凪良ゆう

地球滅亡前にあなたはなにを思うか。凪良ゆう『滅びの前のシャングリラ』あらすじと感想。

地球が一か月後に滅亡するとしたら、あなたはどうしますか。

世の中が目まぐるしく変わっていく様をリアルに描いています。

今回読んだのは、凪良ゆうさんの『滅びの前のシャングリラ』です!

いやーおもしろかった!

凪良ゆうさんは、2020年に『流浪の月』で本屋大賞を受賞している人気作家の一人です。

地球に小惑星が一か月後に衝突すると公表されて、暴動や犯罪が横行する中、人々がどのように生きていくのか。

ここでは、『滅びの前のシャングリラ』のあらすじや感想を紹介していきます。

Contents

『滅びの前のシャングリラ』のあらすじ

ある日、世界中を衝撃が襲う。

アメリカの公式会見で、一か月後に小惑星が地球に衝突するとの報道がなされた。

小惑星は直径10km。

ぶつかればその衝撃で、大地はえぐられ、津波が発生し、人が生きていくことは到底不可能だと予想されていた。

アメリカではすぐにあちこちで暴動が起こる。

日本でも、暴徒が暴れまわり、東京では女狩りをする人たちも出てきた。

食料や日用品を求めて略奪が横行し、人の命が信じられないくらいに軽く摘み取られる。

 

十七歳の男子高校生である江那友樹は、クラスメイトからいじめを受けていた。

四十歳にもなってチンピラまがいのことをして生活している目力信士は、兄貴分のヤクザから敵対するヤクザを殺すように依頼を受けていた。

暴力を振るう元夫から逃げ続けていた静香は、息子を育て上げるために必死に生きてきた。

山田路子は、誰もが認める成功を収めていたが自分を見失っていた。

地球滅亡を目前に、人はなにを思うのか。

ここに来て、人は自分の奥底の気持ちを知ることになる。

苦しみを抱えた四人の視点で、滅びの前の一か月を描く。

地球滅亡まで1か月のリアル

地球滅亡の前を描いた作品ってそれなりにあるんですよね。

伊坂幸太郎さんの『終末のフール』は、たしか8年後に小惑星が衝突するって話で、そこから5年経った世界なんですよね。

報道直後は、地球全体で暴動が起こり、逃げ出そうとする人たちにあふれ、おかしな宗教が生まれ。

それらがひとしきり落ち着いて、残り3年となり、妙な平穏が生まれたところの話でした。

最近だと、『この世の果ての殺人』というのもありますね。

こちらは3か月後に小惑星が落下するというのに、そこで起きた殺人事件を題材にしています。

凪良ゆうさんの『滅びの前のシャングリラ』は、小惑星が衝突するまでなんと1か月しかない!

