神の裁量に任せれているのだ。
千葉は、『可』を前提に考えながらも、調査自体はきちんと行わなければいけないと考え、死が近づいている人間の前に、さりげなく現れる。
クレームの電話に悩まされる大手電機メーカーの苦情処理係の女性。
筋をとおして周りから疎まれているやくざの男。
旅行で洋館を訪れ、吹雪によって閉じ込められてしまった女性。
片思いの相手に好意をうまく伝えられず悩んでいる男性。
彼らと出会い、1週間過ごす中で、千葉は何を思うのか。
死神はみな地名に由来する名前で地上に降り立つ。
もしあなたの周りに、千葉、蒲田、秋田、青山……そんな名前を持って急に現れた音楽好きの人物がいたら、それはもしかしたらあなたを調査しに来た死神かもしれない。
生きることを考えさせられる小説
伊坂幸太郎さんの『死神の精度』では、たくさんの人物が亡くなります。
千葉たち死神は、それを淡々と見守っていきます。
それが仕事だ、といって。
千葉も『死神の精度』の中で死というものに対して、以下のようにいいます。
「死ぬというのはそういうことだろ。生まれる前の状態に戻るだけだ。怖くないし、痛くもない」
(伊坂幸太郎『死神の精度』(死神の精度)より)
「人の死には意味がなく、価値もない。つまり逆に考えれば、誰の死も等価値だということになる」
(伊坂幸太郎『死神の精度』(死神の精度)より)
すごくドライというかなんというか。
でも彼らにとっては、人の死というのは当たり前のことで、日常なのです。
そう、人間は誰もがいつか死ぬ。
それが遅いか早いかというだけで。
その人の周りの人は悲しんだり、嘆いたりしたとしても、死というのは、誰にでも来る当たり前のことなのだと思わされます。
だからこそ、死を必要以上に恐れることはなく、逆にそれまでにこの生を大事に生きなければなと感じます。
『重力ピエロ』の……
伊坂幸太郎さんの小説では、ときどきほかの小説の登場人物があらわれることがあります。
だから、その小説の主要な人物でなくても、
「あれ?この人はもしかして……」
というのがあっておもしろいですね。
『死神の精度』でも出てきました!!
5話の「旅路を死神」で登場する塀に落書きをしている男性です。
この男性は『重力ピエロ』に出てくる春ですね。
『重力ピエロ』の主人公の弟で、市内に描かれたグラフィティアートを消すことを生業としています。
こうした小説同士のつながりを見つけるのも、伊坂幸太郎作品の楽しみの一つです。
読めば読むほど魅力が増していきます。
おわりに
死神というと、人を死に追いやる不吉で悪いイメージがありますが、『死神の精度』だと少し違って感じます。
千葉は出会う人たちが死をどう感じているのかを探ろうとします。
ときには直接、「死ぬことをどう思うか」と問いかけることも。
それは、千葉が調査をしている相手に問いかけると同時に、私たち読者にも問いかけているのだと思います。
私は死をどう感じているのか。
今の生きるということを意識したことがあったのか。
人は、意識的でも無意識でも、死というものを遠ざけようとします。
できることなら向き合いたくないものですからね。
『死神の精度』は、それを否定しているのかなと。
死というものは、誰にでもあるんだよ、と。
それは当たり前のことなんだよ、と。
そのうえで、『死神の精度』を読んだ私はどう思い生きていくのか。
それが大切なのかなと感じさせられました。
さて、〈死神〉シリーズの『死神の浮力』もまだ読んでいないのでそちらも楽しみです。