これは特殊能力を持った主人公が活躍する物語なのか。
政治に対して一石を投じようというものなのか。
群衆という大きな力の恐ろしさを暴きたてようというのか。
ただの小説にしては、考えたくなるテーマがいくつも浮かんでくる小説です。
今回紹介するのは、伊坂幸太郎さんの『魔王』です!
伊坂さんの9作目の小説になります。
それまでの作品とはだいぶ趣が変わっていて驚きました。
伊坂さんの作品って、たくさんの伏線を後半怒涛の勢いで回収して、きれいに物語を終わらせるところがありました。
でも、『魔王』では、「ここで終わりなのか?」とちょっとだけ疑問も残ります。
読んだ側として、考えさせられることは山ほどあったので、これはこれで好きですが、すっきりした気持ちでは終わらないかなと感じます。
Contents
『魔王』のあらすじ
『魔王』は、表題作である「魔王」と、その五年後を描いた「呼吸」の二作から構成されている。
メインとなるのは、見た相手を腹話術のように喋らせることができる能力を持った安藤と、その弟の潤也、圧倒的なカリスマを持った政治家である犬養。
「魔王」
安藤は、ある日、自分には腹話術のように、見た相手にこちらの思ったことを喋らせることができる力があることに気づく。
電車で座ることができなかった老人。
職場で上司に責任を押しつけられて怒られている同僚。
初々しいけれどなかなか発展していないカップル。
彼らが安藤が考えた言葉を実際に喋ったことで、確かな力があることを確信した安藤は、その力を使ってある男に近づこうと考える。
それは、野党の一つである未来党の党首・犬養であった。
犬養は圧倒的なカリスマ性と強烈な言葉で人気を高めていた。
犬養の言動に人々が左右され、熱狂していく様子に不安を感じる安藤。
同じ時期に、アメリカに対する日本人の感情の悪化があり、それに煽られるように友人であるアンダーソンの家が放火にあっていた。
これもまた、燃え上がった反米感情にのせられた人々によるもの。
ロックミュージシャンのライブで見た観客の姿、イタリアの政治家・ムッソリーニを追い詰めた群衆、犬養を崇拝する人々……。
安藤は、人々を巻き込む大きなうねりに対して恐怖を抱いていたのであった。
「考えろ、考えろ」
自分にできることを考察する安藤は、自分の特殊な力を使って、演説を行う犬養を妨害しようとするが、犬養を視界に入れたところで苦しみ倒れてしまう。
「呼吸」
「魔王」から5年後。
犬養は首相となり、憲法改正のための国民投票が目前に迫っていた。
憲法改正は、憲法9条について。
戦力の放棄をうたっている憲法9条に自衛隊を明記することが主な改正案である。
日本全体で多くの議論が巻き起こるが、流れは犬養にあるようであった。
一方で、安藤の死後、弟の潤也は妻の詩織は仙台へと居住を移し、潤也は猛禽類の保護に関する仕事に従事していた。
安藤が死んだ際に、犬養の演説会場で人が死んだことから、メディアにも報道され、それ以降、テレビなどの情報を遠ざけて暮らしていた二人。
小さな平和を愛し、静かに暮らしていた潤也であったが、彼もまた特殊な能力を手に入れていた。
それは、じゃんけんをすると必ず勝つというもの。
潤也と詩織がじゃんけんをする中で、潤也が勝ち続けることから発覚したものであった。
いろいろと試していくと、10分の1程度の確率のものであれば、勝つことができることがわかった。
潤也はその力を使って世界を変えるための力を持とうと考える。
群衆の恐ろしさ
『魔王』では、ファシズム、独裁政治、憲法9条改正といった政治的なものが出てきます。
ぱっと読むと、そういったメッセージがあるのかなーと感じるのですが、伊坂幸太郎さんは、『魔王』のあとがきでそこについては否定しています。
「この物語の中には、ファイズムや憲法、国民投票などが出てきますが、それらはテーマではなく、そういったことに関する特定のメッセージも含んでいません」
(伊坂幸太郎『魔王』あとがきより)
一応、感想を書くにあたってここだけは確認しておきました。
さて、その上で『魔王』を読んだ感想を書いていきたいと思います。
まず思うのは、『魔王』で起きていることって、現代日本でも同じように起こったって不思議ではないのだろうなってこと。
圧倒的カリスマを持つ犬養という一人の政治家。
彼の主張は端的でわかりやすい。
今までほかの政治家が恐れて口にしないアメリカへの批判も行う。
良いことは良いといい、悪いことはきちんと謝罪をする。
そんな姿に、「犬養はほかの政治家とは違う!」とそれまで政治に関心のなかった若者も犬養を支持します。
今の日本にそんな人が現れたらみんな期待しちゃいますよね。
自分たちの責任は認めず、平気でうそをつくそんな姿にうんざりしていますから。
