この小説を読むきっかけとなったのは、YouTubeの『ほんタメ』でした。
ヨビノリたくみさんが紹介していて、興味を抱いて読むことに。
今回読んだのは、道尾秀介さんの『シャドウ』です。
さて、読んでみると、前情報に嘘偽りない内容でした。
ちょっと中盤当たりで暗い感じにもなりますが、この小説を受け付けないって人は少ないのではないかなとは思います。
ここでは『シャドウ』のあらすじや感想を紹介していきます。
Contents
『シャドウ』のあらすじ
人間は、死んだらどうなるの?―いなくなるのよ―いなくなって、どうなるの?―いなくなって、それだけなの―。
その会話から三年後、鳳介の母は進行性の癌によってこの世を去った。
それでも鳳介は、慣れない家事にも挑戦し、明るく振る舞いながら、父親の洋一郎と二人で暮らしていく。
しかし、その数日後、今度は幼馴染みの亜紀の母親が自殺を遂げる。
夫の職場である医科大学の研究棟の屋上から飛び降りたのだ。
鳳介の母親と亜紀の母親は、昔からの仲の良い友人であった。
母親の死が、亜紀の母親にも影響を与えたのではないかとささやかれる。
さらに亜紀が交通事故に遭い、洋一郎にも異変が起きていく。
幸せに暮らしていこうと奮闘する鳳介の願いは届くのか。
一言で言えば大どんでん返し!
あまり小説の帯なんかに、
「どんでん返しがすごい!」
と書かれると、書かなくていいのにと思ってしまいます。
どんでん返し系の小説には、どれを見たって書いてあるので、いつも憤りを覚えている私でした。
でも、ごめんなさい!
『シャドウ』については、どんでん返しとしか言えないのです。
そもそも読むきっかけになったほんタメの動画でも、どんでん返しがすごい小説だと紹介されていました。
しかし、『シャドウ』はそこで終わらなかった!
「あーどんでん返しなのかあ」
と思いながら読んでも、いやーこれは見事にひっくり返されたなという感想が出てきます。
この小説は、紹介でどんでん返しと書いてもいい小説です!
子どもたちはちょっとかわいそう
『向日葵の咲かない夏』でもそうでしたが、『シャドウ』も子どもたちが不遇。
一生懸命明るく生きようとしているんです。
だからこそ、悲しい部分が目についてしまう。
もちろん、現実にだって幸せな子どもばかりではないし、環境的にどうにもならない子どもっているものです。
『幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸の様を異にしているものだ。』
とは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭ですね。
物語なのでから、苦しい思いを抱きながら生きている子どもがいるのは当然。
とはいえ、健気で読んでいるだけで悲しくなる。
そういうふうに思うようになったのも、実際に親になってからですが。
『シャドウ』は、さすがに全部ハッピーエンドとはいかないけれど、私ごのみの終わり方はしていたのかな。
できれば、現実でも小説の中でも、一生懸命生きる子どもには幸あれと思ってしまいます。
おわりに
『シャドウ』は道尾秀介さんの初期の作品です。
でも、読んで間違いがないくらいにおすすめできる一冊です。
実は、私は、『向日葵の咲かない夏』がちょっと苦手で、道尾秀介さんから少し遠ざかっていました。
でも、『シャドウ』が、
『向日葵の咲かない夏』に寄せられた読者からの言葉への作者なりの回答であり、同作で伝え切れなかったことを伝えるつもりで執筆された作品。
であるのだとあとで知って、それから改めて『向日葵の咲かない夏』を読んでみると、かなり違った印象を持つことができました。
別にリンクしている話ではないのですが、自分の中でもやもやしていたものを整理することができてとてもよかったです。