青羽悠

一つの世界の終焉と創世。青羽悠『幾千年の声を聞く』あらすじと感想。

人はなにを自分の軸として生きていくのか。

なにに人生の意味を見出すのか。

生きるということ、幸福ということを改めて問われる小説でした。

今回読んだのは、青羽悠さんの『幾千年の声を聞く』です!

青羽悠さんは、小説すばる新人賞を16歳のときに歴代最年少で受賞してデビューをしました。

『星に願いを、そして手を。』という小説でした。

個人的にはかなり好きでしたね。

自分の夢とか大切にしたいものとかを問い直させてくれます。

そこから6年が経ち、4作目として、『幾千年の声を聞く』が発行されました。

それまでの3作品は青春を題材にしていたのですが、ここにきてがらっと雰囲気が変わります。

こうした作品も書けるのだと楽しく読ませていただきました。

ここでは、『幾千年の声を聞く』のあらすじや感想を紹介していきます。

Contents

ざっくりとしたあらすじ

この世界には、〈木〉が存在する。

それは、通常で考えられる木の大きさをはるかに凌駕し、人々は枝の上に家を建て暮らしてる。

その〈木〉はいつしか神聖なものとして扱われるようになった。

〈木〉を中心とした経典があり、それを守る人々がいる。

あるとき、人々の間にグル熱が蔓延していく。

高熱が出て、やがて例外なく死に至る。

〈木〉の声を聞くことができる一人の少女が、経典に従い、自らを犠牲にしてこのグル熱を鎮めることになった。

そこから聖女が誕生し、サフォ教という宗教が生まれる。

さらには、そのサフォ教を中心とした守護国として、アズディアが誕生する。

物語は、最初の聖女が誕生する9608年から始まり、10813年、11368年、11622年、12851年と続く。

これは一つの人類史

上記したように、プロローグとエピローグを除くと、『幾千年の声を聞く』は、5つの時代を描いた小説となります。

1話目の「宿命」は9608年。

ここで最初の聖女が誕生。

「贖罪」ではそこから一気に1000年以上時代が進み、10813年に飛びます。

その間に、〈木〉と〈聖女〉を中心としたサフォ教という宗教が生まれ(9613年)、サフォ教の守護国となるアズディアが誕生(10463年)します。

「贖罪」では、アズディアの中心であるサン帝が、敵対しているイル国との関係を。

宗教と政治のからみも出てきて、本当にそういった歴史が過去にあったような気持ちにもなります。

さらに、11368年、11622年、12851年と3つの時代の物語があるわけですが、人類にとって、大きな転換点となる部分を描いています。

これだけ、完成された一つの世界観を作るのってすごいことだなって感じます。

出だしよりも、中盤から手が止まらなくなる

正直なところ、青羽悠さんのイメージが青春小説だったので、読み始めたとき、

「あれっ?」

という感想を持ったんですね。

ちょっと想像していたのと違う……と。

農耕を中心としたような、少し原始的な雰囲気な世界で始まり、

「なんだかなー」

と思いながら1話目を読み進めていました。

でも、話が進み、2話、3話と来ると、どんどんおもしろくなっていくんですね。

時代を思いっきり飛ばしている分、1話目からいったいなにがあったんだろうと、想像力を刺激されるし、次の話に入る前に、どれくらい年数が経っているのかを確認して、

「きっとこんな話だ!」

と予想して読み始めたり。

途中からは、

「いったい、どうやってこの小説を終わらせるんだろう」

と気になって仕方なかったです。

もしかしたら、序盤で、

「自分には合わないかも」

なんて思う人もいるかもですが、そこはもう少し読み進めましょう。

途中から読みたくて仕方なくなるでしょう。

宗教をもっと深堀しても良かったのかも

『幾千年の声を聞く』は、すごく私好みでおもしろかったです。

欲を言うのであれば、もうちょっと宗教的な部分を見せてもよかったのかも。

「宿命」は宗教としての入りみたいなところでしたし、「贖罪」は、宗教と政治・国家との関係みたいなところでした。

「逃亡」も、聖女が重要な役割を果たしつつも、あまり宗教色は出てきません。

あえてこれくらいのところでとどめていたのかもしれませんが、熱烈な信者がいるはずのサフォ教。

もっと、いろんなエピソードを見てみたい気もしました。

実際に、この世界観があれば、それだけでいろんな話が出てきそうなきがしちゃいます。

人にとっての幸福とは

『幾千年の声を聞く』は一つの人類史と書きましたが、それと同時に、人々がなにを大切にしなにに幸福を感じるのかを考えさせられる一冊でした。

自分にとっての幸福ってなんだろうって。

上記したように、『幾千年の声を聞く』では宗教の話も登場します。

何か信仰を持つとか、自分の信念を持つとか、そういったことも一つの幸福です。

自分にぶれない何かがあるっていうのは、幸せの一要素なのだろうなと。

それは人によってかなり違うものではあります。

裕福な暮らしをすることが幸福だっていう人もいますし、慎ましい生活でも、自分なりの幸福を持っている人もいます。

5話目では、文明が現代の世界よりも発達した世界になっていて、あらゆることをAIが制御し、人間は嫌なことやもやもやすることがあっても、一日の終りに”調整器”に入ることで気持ちがリセットされて、翌朝にはすっきりしています。

悩みのない世界。

それを幸福と感じる人もいれば、悩みや苦しいことがあるから、その逆に幸せがあるのだという考え方もあります。

子育てだってそうですよね。

正直、自分一人のことを考えるのであれば、結婚もしないで、自分一人にお金を使っていた方が好きなことができます。

子どもがいると、自由はきかないし、自分が使えるお金もほとんどない。

思った通りに行動はしてくれないし、「パパ嫌い!」なんて言われることも。

それでも、子どもがいたことで一人では得られない幸せはもらえているなと思います。

本書を読みながら、

「自分の幸福とは……」

ととても考えさせられました。

おわりに

ということで、青羽悠さんの『幾千年の声を聞く』の感想でした。

デビュー作の『星に願いを、そして手を。』がかなり好きだったので、そのあとの二作もおもしろかったんですが、それに比べると……という印象でした。

でも、ここにきて、一気に読みごたえのある小説を読ませてもらえたなと感じました。

この先の進路ってどうするんでしょうね。

作家としてこれからもどんどん素敵な小説を世に生み出していただきたいなって思います。