〈ガリレオ〉シリーズ

『容疑者Xの献身』東野圭吾のガリレオシリーズで私が一番おすすめの本

誰かのために、自分の身を挺して尽くすことは並大抵のことではありません。

 

なぜ彼は、そこまで彼女たちに尽くすことができたのかと考えさせられながら読みました。

 

今回紹介するのは、東野圭吾さんの、

『容疑者Xの献身』です!

 

ガリレオシリーズ初の長編小説になります。

2005年に単行本として出版され、2008年に文庫本になっています。

東野圭吾さんは、この『容疑者Xの献身』で直木賞も受賞されています。

 

ガリレオシリーズの中でも、個人的にはこの本が一番おすすめです。

Contents

あらすじ

花岡靖子は、一人娘の美里とアパートで二人暮らし。

弁当屋でのパートをしながら娘を育てており、夫とは離婚をしています。

 

ある日、その元夫である富樫が靖子の前に現れます。

富樫は、ことあるごとに靖子の前に現れてはお金を要求してきていました。

靖子は二度と目の前に現れないでほしいと言うが富樫は二人の住むアパートにまで押しかけてきます。

口論の末、富樫を殺してしまう靖子と美里。

 

そこにアパートの隣に住む石神が現れます。

石神は、密かに靖子に想いを抱いていました。

隣で物音を聞き訪れた石神は、殺人が行われたことを察知し靖子に言います。

自首をしないのであればお手伝いができるかもしれません、と。

 

そうして、石神は二人を救うために、完全犯罪を企てます。

 

しばらくして、河川敷に一つの遺体が発見されます。

遺体の顔はつぶされていて、指紋も消されていましたが、近くに乗り捨てられていた自転車の指紋などから、警察は遺体を富樫のものと断定します。

 

警察は、富樫が靖子の居場所を探っていたことから靖子のことを疑います。

しかし、石神の行った隠ぺい工作により、警察は犯人を特定することができません。

 

いつものように、警察である草薙が、ガリレオ先生こと湯川学のところに、今回の難事件についての愚痴を言いに行きます。

 

湯川は、話を聞いていくうちに、容疑者である靖子の隣人に、大学の友人である石神が住んでいることを知り、事件に関わっていくことになります。

『容疑者Xの献身』の魅力

この『容疑者Xの献身』をはじめ、ガリレオシリーズは早い段階で犯人がわかっていることが多いです。

本書も、わずか開始30ページで、靖子と美里が殺人を犯しています。

 

「犯人はこの人!」

というのがわかっているのにどうやったのかわからない。

本書の場合、どうやって警察の捜査を逃れているのかがわからないというわけです。

 

警察の捜査や、湯川と草薙のやりとりを読みながら自分でも考えてみるのですが、ぜんぜん答えが見つからない。

そうやって考えながら本を読み進めていくのがとても楽しいです。

大切な人への献身

本書のタイトルである『容疑者Xの献身』にあるように、石神は靖子が犯人とわからないように、靖子が幸せになれるようにと尽くします。

この献身という言葉では表せられないくらいの行動をとります。

 

石神に対する私の最初のイメージは、頭はいいが人間関係が下手そうな人。

でも、石神の靖子に対しての行動を見ていると、とても情に厚く、繊細な心を持っているように感じてきます。

 

いざ自分に置き換えてみると、この献身という言葉に合うだけの行動というのはどんなものなのだろうかと考えさせられます。

大切な家族。友人。同僚。後輩。お世話になった人たち。

恩を感じていたり、大切に思っていたりする人たちに、私はどれくらいのことをしてきているのかなと思い返すきっかけとなりました。

”思い込みによる盲点をつく”

この”思い込みによる盲点をつく”という言葉が本書の一つのキーワードです。

内容に触れるとネタバレになるので、触れませんが、思い込みというのは誰にでもあるなと感じます。

 

生活をしていて、思い込みで先走ってしまうという経験をしたことはありませんか。

私はよくあります。

あまり話を聞かないまま、途中まで聞いて行動してしまったり。

この人はこういう人だと、ちゃんと認識しないまま接してしまったり。

きちんとした知識を持たずに、これであっていると考えてしまったり。

 

小さいことから大きいことまで、いろいろな思い込みに囲まれているなと思います。

この『容疑者Xの献身』は、人の思い込みを実にうまく表現しています。

どちらが簡単か

『容疑者Xの献身』の中で、気になったセリフがあります。

 

”自分で考えて答えを出すのと、他人から聞いた答えが正しいかどうかを確かめるのとでは、どちらが簡単か”

(東野圭吾『容疑者Xの献身』より)

というセリフです。

似たような言葉が本書では何度も出てきます。

 

最初に読んだときは、後者。

他人から聞いた答えが正しいかどうかを確かめる方が簡単だと思いました。

自分で何かの答えを導き出すのってすごく大変そうですもんね。

 

でも、その答えが正しいのかどうかわからない場合、どうやって正しいのかを証明すればいいのかって難しいです。

その答えたものが正しいことを前提に理論を組み立てても、それが正しいと証明したことにはならない。

その正しいとされた答え以外の可能性をぜんぶつぶしていって初めて正しいことがわかるのだと思うから。

 

読んで、考えてみても、実際にどちらが簡単なのかって答えが見つからないです。

終わりに

東野圭吾さんのガリレオシリーズは、私のお気に入りの一つです。

特にその中でも、『容疑者Xの献身』は秀逸です。

 

トリックにしても、私の想像の外にありましたし、人間の感情をとても上手に表しています。

複雑な人間心理を、登場人物のしぐさやセリフから、読者に読み取らせることができる文章に、どうしてこんな風な言葉がつむぎだせるのかと考えてしまいます。

読み終わったとについため息をつきたくなる作品でした。