「あの手の指す方向へ行けば間違いないと思っていた」
(芦沢央『夜の道標』より)
単行本の見返し部分に書かれていた文章がとても印象的でした。
今回読んだのは、芦沢央さんの『夜の道標』です!
一見、関係のない複数の視点。
それが少しずつ絡み合い、影響し合うことで、それぞれが自身の問題と向き合っていきます。
自分が信じるものってなんなのかなと考えさせられる作品でした。
ここでは、『夜の道標』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『夜の道標』のあらすじ
1996年10月、塾の経営者が殺害された。
周囲からは人格者として慕われており、問題を抱えた子どもたち一人一人に向き合う男だった。
当日、塾の前に目撃された、被害者の元教え子である阿久津舷が被疑者として捜査線上に浮かぶ。
しかし、事件後の足取りは途中でわからなくなり、事件発生から2年が経とうとしているのに、一向に目撃情報もない。
少しずつ捜査にあたる人員も減らされ、今では2名だけとなった。
平良正太郎は、部署で嫌がらせを受けながらも、部下とともに地道な捜査を続ける。
関係者をもう一度当たっていく中で、犯人の動機になるであろう部分が少しずつ解明されていく。
父親に逆らえず、苦しい人生を送っている小学6年生の波留。
バスケがうまい波留に憧れを抱く桜介。
秘密を抱えたまま、パートで惣菜を売っては、余りを家に持ち帰る豊子。
不安や苦悩を抱えながら生きている彼らが交わり、新たな物語が紡がれていく。
珍しくゆっくりな出だしの小説
『夜の道標』を読みながら序盤に感じたのは、
「これってどういう話?」
という疑問でした。
というのも、『夜の道標』は四人の視点で描かれていくんですね。
小学六年生でバスケが断トツでうまい橋本波留。
同じクラスの波留の友人である仲村桜介。
塾講師殺害事件を追う平良正太郎。
その殺人犯を二年間匿っている長尾豊子。
それぞれの現状みたいなところから始まるものだから、この小説が何を書こうとしているのかがなかなかわからないんですね。
芦沢央さんの小説って、最初に、
「この小説はこんなことをやるんだよ」
っていうのがばばーんと出てくる印象でした。
『カインは言わなかった』では、主演予定の男性が行方不明になり、『貘の耳たぶ』では、新生児の取り換えという問題。
デビュー作の、『罪の余白』でも、一人の女子高生が窓から落ちて死ぬところから話が始まりますね。
だから芦沢央さんの小説を読みなれている人だと、ちょっと妙な感じがするかもしれません。
でも、問題なし!
すぐに面白くなってきます!
前半のゆっくりだったのが嘘だったかのように、少しずつギアが上がって、ラストまで加速していきます。
自分にとって、道標とは。
道標(どうひょう)って言葉自体、あまり使わないもの。
調べてみると、
通行人の便宜のために,方向・距離などを記して道端に立てる案内の立て札。道しるべ。
なんて意味のようです。
まあ、道しるべってのが一番しっくりきますかね。
自分が迷ったときに、困ったときに、その先を示してくれるものといったところでしょうか。
『夜の道標』の中でも、登場人物が、何かを選ぶときに、何を頼りにそれを選択したのかというシーンが出てきます。
みんながやっているって言うから、という人もいれば、親がこう考えるからそれに従っているという場合も。
タイトルの『夜の道標』をそのまま表すようなシーンも出てきます。
ただ、意味としてはそれだけではないような気も。
夜って、暗くて、先行きが不安で、何かに頼りたくなる。
そんなときに道しるべとなるものがあると、救われた気持ちになる。
そういうものって、誰しも少なからず持っているのかな。
私だったら、大学時代に先輩たちから教えてもらってきたことが、かなり生き方の根本になっていますし、特定の思想を人生の軸に置いている人もいます。
中には、「〇〇がこう言っているから」、「みんなこうしているから」といった形で、生きている人もいます。
それ自体は別にそれでもいいのかなとは思います。
でも、『夜の道標』を読んでいると、
「あなたはそれでいいの?」
という問いを突き付けられているような感覚にもなります。
誰かのせいにするのは簡単。
誰かのせいにするのってすごく簡単なことなんですよね。
「みんながしているから」
そうやって決めたことって、それだけで自分の責任が軽くなったような気がする。
悪いのは自分じゃないんだって。
『夜の道標』でもそんなシーンがあり、傍からすると、すごくもやっとした気持ちになります。
仕事でも、やたらと自分の責任を回避しようとする人っているんですよね。
家庭でだってそうです。
実際に、自分に責任があることって、苦しいし、重たいものだなって。
でも、それでいいんだろうか、とも思わされます。
自分が決めたことで、誰かを理由にしたっていいし、何か道しるべがあって、それに従うんでもいい。
ただ、それは理由はなんであれ、自分が選んで決めたこと。
その信じたものが、足元から崩されたとしても、それだって、自分のことなんだと。
おわりに
『夜の道標』では、これ以外にも、弱い立場にいる人物の苦悩やそこからの救いも見どころの一つです。
芦沢央さんの作家10周年に相応しい見事な長編小説でした。
読んだ後に、タイトルを見て、物語を振り返って、余韻に浸りたくなりました。
ひとまず、これで芦沢央さんの作品は、今出ているところまで読み切りました。
次の作品はまた来年ですかね。
それも楽しみにしながら残り二ヵ月、読書生活を送っていきます。