村田沙耶香

誰にでも信仰はある。村田沙耶香『信仰』あらすじと感想。

本は比較的薄いのに、中身がこれでもかってほど濃密。

たった150ページほどの一冊からこれだけの衝撃を受けることは少ない。

今回読んだのは、村田沙耶香さんの『信仰』です!

村田沙耶香といえば、2016年に『コンビニ人間』で芥川賞を受賞したことで名前を知った人も多かったと思います。

私も最初は『コンビニ人間』からでした。

『信仰』は、8つの物語からなる短編集です。

普通に生きることが難しい人たちが登場し、あり得ないと思いつつも、自分達にもそうした部分があるのではないかと考えさせられます。

ここでは、『信仰』のあらすじや感想を紹介していきます。

『信仰』のあらすじ

8つの短編が込められた『信仰』。

一番長いのは表題作でもある「信仰」で、それでも50ページほどです。

短いものだと10ページで終わるので、割とすんなりと読めてしまいます。

〇「信仰」

〇「生存」

〇「土朠潤起」

〇「彼らの惑星へ帰っていくこと」

〇「カルチャーショック」

〇「気持ち良さという罪」

〇「書かなかった小説」

〇「最後の展覧会」

この中でもやはり「信仰」が考えさせられます。

物語は、主人公の永岡という女性が、地元の同級生から、

「一緒にカルトやらないか?」

と誘われるところから始まります。

カルト宗教に誘うのならなんとなくわかりますが、一緒にやろうっていうのが凄い導入ですよね。

当然、断る永岡でしたが、彼女はどこかその話が気にかかります。

というのも、永岡には、カルト、信仰というものに苦い経験があるからです。

永岡の口癖は、「原価はいくら?」というもの。

友人がブランドのバッグを買っていれば、それ原価いくらだよ、とつい口走ってしまう。

おしゃれなカフェの飲み物の値段に驚愕し、ディズニーランドも、そればかりが気になって楽しめない。

そうした「現実」を家族や友人に教えてあげることが、永岡にとって正しいことでした。

きちんと「現実」を知った先に幸せがあるのだと。

でも、「現実」を押し付ける永岡に対して、周囲の反応はだんだんと厳しいものになっていきます。

友人は離れていき、交際相手も、もう無理だと逃げ出していく。

妹からは、「お姉ちゃんの『現実』ってほとんどカルトだね」と言われてしまう。

自分の考えが周りと違うということに気づいた永岡は、友人たちと同じように振る舞おうと努力するも、やっぱり、「現実」が見えてしまい楽しめない。

そんなときに聞いたのが、カルトの話でした。

「天動説セラピー」を開催して、参加費は1回10万円。

うまくいくはずがないと一度は拒否したカルト。

でも、この「現実」から離れるために、永岡は、主催者ではなく、参加者になり、洗脳されたいと考え、セラピーへの参加を決意します。

誰にでも信仰はあるもの

『信仰』というタイトルを聞いたとき、

「あー、今回は宗教の話なんだ」

って率直に思っていたのにかなり違いました。

ある意味、宗教と言えば宗教みたいなものですが。

上記したように、同級生からカルトに誘われるところから物語は始まります。

明らかに怪しいカルトというもの。

そんなものに騙される人なんて本当にいるのかと懐疑的です。

でも、そのあと、友人と会ったり、過去のことを振り返っていく中で、世の中、たくさんの「信仰」に溢れていることに気づかされます。

永岡はあらすじでも書いたように、「現実」を信仰しています。

本来よりも高いものがあれば、「原価はいくら」と言ってしまう。

きちんと現実を見て生きていくことが幸せである、と。

だから、友人にも家族にも、執拗に迫るんですね。

「こんなのぼったくりだから」、「これは高すぎる」、「騙されているから」。

そうやって、教えてあげることがその人のためなんだと。

一方で、久々に再会した友人たちも、自分が信じたものに取りつかれています。

少し前までは誰も気にしていなかったのに、鼻の穴のホワイトニングなんてものにはまっているんですね。

永岡も友人の気持ちを理解しようと試してみるけど、鼻の穴が白くなっただけで5万円。

やっぱり、「原価はいったい」という気持ちが湧いてきます。

でも、友人たちはそれを見て、「それで5万円なんて安い!」とはしゃぐんですね。

更には、縄文土器のような皿やカップが友人宅では使われていて、数年前は誰も知らなかったロンババロンティックというメーカー。

平皿でも50万円、ティーカップを4セットそろえるだけで200万円!

