芦沢央

血のつながりか、それまでの時間か。芦沢央『貘の耳たぶ』あらすじと感想。

出産というのはとてつもないもの。

何時間、何十時間も、命をかけて、新たな生命を産み落とします。

それだけでもすごいことで、大変なことなのに、情報にあふれる現代は、それがゆえに、母親に様々な心労や心配を負わせてしまうものです。

今回読んだのは、芦沢央さんの『貘の耳たぶ』です!

出産を終えたばかりの母親が主人公になります。

これがまた、すごく悩ましい。

子どものことを思ってのことなのに、間違っていて取り返しがつかない。

序盤から、「なんでこうなるのかな」ともんもんとしながら読んでいました。

ここでは、『貘の耳たぶ』のあらすじや感想を紹介していきます。

『貘の耳たぶ』のあらすじ

繭子は、帝王切開による出産となった。

周囲には、自然分娩が一番だという声が以前からあり、頑張り切れなかった自分を責めてしあう。

パイロットをしている夫は、立ち合い出産を求める繭子に対して、あっさりと、仕事を休めないと答えていた。

夫は真剣に考えてくれていない。

親にも頼ることはできない。

独りとなった繭子は、自分に子どもを育てることができるのだろうかと不安を募らせていく。

繭子は、新生児室で我が子を見つめながら、自分のもとに生まれてきてしまったことをかわいそうだと考える。

そして、同じ日に生まれた隣のベッドに眠る郁絵の子とネームタグを取り替えてしまう。

咄嗟の行動にすぐ後悔するものの、元に戻す機会を失い、そのまますり替わったまま退院を迎えた。

いつも発覚に怯え、うまくいかない子育てに苦労していたが、それでも息子として育てている航太へ愛情を感じながら毎日を過ごしていた。

一方、50時間を超えるお産で、途中輸血をする必要もあった郁絵。

産後すぐにベッドから起き上がることもできず、我が子の顔が見られなかった郁絵は、取り替えられた子と気づかないまま、息子に璃空(りく)と名付け、愛情深く育てていた。

保育園で働きながらの子育ては、大変だけど充実した毎日だった。

そんなある日、夫が勘違いから郁絵の浮気を疑う。

身に覚えのない郁絵は、DNA鑑定をすることに同意をした。

ところが、出された検査の結果に夫婦は愕然とする。

DNA鑑定の結果は、実子でないことを証明していた。

そのことを病院に連絡すると、繭子の子どもと入れ替わっていたことが発覚する。

病院や弁護士は、子どもの交換を薦める。

だが、いままで可愛がって育てた息子を今更手放すなんてできない。

なにが子どものためになるのか。

病院側と弁護士、繭子と郁絵の両夫婦との間で話し合う中、出した答えは。

母親の不安と葛藤

あらすじだけ見ても、

「自分の子どもをほかの子どもと交換するなんてありえない!」

と感じる人って多いと思います。

実際に私も、現実にそこまでする人は……。

と、思いたいところですが、でも、出産直後の母親の心の中って周囲が思う以上にいろんなものがうずまいているのだろうなと感じます。

思い返してみると、私の妻も出産直後はかなり気持ちが不安定になっていて、

「私にちゃんと育てられるかな」

とか、

「ほかの人みたいに上手に母親できると思えない」

なんて口にしていました。

私は、入院中も頻繁に顔を出せましたし、義母や義姉も妻のところに来てくれていましたが、繭子のように一人ですべてを抱え込むとその不安はいかほどなのかと考えてしまいます。

自分の子をほかの人の方が幸せにできるのでは……。

ない考え方ではないように感じてしまいますね。

でも、実際に取り換えたあと、繭子がずっと葛藤し続けていきます。

自分のしたことは間違っている。

早く本当のことを言わなければ。

何度も言おう言おうとして言えない。

このあたりの葛藤の描き方が本当に上手ですよね。

ほかの作品でも、人の内面のこんがらがったようなところを、リアルに描くので読んでいてとても感情移入してしまいます。

自分だったらどちらの子を選ぶ?

もしも、自分の子どもが実際に取り違えにあっていたら……。

果たして自分だったらどうするでしょうか。

うちの子も『貘の耳たぶ』に出てくる子どもたちと同じ4歳になるところです。

急に、実は本当の子どもは別にいると言われたら……。

すんなりと交換しようと思えるかというと、難しい気がします。

小説の中では、郁絵以外は、当初から交換の方向で動いていました。

郁絵自身も、実際に子どもを目にすると、この子が本当の自分の子なのだと感じ取ります。

それでも、子どもと別れることに踏ん切りがつかず悩み苦しみます。

たしかに、将来的なことを考えれば、子どもの記憶が薄いうちに、元の両親のもとに戻るというのはあり得るのかもしれない。

大きくなってから、「実は本当の子どもではない」と伝えられるのもショックでしょうし、いろんな場面で支障が出るかもしれない。

とはいえ、4歳まで成長して、自分の意思も持つようになった子どもが、たとえ記憶に残っていなくても、大きな傷を負うことになってしまいますよね。

とてもそんな子どもと別れるなんて……という気持ちにも。

そんなことなら、事実なんて知らずにずっと育てていきたいと思います。

それでも、どちらか選ぶなら、私は交換できないんじゃないかな。

答えなんてない問題ですけど。

おわりに

『貘の耳たぶ』は、もう題材からして、どう考えてもハッピーエンドにはなり得ないだろうと感じながら読みました。

絶対、どこかにきつい思いをする人は出るんだから。

案の定、なんともせつなく、苦しい気持ちにさせられましたが、それでいてとても考えさせられました。

自分の子どもへの向き合い方がちょっと変わり、一緒にいる時間を大切にしたいなと。

芦沢央さんの作品も現時点で残すところ二冊!