凪良ゆう

事実と真実は一致しない。凪良ゆう『流浪の月』のあらすじと感想。

事実と真実は必ずしも一致しない。

多くの人が事実と思うのは、その人が考える事実。

当事者でなければ、本当のことはわからない。

今回読んだのは、凪良ゆうさんの『流浪の月』です!

『流浪の月』は、2019年8月に発売され、2020年の本屋大賞を受賞した作品になります。

映画化もされた大ヒット作ですね。

人間はそれぞれに決まった答えを持っていて、それが人を傷つけることもある。

事実と真実は違うけれど、それを一人でもわかってくれることがいるのは、救いなのかもしれない。

ここでは、『流浪の月』のあらすじや感想を紹介していきます。

『流浪の月』のあらすじ

主人公の家内更紗は、少し変わった両親と自由な生活を満喫していた。

しかし、父親が病気で亡くなり、一年後に母親も更紗を置いていなくなってしまう。

保護者がいなくなり、母方の伯母が引き取ってくれることになった。

叔母宅は、これまでと違い、更紗に”普通”の行動を求める。

いつしか、叔母宅が息苦しくなり、孤立感を深めていく更紗。

学校が終わるといつも公園で過ごすようになった。

その公園には、小学生からロリコンと呼ばれる男性が、いつもベンチに座って小学生を見ていた。

そんなある日、公園では雨が降り、びしょ濡れになった更紗に男性が傘を差し出したことをきっかけに、更紗はその男性・佐伯文と一緒に暮らすことになる。

当然、小学生の女の子がいなくなったことは問題となり、誘拐事件として捜査が始まった。

実名と顔写真が報道され、危機感を覚えるも、更紗は解放された心のままに、文との生活を楽しんでいた。

そして、更紗が文のもとで暮らし始めてから2か月が過ぎる。

ある日、更紗の希望で動物園に行ったところ、通行人に気づかれて通報される。

逃げてという更紗だったが、文は更紗の手をぎゅっと握り逃げようとしない。

そのまま誘拐犯として逮捕されてしまう。

保護された更紗だったが、更紗は「傷物にされた可哀想な女の子」、文は「ロリコンで凶悪な誘拐犯」というレッテルを貼られてしまう。

しかし、二人の間にそうした関係は一切なかった。

更紗は文に助けられただけだったのに、それを周囲は認めてくれなかった。

そして事故から15年過ぎ、24歳になったある日、更紗は偶然文と再会する。

事実と真実は違うということ

『流浪の月』を読んでいて一番感じるのは、

「当事者にしかわからないことを周囲が勝手に決めつけてしまう」

ということ。

周囲にとって、事実とはこういうものであるという結論があっても、当事者が感じている真実と乖離していることは多々あります。

『流浪の月』では、更紗も文も、そうした周囲の視線にさらされ続けるわけです。

二人にとって、一緒に暮らした二ヵ月は幸せなものだった。

特に更紗にとって、やっと見つけた居場所でした。

そこから引きはがされ、周囲はみな、文のことを極悪人のように扱う。

更紗が文をかばうと、ストックホルム症候群にかかってしまったのだと同情的な視線を受ける。

真実は違うのに。

それはどこにいってもそう。

警察でも、施設でも、高校でできた友人でも、恋人でも。

誰に話したとしても信じてもらえず、可愛そうな子と思われる。

「どれだけ心や言葉を尽くしても、わかり合えないことはたくさんある。手放すことで楽になれることは、もっとたくさんある。」

(凪良ゆう『流浪の月』より)

わかってもらえることって幸せなことですよね。

自分の理解者がいるとそれだけでいろいろ頑張れたりします。

でも、いつまでたっても理解されない、分かり合えない。

それならば、もういっそのこと、わかってほしいなんて思わない方が楽なのかもしれない。

優しさもまた罪

ただ、そうした人たちが理解のない悪い人かというとそうでもないんですね。

そもそも、『流浪の月』の中に、悪い人ってほとんど出てきません。

あえていうなら、いとこの孝弘くらいです。

こいつはゆるせぬ。

それ以外の人って、ほとんどは更紗のことを心配していろいろ言ってくれています。

叔母さんは、それまでの更紗の生活があまりにも普通とかけ離れていて、周りから変に見られないようにと、赤いランドセルにして、生活を改めさせます。

更紗を保護した警察もカウンセラーも、更紗を被害者として、無理をさせないように接します。

その先に更紗と付き合う人たちも、更紗を気遣い、

「僕は君の過去を気にしないよ」

と優しそうなことを言う。

でも、更紗には、気にしないよと言われなければいけない過去なんてないんですよね。

更紗の中では、あの二ヵ月は幸せだった時間であり、なにも想像されるようなことはされていない。

ストックホルム症候群なんて言われるけど、それだって的外れ。

それでもいつだって更紗が真実を伝えようとすると、まじめに受け止めてもらえず、

「辛かったよね。わかっているよ」

という反応をされてしまう。

こういう優しさって、本当に相手のためのものではないんだなって感じます。

自分が優しくしたいから、優しくしている自分でいたいからなのかなって。

だから、そこからずれた反応が返ってくると顔をしかめる。

理解のない優しさってそれは決していいものではなく、むしろ罪ですらある。

『流浪の月』で気になった言葉たち

凪良ゆうさんの作品って、考えさせられるセリフがけっこうあります。

ここではそれらをいくつか紹介。

「頼りになる身内のいない人間にとってさ、彼氏は恋愛以上に、普通の社会生活を送っていくための必需品でしょ。引っ越しとか入院とか、いざってときの保証人になってくれたり。」

(凪良ゆう『流浪の月』より)

これは、更紗の同僚の安西さんだったかが言ったセリフ。

これってかなりリアルな話ですよね。

お金がなくても、愛が大事なんて言う人もいるけど、現実問題、生きていくために必要なことってやっぱあるんですよね。

ろくでもない相手と付き合っちゃうと、やっぱりそれなりの人生になってしまうし、頼れる相手ってとても大切。

「器の中にどんな水がそそがれているかは関係ない。器の形がストーカーだということが問題だ。」

(凪良ゆう『流浪の月』より)

どんな思いでその行動をしたかってこともたしかに大事だけど、そのやり方に問題があれば、それは問題でしかない。

ストーカーのつもりがなくて、相手が心配で様子を伺っていたのだとしても、こっそりと後をつけたり、家の前で張っていたりしたらそりゃストーカーです。

友達がお金を困っているからといって、盗んだり恐喝したりして手に入れたら、友達のためにならないどころか捕まります。

正しいやり方ってものがありますよね。

「人と人がただ一緒にいることすら、目に見えないルールのようなものがあって、わたしと文は出会ったときから、そこからははじき出されている。」

(凪良ゆう『流浪の月』より)

このルールってのがやっかい。

だって明確にあるわけじゃないんです。

でも、たしかにそういったものがあって、それを理解できないとその場所ではうまく生きていけない。

学校でも社会でも。

家族の中だってそうですよね。

おわりに

凪良ゆうさんいいですねー。

『流浪の月』も、『滅びの前のシャングリラ』も読んでいてすごく考えさせられました。

まだこの二作品しか読んでいないんですけど、遡ってどんどん読みたいと思います。

『流浪の月』は、本屋大賞受賞作ということもあり、未読の方はぜひ読んでみてください。