あり得ないとショックを受ける永岡をよそ目に、友人たちはそれを手にすることがいかに素晴らしいことかを語りあうんです。

「信仰」って、自分が正しいと思うことを生き方の軸に据えることなのかなって思います。

一つの家庭でも、昔からある常識ってありますよね。

父親が絶対な家だと、父親がこうだと決めたら全員が従い、風呂に入るのも父親が先。

社会人になって働き出したら、上司の言うことには従うもの。

そこから外れるのは無能は人間だけ、みたいな。

そういえば、私も働き出したばかりのころは、大先輩から、

「口答えはするな。言い訳は反抗だ。『はい』か『わかりました』しか言うな」

と言われ、この世界はそういうものなのだと思っていた時期もあります。

新型コロナウイルスでもそうですよね。

ワクチンを絶対視する人たちと、ワクチンは効果のない危険なものという人たちがいました。

いや、いまもいるんでしょうね。

どちらが正しいのかってわからないですが、相手を徹底的に叩こうという姿は、ある種の信仰のようなものを感じます。

それ以外にも、子どもの教育のためには、これが絶対必要とか、読書をしていない人は成長しないダメな人だとか、まあなんだってあります。

ただ、それらは、違う価値観とぶつかり合って、形を変えていくこともある。

「信仰」が揺らぎ、一度壊され、フラットな視点になり、そのあとでもそれを信じられたら本物なのかな。

盲目的、妄執的なものには少し怖い気持ちもあるけど、信じられるものがあるということが幸せであることも事実かなと。

「生存」と生きる意味

二作目の「生存」もまた、すごく考えさせられます。

地球の温度が上がり、いまよりも異常気象が多発し、海面上昇で陸地も減った、人が生存しづらくなった時代。

そこでは人の生存率がきっちりと、AからDまでで評価されるようになってしまうんです。

65歳までの生存率を図ったもので、Dになると生存率は9%以下。

この世界では、小さいときからあらゆる病気に対して予防ができ、でもそうしたことができるのって、高学歴で高い給与をもらえるようになった人たちだけ。

だから、交際する相手も同じランクの人とするのが普通。

小学生の成績表でも、成績と一緒に生存率が記載されるんですね。

それを見た小学生は喜んだり泣き崩れたり。

もう、なんてカオス。

その中で、主人公は生存率Cの女性。

Aの男性と付き合っているものの、自分と付き合うことで男性の生存率を下げてしまい、更には、産まれた子どもの生存率もかなり低くなる。

そこで男性と別れて、自分はDの野人になろうと決意するんです。

野人は、もう町では暮らさず、野生に戻って、人としての考えを捨てて生きていく道。

やむにやまれぬ場合以外、普通は選びません。

でも女性は、生存率を不可思議なものと捉えます。

人間として生きているはずなのに、生存率というものに支配されて、そのために自分の考えも生き方も変えていく。

それって変じゃないかって。

そう考えると、いま社会人として働いている自分たちも、そういうところはあるんですよ。

老後にはこれくらいかかるから、老後のためにこういうことをしなくてはいけない。

子どもの将来を考えると、早くから習い事をさせて、いい大学にいかせなくては。

出世のためには、入社から5年が勝負だ。

自分の生き方というよりも、そうした自分以外のなにかに生き方を縛られ、決めさせられているんじゃないかって思います。

気持ち良さは人をダメにする

個性とか多様性とか、いろんな、

「これって大切なんだろうな」

という言葉が世の中には溢れています。

それをえぐったのが「気持ち良さという罪」です。

何気に私も、個性とか多様性って言葉があまり好きじゃないんですよね。

まあ私が小学生の頃は、個性なんてあまり言われていませんでしたしね。

個性を重要視するように教師は言いながら、突き出た個性は、異質、異端として排除する。

それが現実ですよね。

求められているのは、「ちょうどいい、大人が喜ぶくらいの」個性だと書かれていてすごく納得しました。

個性にしても、多様性にしても、

「これを大事にしています!」

といえば、なんとなくいいことを言っているような気持ちがします。

でも、本当にそこを飲み込んで理解し、自分のものにしていることってあまりない。

無責任にそのことばかりを前面に押し出すことがどれだけ妙なことか。

多様性ってすごく難しい。

人種とか、信条とか、障害の有無とか、生まれとか。

まあいろんなものを含んでますよね。

でもやっぱり、外国人には近づかないし、日本生まれ日本育ちでも、見た目が外国人なだけで、ちょっと距離は置かれるもの。

宗教に入っていると言えば、相手の体に緊張が走り、生まれ故郷が近ければそれだけで親近感がわく。

うちの職場も、障害者雇用枠ってのがあって、つねになにかしらの障害を持った人が働いています。

その人と、他の職員が同じように同僚と接するかっていうと、そんなことやっぱりないわけです。

だからなのか仕事も長続きせず、一年働いたら更新をしないでみんな辞めていってしまう。

そしてそれを当たり前のように受け取ってしまう。

個性にしても多様性にしても、安易に使える言葉だし、だからこそ、そこに簡単に乗っかってしまうと、自分自身も考えない人間になりそうでちょっと怖くもなります。

おわりに

本当に、あまり長くない話ばかりなのに、考えさせられることばかり。

楽しかったとか、充実したとかって感想にはならないけど、これはぜひ多くの人に読んでもらいたい一冊でした。

信仰ってもの。

宗教にしてもほかの信条にしても、そういったものを持つのは個人的にはいいことだと思っています。

宗教を持つことは海外じゃ当たり前なんて話もよく聞きます。

別に日本人だって信仰があっていいと思うんですけど、変な風に見られるものですよね。

「宗教は怖くて危険なもの」

それであって一つの信仰のような気がします。

世の中、絶対的に正しいものってなかなかありませんが、考えを持ち、ぶつけ合い、その中で自分だけの価値観が築き上げられていくのかな。