郵政民営化のときの小泉純一郎さんのときも、かなり国中が盛り上がって、小泉さんの支持者がどんどん増えていきましたよね。
小泉さんと犬養はまた違いますが、あのときも、どれだけの人がきちんと郵政民営化を理解した上で支持していたのかって疑問です。
当時を批判するつもりはないですが、あれはあれでちょっと怖かったです。
(ちなみに、『魔王』の執筆はそれよりも前なので、小泉さんに影響されて『魔王』が生まれたわけではありません)
それくらい、たった一人の男の力ってすごいものがあります。
『魔王』の中では、それが行き過ぎた方向に走っていきます。
反米感情が吹き荒れ、アンダーソンの家は、「アメリカ人だから」という理由で燃やされても仕方ないという人も出てきます。
ふつうだったら考えられないことですが、熱狂した群衆はそれが正義である!と思い込んでいます。
別の小説になりますが、伊坂幸太郎さんの『チルドレン』の中でこんな内容が書いてありました。
英語で子どものことを「child」、複数になると「children」、複数になると別物になるのだ、と。
『チルドレン』では少年のことを指していましたが、これは大人にだって同じことがいえます。
群衆となったとき、その波はいったい何をのみ込み、どこへ連れ去っていくのか。
そのとき人は自分の意思と考えでどれだけのことを決定しているのだろうか。
ただ流されることは恐ろしいと感じます。
個人で立ち向かうことを選んだ安藤
考えすぎの考察魔ともいわれる安藤。
犬養を中心にうごめく流れに危機感を覚えます。
そして、自分の能力に気づいた彼は、考えて考えて…その流れを止めようと立ち向かいます。
実際にこのときの安藤が正しかったのかどうかっていうのはわかりません。
5年後の「呼吸」では、犬養が首相となり、日本の景気は上昇傾向にあります。
未来党の構成員は過激になってきておりやや危い様子はあるようですが、憲法改正の議論も活発となり、その先の未来はまだ読めません。
ただそれでも、群衆に流されることなく、自分が正しいと思ったことを行ったその姿は、称賛されるものなのかなと思います。
流されていく方がずっと楽な生き方ですもんね。
もしくははたから眺めて好き勝手いうだけの方が、現実的には多いのかもしれません。
読んでいて過剰に反応しているようにも感じますが、そうした自分の意志を大切にする生き方は憧れるものもあります。
小さな平和を愛した弟の潤也
「呼吸」では、潤也は詩織と結婚して仙台に住んでいます。
潤也たちは安藤が死んだことや、その死が報道されることから、テレビを見ない生活を送るようになります。
潤也は戦うことを選んだ安藤とは反対に、自分と妻となる詩織といった小さな世界の平和を大切にしていきます。
「魔王」から五年後で、世間が憲法改正の議論で熱くなる中、潤也と詩織はそういうことになっていることは知っていても、そこに深く関わっていません。
猛禽類の保護と調査をしている潤也は、日がな一日、山の中で双眼鏡を手にして調査をしています。
「魔王」と違ってとてものんびりとした平和な雰囲気が漂っていました。
そんな様子をあらわしているセリフがこれ。
「わたし、うちの旦那の頭を膝に載せて、耳掻きしている時にいつも思うんだよね。こういうことができるのは本当に平和な証拠だなあ、って」
(伊坂幸太郎『魔王』より)
そういうことに幸せを感じられる生活ってのが本当に平和であっていいことなのかなって感じますね。
物語の後半で、自分の特殊能力を使って大金を貯めて、戦うことを決意する潤也の姿が描かれています。
そこで話が終わっているのでその先にいったい何があったのかはわかりませんが、潤也が求めたものは安藤とは違ったのかなと感じます。
漫画になっていた『魔王』
いつのまにやら『魔王』って漫画になっていました。
気づいたときにはもう終了していたので、あとから読む形でしたが。
「魔王 JUVENILE REMIX」というタイトルで『週刊少年サンデー』で連載されていました。
作画は大須賀めぐみさん。
漫画版は、『魔王』と『グラスホッパー』のリミックスとなっていて、『グラスホッパー』に出てくる殺し屋たちが登場します。
正直、これはもう小説版の『魔王』とは別物って感じです。
これはこれで一つの漫画として読むのならおもしろい。
ただ小説版の『魔王』と同じように思って読むとびっくりするかな。
おわりに
ちょっとまとまりのない感想になってしまいました。
それくらい『魔王』は考えることも多くて、テーマとなることも一つ一つが大事なことで。
小説としては、ほかの伊坂さんの作品の方が好きでしたが、考える一冊としてはとても良作だと感じます。
『魔王』の未来を描いた『モダンタイムス』。
こちらはまだ読んでいないので、そこからどんな展開が待っているのか今から楽しみです。