もう、過去類がないほどに、残された時間がないんですよね。

人類の混乱ぶりも、ほかの作品の比ではない。

そして、人が作り上げてきた秩序やルールが壊されていく姿が本当にリアル。

なにをしたって、すでに警察が機能していないから逮捕されることもない。

街中もどんどん事故にあった車が放置され、轢かれたり殺されたりした人が道端に増えていく。

その中でも、自分たちの身は自分たちで守ると、地域で自警団ができあがったりもします。

でも、彼らも自分たちが生きるために、食料などを外に奪いに行く。

正しいことなんて、人の数ほど生まれる世界で、みんなが自分なりに必死に残りの一か月を過ごしていきます。

自分だったら、なにを思って生きてくのか

残り1か月。

そんなことを言われたらどうしますか。

いや、正直、わからない。

私も家族がいるから、きっと最後の瞬間まで一緒に少しでも長くいたいと思うのだと。

でも、『滅びの前のシャングリラ』のように、なんとしてでもというほどの気概が生まれるかって微妙なところですよね。

できるだけ外に出ないようにして、ひっそりとその日を迎えるかもしれません。

ただ、そういうことを考えてみると、一番に出てくるのって家族の顔だから、私にとって今、一番大事なのって家族なんだろうなとは感じました。

きっと、最後に話したい人とか、これまでの後悔とかも頭をよぎるんだろうな。

とはいえ、1か月じゃぜんぶなんて絶対無理で。

いつまでも時間があると思えている今の自分。

もうちょっと今のうちにやれることをやっておきたいな。

自分の願望ってなかなか難しいものなんですよ。

それでも、幸せな家族ってのは、最上位にくるものかなと思います。

正しく平和な世界で一番欲し、一番憎んでいたものが、すべてが狂った世界の中でようやく混ざり合ってひとつになった。

(凪良ゆう『滅びの前のシャングリラ』より)

これは、登場人物の一人が思うことなんですが、これは”幸せな家族”のことを言っています。

親から暴力を振るわれて生きてきて、周りはふつうの幸せそうな家族があり。

羨ましい気持ちもあるのに、自分には与えられなくて。

でも、滅ぶ直前になって、それが目の前に出てくるんですね。

なんかすごく胸にきました。

なにかを成し遂げるためになにを手放したか

『滅びの前のシャングリラ』は、上記した四人の視点で描かれています。

その最後の一人の山田路子。

彼女は、日本を代表するLocoというアーティスト。

でも、そこに至るために、いろんなものを失ってきました。

自分のやりたいことも、理想も、過去も。

言葉遣いを矯正し、姿形を変え、成功するために必要なことは何でもした。

「平凡な幸せすべてを悪魔に売り渡すつもりじゃないと、大成功なんて無理なんだよ」

(凪良ゆう『滅びの前のシャングリラ』より)

人間って、誰にだってこうしたいとか、こうなりたいって願望があるものです。

大抵の場合、それは言葉だけで終わってしまって。

行動する人でも、ちょっとやってみて見込みがなければ、

「やっぱり今の状況考えたら難しいよね」

と諦めてしまう。

でも、本当に成功をその手に掴みたいのであれば、そこには代償が必要。

今、なにか自分に叶えたいものがあるのであれば、自分はなにができるのか、今の自分からなにをそぎ落とせるのか。

現状を維持したまま、成功を収めようなんて、そんな虫のいい話はないんですね。

被害者に我慢を強いる世界

なんかね、やるせないことって人生、ままあるもので。

特に被害を受けた側が我慢しなければいけないこと、泣き寝入りしなければいけないこと、逆に責められてしまうことって、割とあるんですよ。

仕事柄、そういったものも実際によく見聞きしますし。

いじめにしたって、加害者が悪い!っていうのが一般的で、いわゆる正しい意見なんですが、口ではそう言っていても、

「まあでも、あいつはいじめられるようなやつだよな」

と思う人の多いこと。

家庭内の暴力もまたしかり。

父親でも母親でも、親からの暴力って、小さい子供にはどうしようもないんですよね。

それをじっと耐えて、耐え抜いて。

でも、我慢できなくなって反発すると、それ以上の暴力で抑え付けられる。

もちろん、全部が全部、加害者側が悪いとは思わないし、心情がわかることもあるけど、それでも、きついもんがある。

「どうして石を投げられているほうが痛みを我慢しなければいけないのか。石を投げているほうが悪いに決まっているだろう。」

(凪良ゆう『滅びの前のシャングリラ』より)

この言葉どおりなんだけど、でもそれをわかっていても、現実ってなかなか変わらないし、変え方もわからない。

結局、自分の目に見える範囲、手の届く範囲だけなんですよね。

なんとかしようと思えるのも、なんとかできるのも。

それでも、なんとかしようと動く人は輝いて見える。

おわりに

凪良ゆうさんは、名前だけは知っていたけど、読むのは、『滅びの前のシャングリラ』が初めてでした。

いま記事を書いている間に、『流浪の月』も読み終わっちゃいましたが、どちらもおもしろすぎた。

もともと、BL本を書いていた方なんですね。

だからなのか、心情表現がすごいですよね。

ままならない人たちを描くのがうまいというか。

読んでいて救われた気分になる人が多いのではないかなって思いました。